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読書日記『傷を愛せるか 増補新版』(宮地尚子,2022)

Twitterで見かけて、タイトルが気になったので買ってみた。トラウマを研究する精神科医によるエッセイ。

この本の中盤まで読んだ時、水鳥の白い羽をイメージした。羽ばたきによって落とされ、刹那だけ宙を舞って水面に浮かび、小さなさざなみを巻き起こすような。
解説の天童荒太氏によれば、「正直であろうと、意思をもって努めている文章」らしい。包帯や医者という白いモチーフに加えて、正直な文章が静かな羽を思わせるのかもしれない。

気に入った部分と、それへの感想をいくつか。

拱手傍観という言葉がある。手をこまねいたまま、そばで観ていることだ。肯定的な意味で使われることは少ない。けれども、手をこまねいたまま観ているしかないときは多い。手を差し伸べようがないとき、差し伸べても相手に手が届かないとき、届いても引き上げる力が足りないとき。

p13

ちゃんと見ているよ、なにもできないけど、しっかりと彼女が喪主の役割を果たす姿を目撃し、いまこの時が存在したことの証人となるよ。そしてこれからも彼女が彼女らしく生きていくのを、見つめているよ。喪失は簡単には埋まらないだろうけれど、それでもいいよ、急がないで。ずっと見ているから。見ているしかできないけど。

p15-16

見ていることで誰かを支えられていたら良い。
この文章で思い出したのは、乃木坂46の伊藤万理華が卒業時に出した「はじまりか、」という曲。

あの時あなたが手を差し伸べてくれた
あなたの言葉にたくさん支えられてきた
見ていてくれた ブログ読んでくれた
コメントくれた 声援くれた
まりっかコール 緑と紫のサイリウム

はじまりか、

究極的には、ファンは推しを見ていることしかできない。傷つく姿も、活躍する姿も、見ていることしかできない。重荷になっているかもしれない。見られない部分があるのも知ってる。それでも、見ていることが、少しでも推しの、誰かの、力になっていれば嬉しい。


弱肉強食のルールに従って生きていくしかないのだろうか?そうではないと思う。弱さを抱えたまま生きていける世界を求めている人も多い。

p119

弱さを認めること、弱いまま生き続けること。これはとても辛くて、面倒くさくて、投げ出したくなる時もある。
この「弱さを認める」というのは、たぶん宗教や呪術、占いなどが担ってきたのだと思うが、特定の宗教を信じない私はどうしたら良いのだろう、と思っていた。だから、精神科医の著者から、このような言葉が出てくるのが嬉しかった。




読了日:2023/01/11


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