親は偉大だ
前置き
約1年前まで、94kgあった。ピークでは99kgを記録していたし、気付かぬうちに100kgを超えていた時もあったはず。現在はなんとか45kg減量し、ひとまず緩めのダイエットに切り替えることに。せっかくだから、メモ代わりにnoteにダイエットにまつわる記録を残しておこうと思う。
本当に恵まれたことに、私は良い家族や友人に囲まれていたと思う。もちろん喧嘩をしたり、家族ともなると肥満体であることを揶揄されたりと、小さなポイントで嫌な思いをすることはあった。けれど、それは普通の家族でもよくあることで、おかげさまでのびのびと暮らすことができたと思う。のびのびとしすぎて、100kg近くまで育った。
写真を見返すと、小学生ごろから近年に至るまでの写真は、まあかわいくない。謙遜して言ってるわけではなく、本当にかわいくない。どの写真にも映画『ジョジョ・ラビット』に出てくる主人公の親友から愛嬌とかわいらしさを抜いたような奴が延々と写っている。
自分で言うのも切ないけど、これがもし己の子どもだとしたら愛せる自信が無いな……。そんなことを思いつつ母に写真を見せながら「よくこんなのを可愛がってくれたよね(あまりにひどいワード)」と思い出話をしていた。
すると、母は「確かにこの写真見てたらひどいけど……でもやっぱり可愛く見えてたんだよねぇ」と。一旦、過去の私のビジュアルのひどさは認めた上でのことだけど、それでもやはり「あの」私をカワイイと言い切れる母に改めて驚いた。
けれど話を聞いていれば、私が太っていたことで物悲しい気持ちや嫌な思いはしたことは数多くあったという。その中でも見ていられなかった……という光景が、運動会の徒競走だった。
当時、私の通っていた学校では、徒競走の順番というのは教師が決めていたらしい。足の遅さや身長など、様々な要素を加味して、おそらく走る際に大幅な差が出ないように調整していたのだと思う。
そして私と同じグループの生徒というのが、腕を怪我している子や私と同じくでっぷりしている子など、一目見て「なるほど……」と唸りたくなるような面々だったそうだ。我が子の運動会での勇姿を一目見んとわくわくしていた母は「明らかに何らかの配慮をされている」順番に心がえぐられたという。
しかも何のいやがらせかその切ない編成はラストに走るように配置されていたそうだ。全部伝聞で書いているのは、私もほとんど記憶がないからだ。やはり自分自身思い出したくないんだろうか。
見るからに配慮をされた編成の面々が、運動会でも盛り上がる徒競走のラストを飾る……見世物に近い趣があったと思う。母曰くアナウンスによる「頑張れ!頑張れ!」という声がことさら大きかったらしい。母からするとより居たたまれなさが際立っていただろう。
「あれはきつかった……」としみじみ思い出す母。申し訳なさがこみあげる。以前にもnoteで書いたけれど、そもそもはリレーで選抜される程度には運動神経がある子どもではあったらしい。母からすれば活発な子どもだったのに、少し眼を離したぐんぐんと太り、徒競走では普通に走っているだけなのに過剰な応援を受けるほどにまで育ってしまった。その事実が胸にささってしょうがなかったのだ。
それでも、それはそれとして私のことは可愛かった、可愛く見えていた、などと言い切ってくれるからやはり母の愛たるや。
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