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白兎(うさぎ×山)

空から降り注ぐ雨は一つ一つが大きくて重い。
木の葉を弾いて放射状に分かれると、小さくなって静かに消える。
大きな雨粒も土に触れると静かに消える。
雨が続くと鬱屈な気分になる事もあれば、爽快な気分になる事もある。
例えば、凡庸な日々に気が付いた時、自分以外の騒音に存在を消滅させられたような気がする。
無味無臭で生命体でもない水が自分よりも強く地面を打ち付け這い蹲り、まるて生きているかのように堂々としている。
この大きな耳は必要以上にモノを捉えてしまうのだ。
翻って、洗い流すように打ち付ける雨は自分の中から鬱屈を取り払ってくれもする。
乱打の調は不規則であるけれど、どこか調律的で心地よい時もある。
それらは、全てその時の感情によるものだが、決して一過性のものではない。
白い毛並みが静かに束を成す。
小刻みに震える。
誰からの賞賛を受けない白い毛並みは可哀想な程に惨めに映る。
私はこの地に潜む亡霊のようだった。

この山は緑に覆われ、ありのままの自然がある静かなところだった。
地表が露出した場所はなく、遠目に見てもそれは単なる山でしかなかった。
私の一族は冬になると毛が生え替わる種族だった。
秋になると次第に体毛の嵩が高くなり始め、下の方では静かにその準備を始めていた。
この山には私たち以外の動物も存在した。
狐、猪、鹿、狸、狼。
冬になると植物や木々は静けさを覚え身を潜めるように何一つ身に付けない。
食に飢えた動物達は普段手を出さない相手に襲いかかり自らを正した。
私たちにとって体毛の変色は防衛本能であった。
見渡す限り白銀の世界になるこの山では体毛が白い方が外敵から身を避けるために有益だったわけだ。
数年経って親に一人前と認められた頃、私たちは毛の生え替りを覚える。
というより、身につくといった方が正しいか。
その時期を見極めて親は子を育てるのだ。
時期して同じように親離れを成した仲間は冬が近づくにつれて一段と大きくなり始めた。
私も類に違わず体毛の嵩が膨れ上がるのを感じた。
大人になるという高揚感と、これからは一人で身の回りのことをしなければという焦燥感が綯い交ぜになり、いつになく落ち着きがなかったことを覚えている。
その夜、私たちは山の頂上から落日の景色を見た。
遥か西の地平に近代的な灯りの造形物が乱立しているのが見えた。
西陽の逆光に負けない明るさを湛えたそれらは異様な空気を孕んでいた。
遠い昔からの伝承で、その地域に棲む種族は自らの利益しか省みず、この山の頂点に属する狼たちでさえ殺されて連れて行かれるほどの悪魔だ、と。
私は目の前の現実と得体の知れない非現実に自身の存在が掠れて行くのを感じた。
個々の存在価値が高まるこの時期に山が世界である私たちの根底を揺るがすような狂気があると認識したからだった。
西陽が果てに潰えた時、目が眩む妖光が山を突き刺すように注がれた。
その光はこの山にはない絶対的な力のようなものを感じさせた。
住処に戻る直前、冬の報せが静かに舞った。
住処を出ると一面雪景色になっていた。
空は分厚い雲に覆われており、太陽がどこにあるのか分からなかった。
辺りに茶色い毛の塊がいくつも散在しているのを見かけた。
その時ばかりは雪原を飛び回るほどの高揚感を覚えた。
この時期になると積雪に伴い私たちの種族は茶色の毛が真っ白に生え替わるのだった。
私はその姿を美しく思い、誇りに思っていた。
立ち止まって周りを見ると住処の目の前だと言うのに誰もいないことに気がついた。
私たちは群で行動した。
この山にはその群がいくつか存在していて十数羽という単位でなりなっていた。
しかし、その日私以外の仲間がこの場所にはいなかった。
それと同時に私の色は白の真逆である黒である事に気がついたのであった。

しばらく山を飛び回って探した。
いくつかの群に遭遇したが、私のことを見るモノ全ての目に忌避が宿っていた。
滲み出る涙を堪えて仲間を探した。
仲間の足跡が無い代わりに見たことも無い足跡を見た。
縦に長く所々に波紋が刻まれたものだった。
この山の動物ではない足跡だった。
その足跡が続く先へ急いだ。
すると、山の麓に謎の生き物が立っていた。
数は4。
その足元には籠がその数だけ存在していて、中には見知った顔が全てあった。
真っ白に生え変わった姿は美しいかった。
私は何もする事が出来ないでいた。
彼らは大きな荷台が付いたモノに乗せられて連れ去られてしまった。
そのモノが放つ轟音は張り詰めた空気を揺るがし、恐怖を植え付けるには容易かった。
私はしばらくその場で震えていた。
自分は連れ去られなかったという安心感や自分が異端であったという喪失感、雪原に目立ち過ぎる漆黒に対する虚無感。
住処に戻ることなくその日を終えた。
翌日、一度住処に戻ってみたが、彼らの痕跡は何一つ無かった。
脱ぎ捨てられた茶色の毛も風に吹かれて消えた。
住処も1日使わないだけで、積雪に埋もれていた。
日を追うごとに同じ種族の群の数が減った。
木々や地形はそのままに在るべきモノばかり消えていった。
その場に残る細長い足跡も翌日には白く塗りつぶされた。
気配が消えていくと山の密度は薄れ、満たされぬ悲壮感がその合間を詰め合わせるように漂った。
奴らは私を捕まえなかった。
雪が溶けて、若葉が芽吹く頃、私以外の仲間は全てこの山から消えた。
土よりも濃い体毛が空中に舞っていた。
あれ程待ち望んだこの日、私はこの山に潜む亡霊と化した。
数ヶ月前の自分をその漆黒の体毛に置き去りにしたように。
時期に異質な純白は二度と戻ることなく煌めいていた。

私は今日も落日の景色を眺めている。
斜陽が雨上がりの景色に乱反射している。
西の果てに異様な光がある。
あの日の轟音を耳朶に反芻させながら、私は静かに一人住処に戻る。

2018/06/07

#小説 #短編小説 #掌編 #うさぎ #山

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