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生産性なきものへの讃歌としての「カメラを止めるな!」

久々に給料日が憂鬱だった。今月、絶対こんな額ほどの仕事してない。多分生んだ価値、この半分ぐらい。かといって口座に入る給料が半額になったらやってけないからありがたいんだけど。

8月、暑さもあって全体的に生きる気力体力が減退してしまい、もう無理、となって会社を数日休んだりした。週末でなんとか体調を普通近くまで戻して、仕上げに気持ちを持ち上げるべく隣駅のシネコンに「カメラを止めるな!」を観に行った。ネット上で多くが持ち上げる話題作だけど、下町のイオンシネマは半分の入り。自分のみている世界が全てではないなと、また思い知る。

(というわけで、ストーリーの核心に関する言及はないけど、以下で少しだけ「カメ止め」の内容に立ち入る記述をします。ネタバレ断固反対派は、ここから先の文章は映画観賞後にどうぞ)



     ◇     ◇     ◇


主人公とその家族は、わかりやすく「主人公」だ。完全無欠ではないけれど、前向きに人生を生きる力はある。2010年代の物語では珍しい、ひねたところの少ない人物造形。彼らの奮闘がきっと、多く見られた「元気が出た」という感想の根拠にもなっている。

ただ、登場人物の中には、マジで何もしてない奴がいる。不平不満を言いながらも自らの役割を果たした何人かはともかく、本当に、主人公たちに文字通り支えられて立ってるだけの奴。それでいて彼らは最後、他の活躍を見せたキャラクターたちと同じように晴れやかな笑顔を浮かべる。いや、お前ら頑張ったの最後の最後ちょっとだけやんか。もちろん何の貢献もなかったわけではないにしても、文句言ってた奴らは途中で結構な人格否定と共に叱られてたのに、戦力外組はそのお咎めすら無し。辻褄合えばそれでいいんかい。


いいのだ。それでいい。少なくとも、劇中では、それでよかった。


奮闘した人とそこそこやった人と全然動かなかった人が同じように笑う。エンディングまで辿り着いたら、それでいい。
頑張った奴は妥協しなかった。普通の感動映画と同じように。ダメな奴がいるのに妥協するところを描かず、機転と開き直りで傷のないアウトプットを完成させる様を執拗に見せたは、この映画の美点の一つだ(大体のホラーもサスペンスも、ダメな奴がダメなことやって主人公が妥協すると被害者が出る。そういう意味においてはアンチ・ホラー映画とすら言える)。でも、全てが終わった後、気まずそうな顔をした人を残さなかったのも、きっとこの作品の美しいところなんだと思う。


ようやく調子が上向き始めた頃に、新しいおもちゃが届いた。スペースグレイのMacBook Pro。モノの力で気持ちをアゲていこうと、見境なく注文したそれでこの文章を打っている。背面に、映画のステッカーを貼った。自分の会社のステッカーより先に。美しい金属のつやが光る機体にシールを貼るなんて、美的感覚に乏しい。そんな声も理解はできる。でも、今の俺には、こっちなんだと思う。美しくなくても、血を流しても、ゾンビのようになっても、エンディングまで駆け抜けること。そんな思いを、300円で買ったちゃちいシールに込めている。



<以下、余談>
美しいことだけ書いて終わらせたい気持ちはあるが、例の「原作/原案」問題が出た後に映画を観賞した身として、簡単に記しておく。
俺はそこまでの演劇ファンではないけれど、たぶん同世代の平均よりは観劇経験があるし、舞台を手伝ったこともある。その上でいえば、設定は非常に演劇ぽいと感じた。舞台上で演じられるのが目に浮かぶようだ。
ただ、あの内容を映像化しきった、それこそがこの映画の魔法だという意見は当然あるだろうし、映画製作側も同じように考えているのかな、と思う。さらに、(比較対象の舞台は見ていないものの)著作権侵害とは言えそうもないという弁理士の見解もある。
となれば、落とし所を探る協議がうまくいくかが、問題が問題化しないために必要だった。事実その話し合いがされなかったわけではなく、結局決裂してねじれているのが背景のようだ。

監督は作品パンフレットの巻頭言で、映画が「僕らのドキュメントでもある」と語っている。だとすれば、映画内では成功したはずの妥協なきエンディングの到達に、現実世界では失敗したということになる。娯楽映画としてのこの映画の成功に、記録映画としてのこの映画が傷をつけてしまった。作品の出来不出来とは別のところで、そんな余韻を感じてしまったのが、ただひたすらに哀しい。

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