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乗馬と自意識

カフェにいるとnoteを書く気が起きる。
今日もいつものエクセルシオールからお届けします。


昨日、数年ぶりに近所の牧場(田舎住みなのバレますね)に行って、20年ぶりくらいの乗馬体験をしてきました。
乗馬やりたいな〜と1年くらい前から思っていて、ついに。すぐそこの牧場でできるんだから、思い立ったらすぐ行けばいいじゃないって話ですが、すぐそこに牧場があることすら忘れていたし、他の牧場での乗馬体験を調べていたら結構なお値段するなあと知って、しばらくは無理かなと諦めかけていたのでした。
昨日は母が「天気良いし、どこか散歩しに行かない?それか乗馬でも。やりたいって言ってたよね」と誘ってくれたので、やっとこ行けました。ありがとうお母さん。


短い距離をぐるりと一周するだけの、体験乗馬。もっと長い距離のも選べたけれど、とりあえずお試しでと思い、短い距離の方にしました(あとお安いし)(千円でできたよ、ありがたや)。

そして念願の乗馬、なのに。

乗っている間、お馬さんと心を通わすでも、風の心地よさを感じるでもなく、引いてくれているお兄さんとの間に流れる沈黙の気まずさとか、並んで順番を待っている人たちに見られている恥ずかしさとか、私は笑顔で乗っていた方がいいのかとか、感想をお兄さんに伝えた方がいいのかとか、そんなことばかり考えていて、ただただ己の自意識の過剰さを思い知る時間となっていました。

それに、私はお馬さんと触れ合いたかったのであって、ただ乗せてもらうだけではお馬さんの顔も見られないから、物足りなくて。
もう乗馬はいいかなあと思いました。


牧場を見渡すと、どこもかしこも家族連ればかり。それがしんどかった。
いい歳をして、母とふたり、子供たちがはしゃぎまわる中で乗馬をしたり、動物たちを眺めたり触ったりするのが、恥ずかしくて肩身が狭くて仕方なかった。
世の中、あまりにも大人に厳しすぎる。なんて、ただ自意識過剰なだけだよ私。みんなお前のことなんか気にしちゃいない。わかってる。わかってるんだけどね。

こんなに「恥ずかしい」と思ってしまうのは、まだ鬱期にいるからなんだと思う。それがわかっただけでも、収穫のある一日だった。乗馬も、体験したから、もういいかなってわかったんだ。それでいい。挑戦したことが大切なんだ。


牧場を楽しむには、まだ早かったみたいです。
前に鬱だった頃、気分転換に母とハリネズミカフェに出かけた時もこんな気持ちになったなあと思い出しました。
これから何度鬱になって、こんな気持ちになるのかな。しんどいけど仕方ないし、少しでも私を元気づけようとしてくれる母に感謝しなくちゃだよ。

しばらくは、近所のカフェでひとりお茶するくらいで留めておくのがいいみたいです。
なんだか文体が迷子になっているけれど、まあ今日の私はこんな感じだよってことで。


では、もうしばらくささやかなお茶タイムを楽しみたいと思います。
いつもありがとう、エクセルシオール。


読んでくれたあなたも、ありがとう。
また読みにきてくれたら嬉しいです。



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