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すとん



心が満たされている時、私には目に映るすべてがきらめいて見える。

鳥たちのはずむような歌声
つめたい朝の空気
うつわを置く時のことん、という音
犬たちのぬくもり
うつろう光

世界の美しさに驚いて、めいっぱい息を吸いこむ。


けれど、心が疲れていると、何もかもがぼやけてしまう。
生きることに焦って、今の自分が惨めに思えて、先の見えない日々に怯えて。

なんてことない言葉が、ちくちく心に刺さって、自分を嫌いになる。
変わらなきゃ!と必死になって、だけど上手くいかなくて、こんな自分じゃダメだ…と思ってしまう。

そんな苦しい日々の中では、好きなものすらわからなくなってしまう。

もやもやとした鉛のような気持ちをどうにか抜け出したくて、もがいてもがいて、悔しさに止めどなく涙を流す。
どうしたらいい?
私は、どう生きたらいい…?


そうしてもがき続けていると、ある日ふと、ぱっと視界がひらける時がくる。
今日の早朝、まさにそんな感覚になった。


きっかけはある本の一節。
大好きな作家の夏生さえりさんのエッセイ
『揺れる心の真ん中で』

ぐるぐると考えている中で、「あ、そうだ。あの本のあのあたりに、今の私に必要な言葉があったはず…」と直感した。

記憶を頼りにページをめくり、読み返したのはこんな場面。


さらに悪いことに、心が弱ってくると急に周りのひとが気になる。
「あのひとは、あんなに頑張っているのにわたしは」
「あのひとなら、こんなに迷わないだろうにわたしは」
 言葉にならないくらいの小さな気持ちが日に日に積み重なって、いつのまにか喉元まで迫ってきて。

心に元気がなくなり、なにがしたいのかわからなくなってしまったさえりさんは、その気持ちをパートナーに打ち明ける。
そして、さえりさんのパートナーはこう言うのだ。

「なにも変わらないことの、なにがいけないの?」
「さえりはさ、なにをしたいかを考えるよりも、どう在りたいかを考えるひとだと思うんだよ。どんな生活をして、どんな自分でいたいかを考えるひとなんだよ。だから『なにをしたい』とかなくていいよ。今までのように、どう在りたいかを考える。それでいいんじゃないかって、俺は思うけど」



すとん。
腑に落ちた。

ずっと抱えていた重い荷物がすっと消えて、驚くほど軽くなり、視界がひらけた。


あ、いい風。

水の音って気持ちいい。

今朝の光、綺麗だ。 


心が軽くなったら、うきうきしてきて、
「あ、今日はこんな日にしよう」
楽しいアイデアがぽんと浮かぶ。

ひとつひとつを味わえて、そうして楽しんでいると、身体も軽くなってきて、
「ピアノ、弾きたいな」
「散歩に行こうかな」
思いつくままに好きなことをして、心がひたひたになってゆく。


そうだ。
私の誇れるものは、この心なんだ。

何か一つのものを突き詰める人に憧れるけど、そんな人になろうと頑張ってみても、無理をしているから苦しいだけ。
苦しいから、夢中になって楽しんでいる人にはどうしたって及ばない。

けれど。
私は心の向くままに歩いて、豊かに感じることができる。
ささやかな幸せを、じんわり味わうことができる。

そうすると、人にも自分にも優しくなれる。
そうだった。
私は"優しさという強さをもったひと"で在りたいと、ずっと心に誓ってきた。 


心が喜ぶことをしよう。
心を満たして、優しい自分でいよう。
そしたら世界は、美しく光って、私を包んでくれる。




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