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ドームのマウンドに上がる(権利獲得編)

子供の頃、プロ野球選手に憧れた人は多いことと思います。自分も小中と野球をやっていたので、その一人でした。やがて大人になり、見る専門となってから、スピードボールコンテスト(以下、スピコン)で試合前のマウンドに上がることが出来た時の話を段階に分けて書こうと思います。

ナゴヤ球場やナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)に観戦に行くと、試合前にスピコンをやっていることは知ってはいても、何か特別な人が出来ることで、自分には無理な事だと思い込んでいました。その後、日にちは指定出来ないもののはがきを送れば出来ると知り何枚も送ってみるも全くレベルで当たらず。

するとそのうち、ファンクラブのポイント交換で出来るようになり。まずは指定のポイントをコツコツと1年半掛けて貯めて。

自分がFCポイント交換で権利を獲得した当時は申し込み開始も指定日で、かつFCカウンター先着で、しかも1人だけ!だったのでその日の7ゲート(FCカウンターから最も近いゲート)の1番前に並ぶために前日の夜中に順番確保の段ボールを貼り、かなり早めに行って(まだ田島投手がゲート外通路をランニングしていました)1番前を確保し、荷物検査を最速で抜ける為に何も荷物を持たず、とにかく誰よりも早くFCカウンターに到着出来るように準備しました。

並んでいる時、同じ日に申し込み開始の違う開催日程のおじさんが次に来て、日程がバッティングしなくて良かったねと話したのを覚えています。荷物検査をいち早く抜ける為に荷物を何も持って来なかったことを伝えると、「先が読めてるねぇ」と褒めてもらえたことを思い出します。

自分が無事FCカウンターに1番に着いて無事に権利を獲得して帰る頃、老夫婦が同じ日程のスピコンを申し込みたかったらしく「こんなに早く来たのに」とゴネていたのを見て、あーもし自分と同じ準備をしていたとしても先着じゃ老夫婦は無理だよなーと思うと同時に、来年から抽選になっちゃうかもなぁと思いました(事実、翌年からポイント交換も抽選になりました)。主催者側が色々と予測出来ていないうちにやりたいことを完遂してしまうことも、結構大事かも知れません。

こうして万全を期して準備し行動した結果、遂に夢にまで見たスピコンに出場出来る権利を得て、その直後からテンション上がり過ぎておかしくなっていた気がします。人生の中で成し遂げたい夢のひとつだったので、いたしかたない気もしますが。

今となってはFC交換のスピコンに対してはこのメソッドは使えませんが、自分の人生の中でも、万全を期して準備した人の所にチャンスは来るという具体的な例になった気がします。

スピコン関連では他にも色々とあったので、それは続編でまた書きたいと思います。


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