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読書日記『シェアをデザインする 変わるコミュニティ、ビジネス、クリエイションの現場 』(猪熊純・成瀬友梨・門脇耕三,2013)

ジュンク堂本店で見つけた。

少し前に、一年ほどシェアハウスのサブスクをしていたことがある。実家とシェアハウスの二拠点生活的な一年は、他人と住む難しさもあったが、それ以上に刺激的で楽しい時間だった。

就職先である北海道の町には、大々的にシェアハウスを運営しているところはないが、シェアハウスに住みたい欲は止まらない。自分でシェアハウスを運営するとしたら、どんな視点を持っていればいいのか、勉強できそうなことはしておこうと買ってみた。

勉強になった部分は3つ。

一つ目は、シェアハウスには「面白そう」と思ってくれる人の期待がかかるということ。

(なぜシェアハウスに住むのか?という問いを)
当の住民に尋ねると、「ここには面白い人が多い」とか「面白いことが起こる」というような、ちょっと拍子抜けするような単純な答えが返ってきます。そこが面白いところです。

p43

その期待に応えられるかどうか、という不安も付きまとう一方で、「面白そう」という予感や期待だけでも人は集まれるものなんだな、と思った。


二つ目は、シェアすること自体が目的でもあるということ。そして「余り」がシェアを生み出すこと。

自由な個人がいかに立っていられるか、健全でいられるか、そのための目的だということです。

p75

それぞれが畑を持っていると、何かしらを生み出しているあいだに余るものがあって、その余りを人にあげざるを得ないコミュニティが生まれます。持ってしまった瞬間に違った共有が生まれる。単にシェアするのではなく、畑をシェアしていることのほうに大きな意味がある気がしてきました。

p76

シェアハウスというと「お金がないから」「コミュニティに飢えているから」という不足に目を向けることが多いので、「余り」がシェアを生み出しているという観点は新鮮だと思った。「お裾分け」に近しいのかもしれない。流動的だが安定的に存在するために、そして、それに関わるやりとりを楽しむためにシェアする。

この「余り」の視点からシェアハウスを眺めてみるとどんなことが言えるのだろう。少子高齢化と高い生涯未婚率を踏まえれば、(中古)一軒家が余っていくと考えられる。今思いつくのはこれくらいだが、今後もこの観点は持っていたい。


三つ目は、「シェアとはプロセスをシェアすること」という考え方。

人が集まると、その集まった人にこそふさわしい、あるいはその地域にこそふさわしい答えが出てくる。そのための装置や回路として「シェア」を捉えるということ

p137

シェアすることで人が集まれば、アイデアだったものが計画になり、実行されていく。そんな力がシェアハウスにもあったらいいな。そんなシェアハウスを作りたい。




読了日:2022/12/27

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