どこでもドアのつもりでいる
新幹線みたいな高速移動手段に座り込んでぼーっとしていると、自分が移動していることを忘れることがある。というか、小さい頃はずっと忘れていた。
僕からすると、車や電車、新幹線というのはどこでもドアみたいなもので、扉を開けてそこに座り込み、ある程度待ってから外に出ると目的地につながるものだった。
置き去りにされていく田園風景も、自分が移動する自覚をもたらすことはなかった。後ろに流れていく山々が見えても、遠くに立つ知らないビルが見えても、それはただそれとして見えているだけで、僕が高速で移動して彼らを置いていっているという自覚はしなかった。
子どもの頃に比べると「ああ僕は時速数百キロメートルで高速移動しているなあ」と思うことが増えているので、成長はしている。ただ、あまりにも緩やかな成長だ。大器晩成なんだろうか。ゲームなら大器晩成こそ尊ばれるが、現実ではあんまりだ。単に遅れているやつとしてさまざまな角度から蹴りを入れられる。痛い。痛いとつらいので、やめてほしい。切実にやめてほしい。
まだ着かないな。いつ着くかな。ドラえもんさん、こういうときの暇つぶしにちょうどよいひみつ道具を出していただけると助かります(ドラえもんは敬語に戸惑っており、所在なさげにポケットを覗き込んでいる)。
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