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ぼっち同志で仲がいいの (皐月物語 33)

 うんこ事件以来、入屋千智いりやちさとは教室では誰とも話さないようにしようと心に決めた。自分からは決して誰にも声をかけない、そして声をかけられても必要以上は話さない。この二つの掟を自分自身に課すことにした。
 心無い女子からクラスのみんなの前で笑いものにされたとはいえ、月花直紀げっかなおきのように未だ話しかけてくる者たちもいる。これからはこれ以上男子に好意を寄せられないようにしなければならない。そのために女の子っぽくないファッションに変え、自分の属性からかわいい要素を消すようにした。授業以外はキャップをかぶり、極力顔を晒さないようにもした。
 クラスの女子は誰も話しかけてこなくなった。示し合わせたかのような行動に、千智は誰かによる統率が執られていたような不自然さを感じた。もしかしたら誰かがクラスの女子に圧力をかけているのかもしれないと、陰謀めいたことを考えた。
 男子にはその影響力が及んでいなかったようで、隣の席の直紀は最初のうちは今まで通り千智に話しかけてきた。しかし千智が全く相手にしなくなると、直紀たち男子も近寄って来なくなってきた。
 女子は想像以上に無害だった。うんこ事件がきっかけで、千智はクラス内でイジメられるのではないかと身構えていたが、親しくされないこと以外は特に何もしてこなかった。新しい友達を作りたいという、引っ越してきた時の希望は叶わなくなってしまったが、トラブルがなくなったので良かったと考えるように切り替えた。
「そんなんじゃ学校つまんないじゃん」
「うん。でももういいの。先輩と仲良くなれたし。それに友達も一人できたから」
「今日の帰りに一緒にいた外国人の子?」
「そう。ステファニーっていうフィリピンの子。ステファニーもクラスで浮いていたから、ぼっち同志で仲がいいの」
 この地区は外国人が少ない。他のクラスでは彼女のように日本語の苦手な子は外国人同士でつるんで母国語で話をしている。ステファニーも4年生の時はそうしていた。しかし5年3組になったら、クラスで外国人は彼女一人だけになっていた。ステファニーはなかなか5年3組に馴染めなかったが、千智とは6月のキャンプの時に同じ班になったのがきっかけで仲良しになった。
「ステファニーってちっちゃくてかわいい子だね」
「日本語がまだあまり上手くないけど、すごくいい子だよ。クラスの子たちって全然見る目がないの」
「千智と関わりを持とうとしない排他的な奴らだもんな。外国人ってだけで相手にしないってことなのかな。だったらそんなの相手にしなくたっていいよ」

 千智はステファニーと二人でいるようになり、学校内で心の平安を取り戻した。すると教室の中のことがよく見えるようになってきた。
 クラスの女子は千智が男子からチヤホヤされない限り危害を加えてこない。そのことはすぐにわかった。意地悪してきた子たちも男子の前ではいい子でいたいのだ。千智が男子に対して態度を豹変させたことが、千智にからんできた鈴木彩羽すずきあやはたち女子グループには好評だったようだ。だからといって、クラスの女子は誰も千智と仲良くしようとは思わなかったようだ。
「やっぱり千智は賢いね」
「反発される原因を取り除いたのが良かったのかな。もうちょっと意地悪されるのかと思っていたから、拍子抜けしたっていうか……」
「なに? バトルでもしたかったの?」
「うん。こういうのって喧嘩でもした方がスッキリするでしょ。喧嘩した後で仲良くなれるってこともあるし。でも私が攻撃的なオーラを出していたから逆に避けられちゃったかも」
「でもナメられなくてよかったじゃん。見下されるところからイジメは始まるからね」
「私は嫉妬からイジメが始まりそうになったけどね」
「そうだった。見下されるのと全く逆のパターンだわ。彩羽って奴もよく千智につっかかっていったよな」
「多勢に無勢だったから気が大きくなっていたんだよ、きっと。でも、あの時トイレで喧嘩になっていたら、私の方が一方的にやられていたかも。月映つくばえさんが止めにに来てくれて助かったよ」

 月映冴子さえこは不思議な子だった。鈴木彩羽を抑え、彼女たちを率いてお手洗いを出た時は、千智は冴子も彩羽たち側の子なのかと思った。だが、その後の冴子の行動を見ていると、彩羽たちとつるんでいる様子が全く見られない。
 冴子は誰とも穏やかに接しているが、どこかのグループに属しているわけでもない。ステファニーと英語で話をしている時もあり、ステファニーは冴子のことをいい子だと言う。
 キャンプの時、冴子はステファニーと千智と同じ班になった。千智は冴子とキャンプを通じて話せるようになったが、友達になれたとまでは思えなかった。千智はステファニー以外の全ての子を警戒していたので、冴子に心を開くことができなかった。
 冴子は千智だけでなく、誰と話していても感情を表に出さずに穏やかにしている。千智には冴子がクラスの子に心を開いているようには見えなかった。その点では冴子と千智は同類だが、冴子はどことなく大人が仕事で人に接しているように見えた。相手に不快な思いをさせず、トラブルをあらかじめ避けるような処世術だ。
「月映さんって千智がうんこって言われた時、絶対笑ってなかったと思うな」
「どうしてそう思うの?」
「ん……なんとなく、かな」
「私もそう思ってる。でも月映さんのこと、まだよくわからないな……」
「そう?」
「うん。だってあの鈴木さんを従える迫力はどこからきたのかなって思うと、ちょっと考えちゃう。冷たい目で鈴木さんを見ながら腕を掴んで黙らせちゃうんだよ。ちょっと怖いな……」
「でも敵じゃないんだよね。キャンプで何日か一緒に過ごしたんだし、月映さんのことは感覚的になんとなくわかるよね?」
「うん。いい子だと思う。あの頃は私も心を閉ざしていたから、仲良くなれるきっかけが掴めなかったのかもしれない」
「月映さんと友達になれたらいいね」
「……そうだね」
 水泳以外は完全無欠に見える千智にも悩みがあったことは、話を聞くまで皐月には想像できないことだった。そんな話しにくいことを自分に話してもらえたことが嬉しかった。

「さて、これからどうしようか。喫茶店のパピヨンにでも行ってみる? でもまだ何も飲んだり食べたりする気にはなれないか……」
「暑いけどまた豊川稲荷とよかわいなりに行ってみようよ。それとも他にどこかお勧めのところってある?」
「そうだな……豊川進雄とよかわすさのお神社にでも行ってみるか。小さいけど古い神社でさ、俺たち栄町さかえまちの子ってお稲荷さんよりも進雄神社の方でよく遊んでるんだよ」
「進雄神社って行ったことがないし、そもそも聞いたことがない」
「そっか、千智の家と地区が違うからな。進雄神社って夏祭りの花火が結構有名でさ、手筒てづつ花火とか綱火つなびとか凄いんだよ。あと町内対抗の仕掛け花火もあるし」
「何それ? 全然知らなかった! 見てみたかったな~、花火」
「毎年やってるから、来年見に行こうよ。動画ならネットに上がってるから、今から見てみる?」
「うん、見たい!」
「たぶん千智の想像している花火とは全然違うよ。火山やミサイルみたいですげ~迫力があるんだ」
「う~ん……なんか凄そうだね」
 少しでも大画面で見たいと思い、勉強机の前に座っていた千智と場所を変わってもらい、デスクの上のノートパソコンを起動させた。その時、窓の外から皐月を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
「さ~つきく~ん!」
 やっぱり誰かの呼ぶ声が聞こえる。今までの皐月は外の通りに面した部屋にいたので、友達の呼ぶ声がよく聞こえた。しかし今ではそこは及川祐希おいかわゆうきの部屋になってしまい、皐月は奥の部屋にしかいられない。窓の外からは距離が遠くなるので声が届きにくくなっていた。
 祐希の部屋を抜け、開け放たれた窓の欄干から身を乗り出すと、そこには同じ班の喫茶パピヨンの息子の今泉俊介いまいずみしゅんすけ月花直紀げっかなおき、そしてその兄貴の博紀ひろきの3人が立っていた。


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