アイドルオタクという生き物は。

 僕はとにかく影響されやすい。小さい頃、法律番組を見れば弁護士になりたいとすぐ夢見たし、周りの子たちよりボウリングのスコアがちょっと良かっただけでプロボウラーになりたいと将来の夢の欄に書き記した。そして20歳の頃には、周りの友達にSKE48のPVを勧められて視聴した結果、すぐハマってしまった。そして今日もそうだ。久々に読書をしただけで文章が書きたくなった。良いのか悪いのかわからないが、きっとこの性格はこの先も変わらないのだろう。そういえば、目まぐるしく変わっていった将来の夢の中に、小説を書きたいという時期もあったような気がする。

 誰もが予想もできない変化のあった1年の中で、アイドル業界も大きな変化を求められた業界のひとつであることは間違いない。数々の握手会は、直接会うなどもってのほかと中止になり、メンバーもオタクも大きな声を張り上げるライブは中止や無観客への変更を余儀なくされた。僕にとってもライフスタイルの中での大きな一部となっていただけに、かなり影響を受けるのだろうと思っていた。

 しかしそうではなかった。不思議と不満は溜まっていなかった。正確に言えば、「メンバーと直接会うことができない」ということに対して、不満を感じることはそれほどなかった。

 それってアイドルオタクとしてどうなんだ?自分自身に対してふと疑問を投げかけたくなる。あれだけ毎週のように新幹線に乗っていたのに、どうしてしまったんだ?自分が心配になった。もちろん、運営やアイドルの努力があったことは忘れてはいない。握手会が開催できない分、オンラインで会える環境が整えられ、オタク側が会いに行かなくても、全国各地の思い思いの場所で、決められた時間にインターネットがつながる環境さえあれば良い時代になった。ライブだってYouTubeで無料配信される時期もあった。「直接会うことができない」不満を減らすことに対して様々な策が講じられたおかげでそのような不満を感じなかったのかもしれない。その努力については、最大限に感謝しなければならないし、実際に本当に助けられたと感謝している。

 でもすべてそのおかげじゃないような気がしている。そもそも僕たちは、「アイドルと直接会える」ことに価値を見出していなかったのではないのか。好きなアイドルを、現地での握手会やライブで見ることが本当に一番の楽しみだったのだろうか?とこの半年ぐらいで感じた。

 結局、アイドルオタクって「アイドルが好き」というカテゴリー分けされた人たちと仲良くしたいだけなんじゃないのか?とふと思った。別にこれはアイドルオタクに限った話ではなく、プロ野球だって、同じ球団を応援している人と仲良くしたいだけなんじゃないのか?話題になったドラマだって、同じ番組を見た感想を誰かと共有したいだけなんじゃないのか?「○○が好き」って、○○という道具を使って、同じ道具を持つ人たちと集まって、居心地の良いコミュニティーを作りたいだけなのではないのか。本当にそれが純粋に好きだと言い切れる人たちはどれだけいるのか。アイドルオタクだけでなく、めちゃくちゃ世の中の人から反発されそうな書き出しになってしまったことに、今日の読書と、僕の影響されやすい性格を少し恨んでいる。

 僕は会社の飲み会はそこまで嫌いではないが、どちらかといえば嫌いな人のほうが多いだろう。ただでさえ日中顔を合わせているのに、土日とは別の世界線を生きているのかと思うくらい針の進まない時計を何度も確認して、やっと迎えた退勤時間のあとに、さらに趣味もバラバラな連中と酒なんか気持ちよく飲めるか!というのが普通な気がする。早くお開きになって明日に備えたいとだけ願って、また針の進まない時計を確認するのだ。

 それに比べて、アイドルオタクの仲間が集った飲み会の時間の進み方はそれこそ別世界のように速い。会社の飲み会の2時間は終わらないのに、こちらの飲み会の4時間はどうしてこうも早く終わるのか。どの時間帯も自分の興味のある話しか会場では巻き起こっていないのだからそれも当然なのだが。

 僕はアイドルオタクであることが会社でも知られているので(有給休暇を取るときに、聞かれてもいないのにどこのライブに行くとか話しているからだが)、よく飲み会では「誰が好きなの?」とか聞かれることがある。「どうせ言ったってわかりもしない」といういつもの思いを抱えながら、答えない理由もないので普通に答えると、いつものように微妙な反応をされて、話題は同期が結婚した話とか、仕事の愚痴とか、自然といつもの話題に戻っていく。

 いつもの質問を振られて、いつもの反応を返されることについてはいつものことだから「まあそうだよね」ぐらいにしか思わないし、微妙に終わってしまったこの話題のあとに同期の結婚話をされても、強がりではなく取り残されたような虚しい気持ちになるわけでもない。ただ、もしかしたら「その子知ってるよ」という完全ポジティブな返答がくるかもしれないというちょっとした期待がやっぱり裏切られたことへの悲しさはちょっとだけある。こんなところでも共通の話題を通じてのコミュニティーを求めていたのだろうか。

 ありがたいことに、この半年間、Zoomなどでアイドルオタク仲間とは毎週のように顔を合わせてドラフト会議やライブ映像の鑑賞に興じていたから(ドラフト会議については前回記事を参照)、アイドルと直接会える機会は奪われても、そのコミュニティーもろともコロナ禍で消し去られたわけではなかった。むしろ新たに作られたコミュニティーもあり、何もなかった半年間というよりは、得たものも大きい半年間だった。

 先日、有観客公演に戻ったAKB劇場へ赴いた。「直接会えることに価値を見出していなかったのではないか」と疑問を投げかけてきたが、約1年ぶりのAKB劇場は、どこか新鮮で、それでも公演が始まれば、あの頃が戻ってきたようで嬉しくて、でもあの頃とは違って、コールは禁止されていても、舞台上には16人が揃っていなくても、「直接会える」ことの価値に気付かされた1時間半だった。皮肉にも、今まで当たり前だったことの価値をコロナ禍で気付かされたのかもしれない。

 順番は違ったが、公演の前日に開催された飲み会も、やはり久々で、時間の進みはものすごく速くて、それでもその中での話題はいつもと変わらない感じで、本当にこの居酒屋の外の街はコロナで変わってしまった世界なのだろうか?と感じるほど日常が戻ってきた気がした。だからといって、このフェーズで満足しているわけではない。徐々に日常が戻ってきている感じはあっても、1年前の日常とはまだ違う世界線だから。

 何様だよって感じだが、「応援しているアイドルが卒業するときに、後悔の思いを持たないようにしたい」といつも思ってきた。じゃあ「後悔」ってそもそもなんだ?と考えたときに、その答えが少し今回わかったような気がする。「直接会える価値に、卒業するという事実を突きつけられるまで気づかないこと」が後悔のひとつの正体なのだと思う。

 直接会える「機会」は奪われたけれど、直接会える「価値」の意味を考えさせられたこのコロナ禍は、決して悪いことばかりじゃなかったのかもしれない。いや、やっぱり「機会」を奪っていったのはダメか。

 「機会」が戻りつつあるこの中でも、あの頃のような「完全な機会」が戻ってくるにはもう少し時間がかかるかもしれない。それを黙って待っていたら、あまり考えたくはないけど、「価値」に気付かされたときには「後悔」しているのかもしれない。そうなりたくはないから、限られた「機会」を大切にしていきたいと気付かされた最近の出来事だった。

 きっとあの頃のような日常が戻ってきても僕はアイドルオタクをやっているんだろう。「アイドルオタク」というコミュニティーはたぶんその時もまだあって、僕はとにかく影響されやすい人間だから。

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