ジョジョは好きだが人が死ぬのは嫌だ

めんどくさいやつです。
『ジョジョの奇妙な冒険』に対して
格別な凄さと面白さを感じながらも
どーしても誰かが死んで涙腺を揺さぶる事に
納得がいかないのです。

理屈ではわかるのです。
彼らは彼らの命を精一杯生きて、その上で結果として命を落とした。
我々はその生き様に敬意を表し、心を震わせ、涙を流し感動する。
それが『正しいかたち』なのは重々理解している、いるのですが
どうしても、どうしても心の奥に引っ掛かるのです。
魚の骨のように引っ掛かるのです。
『それでも、あいつには生きていて欲しかった。
幸せに笑っていてほしかった』と。
心の奥から何かが叫ぶのです。

申し遅れました、私成島四ツ木と申します。
いわゆる『現実とフィクションの壁が見えていない』人間です。
そもそもなぜこんな思考があるのかと言えば、
おそらくは『私がゲーマーだから』です。
物心ついた時には(テレビ)ゲームという
『自分がそこに居て、はじめて世界が成立する』ものに夢中になり、
触れ続けてきた結果、私にとってゲームは
『別の世界への切符』『現実そのもの』であり、
いい年になるまで
「フィクション」の意味を(おそらく)一般的な方とは違う意味で
捉えていました。
いやまぁ今もそうなんですけど
(私にとってはフィクション=この世界とは違う理の世界、という認識で、
もしかしたらフィクション=存在しないものという解釈が
大多数なのでは?と気がついたのがつい最近、という…)

ようするに、そこ(創作)に世界(生きている、いのち)を見る、認識するのが
当たり前を通り越して「意識するまでもないこと」であった、という…
まぁそれについて語ると長いので省略します。

で、本題。
わたしはゲーマーとして生き育んできた感性をもって、日々生きているので
誰かが死んだり、苦しい、悲しい目に遭って、
そのまま『終わってしまう』事に、激しい嫌悪感と拒否反応を示します。
それ自体は善悪でも良し悪しでもなく『そういうもの』だと割り切って
日々を過ごしているのですが、まぁこれがたいへん。
どうたいへんかというと、ネット、ゲーム、漫画、小説、それらから
流れてくる悲劇がすべて
『目の前で起きる、リアルな悲劇』になるのです。
そして、それを自分の意思で創って、世に解き放ち、楽しんでいる人が居る…
という単なる『事実』に、(勝手に)ダメージを受けるのです。
そして、そのダメージ源を生み出した人は
『別に悪気もないし、悪意も害意もない、いいひと』であることが多いのです。

「そんなん当たり前じゃん」と思われる方も多いと思いますし、
わたし自身その創作者の方が悪人だとかいやなやつだとかは思いません。
ただとても悲しくなってしまうのです。
これは感情なので、出てくること自体はどうしようもない。
どうしようもないけど、この途方もなく広い世界の、誰かひとりにでも、
『うん、うん。わかるよ。わたしもそうだよ』と言ってほしい。
そういう想いが溢れてしまいそうなので、
衝動的にこの文章を書いています。
初投稿がこれってどうなんだろとは思います。

話を戻します。
ゲーム、って、
プレイヤーがその世界に降りたってはじめてスタートしますよね。
プレイヤーがその世界で生きはじめることで、世界そのものも生きはじめる。
そういう世界を当たり前に生きてきたからか、
漫画でも、アニメでも、悲劇をエンターテイメント、心震わせるものとして
どーーしても見られないのです。
心で理解、納得ができないのです。
なまじ『この世界を創っている存在がいる』ことまでは理解しているので
『なんでこんな運命を辿らなきゃならないんだよ!?
 コイツそんな罰を受けなきゃいけないほど悪いことしたか!?』

『かみさま(創作者様)に向かって』怒ってしまうのです。
でも、その『神様』は多くの人の心を震わせ、勇気や元気、喜びを
与えています。
そこに私が文句を言ったところで
誰一人として幸せにはなれません。

なので、この文章の行き着く先は決まっているのです。
『私は創作における悲劇がきらいで、受け入れられない。
けど、
それはマイノリティであり異常者の感性なので、理解されることはたぶんない。
「そこ」は仕方ないと受け入れるしかない。
悪意があって、誰かを不幸にしているわけでもない』

『でも、せめて、わたしは、私自身は。
私だけでも、悲劇を肯定せず、皆が笑っていられる世界を描き、紡ぎたい。
悲劇を悲劇のまま終わらせず、
誰かが泣いたまま終わる世界を、
全力で思いっきり心から幸せにしたい。
アホみたいにハッピーエンドを推していきたい』

最初は、『ジョジョは人間賛歌で黄金の精神で誇り高くて好きだけど、
それはそれとして人が死ぬのはつらい』と
ぐちをこぼすだけのつもりだったのですが、
気が付いたら決意表明になっていました。
愚痴から発射して決意表明に落ち着く。
着地としてはポジティブで
良いのではないでしょうか、うん。
世の中に1人ぐらい、ただただ幸せなだけの物語を求める、
苦しくても悲しくても、最後にはみんなで笑いあえることを喜びとする。
美しい物語としての悲劇より、へたくそな物語の幸せを好しとする。
そういう理想を持って生きてるあほうが居ても
許されるのではないでしょうか。
それぐらいの喜びを大切にして生きている創作者(かみさま)が居ても
世の中は面白くなる筈です、たぶん。
(あ、ジョジョを否定するつもりは毛頭ございません、念の為)

そういうわけではじめてのnoteは所信表明、初心表明という
わりと「それっぽい」ものになったと思います。こんな文章を
ここまで読んで下さった方(いるのかしら?)、
本当に本当にありがとうございます。

あなたは優しい人ですね。

気持ちをこうやって文章に書くと、
今何をしたくてどう感じていかに動くべきなのか
つかめるのでオススメです。
とりあえずわたしは、
『ただ幸せを感じて生きていく』物語を
楽しく書けるよう
心身を整えていこうと思います。
今後は思いついた世界のタネ(創作のネタ)を
つらつらと書き連ねていこうかとも思います。
それでは、本当にここまでのおつきあい、ありがとうございました。
またお逢いできる日を、お待ちしております。

次回は、えーと、
『平和なガンダム』の話でもしたいですね。
結構昔から面白いんじゃないかなぁと思ってるネタで、
終戦後、ガンダムのパイロットが
戦災復興中の片田舎で
なんだかやけにMSの操縦が上手いおねーさん、として
生活していて…というところからはじまる『ガンダム』。
実は戦争当時の強力な「ガンダム」を
倉庫にほったからしにしたりしててね。
戦災復興がメインのガンダムって
面白い気がするんですけど…まあ次回。