私には友達が居ない
現在の生活は、基本自由時間で朝の散歩、趣味のボウリング、相方の送り迎え、ワンニャンの病院、買い物ぐらいしか外出しない。人と会わない、喋らない生活が続いているんだけど、それがちっとも苦にならない。
元々、1人が平気なタイプなんです。それで、気づいたのは、私には友達が居ないことだった。
辞書を見ると「互いに心を許し合って、対等に交わっている人」とあった。 私にとって友達の意味は、何をおいても、自分を犠牲にしても助け合う、という捉え方。親友ってやつと同義語。つまり、絶対に裏切らない関係。
でもねぇ、そんなん無理です。金銭的だったり、仕事上だったり、いろいろだけど、裏切られた経験、多かれ少なかれ、誰もが持ってるよね。あるいは嫉妬だったり、恋敵だったり。
人間って自分が一番大事だから、口に出さずとも、心の中でひそかに友達を批判することだってあるはず。
だから私には友達が居ない。このように割り切ると、とっても気楽。
ただ、友達が居ない代わりに、戦友と呼べる人はけっこう居ます。
人生という名の、1人で戦わなければならない戦場で、自分の人生を生き抜くため、壁を乗り越え、時には崖から落ちて、年齢を重ねていく。
そんな戦友たちは、普段全く音沙汰がない。数年、下手すりゃ10年越しに突然、連絡が来たりする。
15年ぶりに東京で再会したKさん。ほんの一年間、一緒に仕事をした仲だけど、互いに相当な変化があった。彼女のご主人の難病、胃瘻生活、苦難の人生。年の離れた夫を見送り、目的を失っていた彼女。新たな道を歩きだした彼女と新橋の居酒屋で、ビールで乾杯。
8年ぶりに連絡をくれたAちゃん。国際結婚のはずがいつのまにかシングルマザー。沖縄移住の相談を受ける。私にできることは、地元情報の提供、街の案内、住居を見つけるまでの滞在支援ぐらいだけど、彼女は今年沖縄にやってくる。
そして一昨日。確か10年前。たった3日間、沖縄でお世話しただけのEさんからメッセージ。新しく始める地域活性化事業の相談だった。当時、私がやっていたことを参考にしたいとのこと。そこで彼女の居住県で活躍している人材にマッチング。
という具合に、それぞれの人生でがんばっている人たちが、何かの折に私を思い出してくれることがある。
一見、切れたように見える縁でしかない。以後、一生合わない人だって多い。それどころか、例え会ったことのない人であっても、今という旅を続けている同志なのだから、みんな戦友だ。