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ひどい告白(皐月物語 103)

 昭和時代に建てられたっぽい小さな一軒家が見えた。全体的に色彩がくすんでいるが、手入れの行き届いた清潔な家で、藤城皐月ふじしろさつきはそこが自宅だと入屋千智いりやちさとに教えてもらった。皐月の家も昭和時代の建物だが、千智の家の方がずっと新しい。
「皐月君を家に招待したいんだけど、家に病気のおばあちゃんがいるから寄ってもらえないの。ごめんね」
「そんな……気にしなくていいよ。こんな髪の毛を紫に染めてるのがいきなりお邪魔したら、家の人も吃驚びっくりしちゃうよね」
「そんなことないよっ! おばあちゃんには皐月君のこと話してるし、一度会ってみたいって言ってるんだよ。でもいきなりはちょっと……」
「ははは。わかってるよ。そうか……千智はここで暮らしているんだね。今日は千智の家を教えてもらえて、良かった」
 この家を一目見た時、皐月には千智のイメージとは合わないように感じた。東京に住んでいた千智は雰囲気が豊川の稲荷小学校の子たちと明らかに違い、どこか洗練されているように見える。だが、この一分の隙もない、堅実な生活を積み重ねてきたような家を見ていると、千智に通ずるものがあるような気もしてきた。
「皐月君は電車で家に帰るんだよね。私、駅まで見送りに行く。ランドセルを置いてくるから、ちょっと待ってて」
 千智が家に入って行き、皐月は家から少し離れたところで待っていた。自分なら玄関にランドセルを放り投げて、とっとと外に遊びに出てしまう。だが、千智はおばあちゃんと少し話をしてから出てくるのだろう。自分と違って千智は丁寧な暮らしをしているように感じた。
「お待たせ」
「じゃあ行こうか」
 皐月と千智は線路に向かって歩き出した。線路の見える風景は皐月には鉄道写真の被写体に見える。町の隙間からちらっと見える列車は風景写真のスパイスだ。皐月は少し楽しくなってきた。
「千智の家って、今はおばあちゃんしかいないの?」
「おじいちゃんもいるよ。お母さんはもうすぐパートから帰ってくる」
「そうか。おばあちゃんを一人にしちゃうんだったら悪いなって思ってたけど、おじいちゃんがいるなら大丈夫なのかな」
「心配してくれたんだ。ありがとう」
 皐月は祖母を亡くしているので、千智の境遇を他人事とは思えなかった。皐月の祖父は皐月の生まれる前になくなっているので、記憶がない。
「でも、お母さんが帰ってくる前に洗濯物の片付けを終わらせたいから、先輩のこと見送ったら帰るね」
「あっ、また先輩って言ったな~」
「間違えた。皐月ちゃんだったね」
「もう皐月ちゃんでいいよ」
 皐月は自分の我儘わがままで、千智に先輩呼びをやめさせたことは良くなかったんじゃないかと思い始めた。栗林真理くりばやしまりとの関係を思うと、千智にあえて先輩と呼んでもらい、距離を縮め過ぎない方がいいのではないかとも思った。
「ねえ、千智。今日は俺のこと待っていてくれてありがとうね。学校のある日なのに、こうして千智と一緒にいられるなんて思わなかった」
「皐月君、全然誘ってくれないんだもん」
「ごめんな。塾とか勉強で忙しいんじゃないかと思ってさ。でも家の手伝いをしなきゃいけないんだったら、本当に忙しいんだな」
 千智の顔が曇った。こういう言い訳は他に恋人がいる大人の言いそうなことだ。そんなことは小学生の皐月でもわかっているが、咄嗟の時にはこんなみっともないことを言ってしまうんだなと思うと、自分自身のことをダサい奴だ思った。
「放課後の時間って思ったよりも短いな。今日は俺に何か話があって待ってたんだよな? もう話したいことは全部話せた?」
「そんなの話せるわけないよ。もっと一緒にいて、いろいろなことを話したい。話したいことなんて尽きるわけがないじゃない」
「そうだよな……。俺だってずっと千智と話をしていたいよ。千智と話しているのって、他愛もないことでもなんか楽しい」
 前々から感じていたことだが、皐月は千智とは相性の良さを感じていた。誰に対しても自分から相手に合わせにいく皐月だが、千智にはそんなことをしなくても自然にしているだけで気持ちよくいられる。この感覚は幼馴染の真理に感じる安らぎとは違うが、絶対に手放したくないと思えるほどのものだ。
「もう一つ話したいことがあったんだけど、駅に着いちゃったね」

 二人は駅前の駐車場の横にある細い道の所まで来ていた。ここは立ち話のできる場所ではない。皐月はランドセルからスマホを取り出して、稲荷口いなりぐち駅の写真を撮った。訪問した駅の写真を撮るのは皐月の趣味の一つだ。
「千智の写真も撮らせてよ。盗撮じゃなくて、堂々と撮りたい」
「いいけど、恥ずかしいな……」
「恥ずかしがっているところが可愛いんだよ」
 皐月はすぐに写真を撮らないで、千智のことをずっと見つめ続けて焦らした。
「ねえ、どうして写真撮らないの?」
「千智が可愛いからさ、見惚れちゃって」
「そんなこと言わないでよ……照れちゃう」
 千智が頬に手を添えたところでシャッターを切った。あまりにも可愛かったので、皐月は動画撮影にしておけばよかったと後悔した。
「もう行くよっ! 皐月君はさっさと家に帰りなさい」
「はい」
 照れ怒りをして千智は先に駅へ歩き出した。皐月は千智に逆らわないで、後をついて行った。皐月は改札を抜けないで、自動券売機の前で立ち止まった。
「千智も駅の中に入る? 入場券を買えば入れるから」
manacaマナカ なら持ってるよ」
「manaca って入場券としては利用できなかったような気がするんだけど。定期で使ってるの?」
「うん。週3で塾に通ってるから、定期にした」
「定期か……。定期なら大丈夫じゃないかな。ちょっと調べてみるか」
 manaca は定期利用だと、区間内なら入場券としても使えるようだ。
「次の電車まで10分くらいあるね。ホームのベンチに座ろう」
 稲荷口駅から豊川稲荷駅まで鉄道を利用する客はほとんどいない。プラットホームのベンチは線路沿いの道からはまる見えだが、この時間はあまり人通りがないようなので、思ったよりも人に見られる不快感がない。
 皐月は8基ある駅ベンチの端から2番目に座り、千智には豊川稲荷方面の一番端に座ってもらった。人目を避けるため、改札口から少しでも遠い所に座らせてあげたいと思ったからだ。目の前にはトタン張りの町工場が見える。工場は白塗りの万年塀で囲まれているので、外からは中が見えなくて、中からもこちらが見えない。これなら二人で落ち着いて話ができそうだ。
「さっき言おうとしてた、話したいことって何?」
「あ、うん……。あのね、私、塾やめようかなって思ってるの」
「えっ? やめちゃうの? 最近通い始めたばかりだよね?」
「うん……」
 千智が通っているのは岡崎にある中学受験塾だ。塾をやめるということは、中学受験をやめるということなのだろうか。
「塾がつまんないの? それとも、中学受験をやめるってこと?」
「ううん。塾はそれなりに楽しいし、受験をやめるっていうわけじゃないの。たぶん私は名古屋の中学を受験することになるんだけど、もう合格ラインに届いているから……」
「ちょっと待って……。千智って5年生じゃん。もうそんなレベルまでいっちゃってんの?」
「へへへっ。賢い?」
「うわっ、マジか! 凄ぇ……。千智は賢いな」
 皐月は幼馴染の真理が受験勉強で苦しんでいるのを間近に見ているので、千智のことを素直に賛美できなかった。屈折した感情を抱いている自分に気がついて、皐月は表情管理に自信が持てなくなっていた。
「過去問は合格者最低得点率を超えてるだけど、まだ余裕って程じゃないから、もうちょっと得点を上積みできたらやめてもいいかなって考えてる」
「ああ……。もう合格点を取れるんだったら、それ以上受験勉強したってしょうがないもんな。じゃあ千智は塾をやめて、どうするの?」
「んん……まだちゃんと考えていないんだけど、遊んだり、好きなことしたり……かな」
「時間ができれば好きなことに没頭できるね」
「うん……そうなんだけど、私、一つのことに没頭するのって苦手で……。なんかね、私ってあまり集中力がなくて、何かに没頭するっていう経験があまりないの。勉強していてもすぐに他の教科に変えたりしちゃうし、関係ないことを調べたり、好きな本を読んだりしちゃうし……」
「へぇ……。それで成果を出しているっていうことは、千智は記憶力が良過ぎて、頭の回転が速すぎるんだよ。短時間でも普通の人が没頭しているくらい、脳が働いているんだろうね。あるいは千智には時間がゆっくりと流れているとか」
「皐月君。それ、褒め過ぎだよ」
「ははは。俺、本気でそう思ってるよ」
 皐月は自分が千智と相性の良さを感じる理由がわかった気がした。千智は自分とタイプが似ている。千智は興味が多方面に分散してしまうのを、高い能力でこなしてしまうのだろう。僕には千智ほど能力がないかもしれないが、千智の行動パターンが自分のとそっくりだ。千智とだったら今まで誰ともできなかった、息の合う付き合い方ができるかもしれない。そんな予感に皐月は胸が震えた。
「もし塾をやめたら、俺と遊ぶ時間も増やせるかな?」
「それは……もちろん増やせるよっ!」
 千智がすごく嬉しそうな顔をしていた。そんな千智を見ると、皐月は少し罪悪感を覚えた。それは今していることが真理に対する背徳行為だからだ。皐月は千智の魅力に抗えず、つい誘惑するようなことを言ってしまった。無邪気に喜ぶ千智を見ると、今さら冗談ではすまされない。これからは千智と会う時間を増やさなければならないと思った。
 だがそれは皐月も望んでいることだ。皐月も千智ともっと会う期間を増やしたいと思っている。それどころか千智に触れたい、キスしたいとまで思うようになっていた。一度でもあの夢心地を知ってしまうと、性的な目で異性を見ることは避けられない。それに、皐月にはそんな官能的欲望を超える高次の霊的期待もある。
「でも、塾をやめるのって簡単なことじゃないから、ちゃんと両親と話し合って決めないとダメだからな」
「うん……。わかってる」
 皐月は千智をその気にさせるようなことを言っておきながら、年上ぶって諭すようなことを言った。しかもその裏には自分の衝動を抑えようという目論見がある。我ながら人の心を操ろうとする、嫌な奴だなと思う。
「俺さ、祐希ゆうきから聞いたんだけど、千智が塾を休んで文化祭に行くっていうの聞いた時に、ちょっと心にひっかかったんだ。そんなことしちゃっていいのかなって……」
「その時はね、勢いでメッセージに書いちゃったんだけど、後で両親に言って許可をもらったから大丈夫だよ。高校の文化祭に行く機会なんて滅多にないんだし、せっかく祐希さんに誘ってもらったんだから、行ってらっしゃいって言ってくれた」
「そうか……。それなら良かった。ちょっとご両親のことが気になってたんだ。本当に良かった」
 皐月は勉強の遅れのことだけでなく、お金のことも心配だった。真理から中学受験塾の高額な授業料のことを聞いているので、千智の金銭感覚に不安を感じたからだ。だが、千智の両親がいいというのなら、皐月が心配することは何もない。
「私ね、塾をやめても受験勉強は続けるよ。力を落とさないように気をつけないとね。体調が悪くても合格できるくらいまで学力を上げるつもり」
「堅実な考え方だね。千智は偉いな……ホント」
「真面目な子なんて嫌じゃない? 皐月君は」
「何言ってんの? 俺、真面目な子って好きだよ」
 千智は皐月の顔へ鋭い眼を見据えると、不満そうな顔になった。皐月は歩道橋の上で不機嫌そうだった千智のことを思い出し、今の言い方も良くなかったんじゃないかと焦燥に駆られた。
「それに千智ならどんなクソ女だったとしても、俺は好きだよ」
 千智はいまだに表情を変えていない。駅のホームに吹く風が皐月には妙に冷たく感じられた。
(この期に及んでクソ女はないだろう……)
 口を開いてもろくな言葉が出てこないと思い、皐月も千智のことを見つめることで、虚勢を張ろうとした。すると、千智がクスッと笑った。
「……ひどい告白だね」
「……よく言うよ。誘導したくせに」
「へへへ。でも、告白してもらえるとは思わなかったな」
 千智が清々しい顔をしている。それにしても告白とはやらかした。皐月は半ば喜ばせようとして言ったつもりだった。だが、千智に恋心がないわけではない。真理や明日美あすみと深い仲になる前だったら、気持ちの全てを千智に捧げられたはずだった。
「……これが俺の初告白ってことになるのかな? なんだか格好悪いね」
「格好悪くないよ」
「嘘だ。さっきひどい告白だって言ったじゃん」
「今までされた告白の中で一番嬉しかったよ」
「へえ……。随分モテるんだね、千智は」
「でも、好きな人から告白されたのは初めてだから。しかも初恋の人からだよ? 本当に嬉しいんだって」
「じゃあ、格好悪くてもいいや」
 千智の言葉をそのまま受け取ると、告白を受け入れたとしか思えない。こんなに一途な想いを聞かされなければ、皐月は告白の件を有耶無耶にしようと思っていた。だが、純粋に告白を喜んでいる千智を見ていると、皐月もその思いに応えなければという気持ちになる。
 さっきまでは少しくらい千智に距離を置かれた方がいいと思っていた。皐月は真理との付き合い方を、幼馴染から恋人に変えなければならないと考えていたからだ。だから千智との付き合い方もよく考えなければならない。
(なんか違うんだよな……)
 告白を受けたのはむしろ自分の方だと皐月は思っている。だが、この状況を手放しで喜んではいられない。
「皐月君。もう寂しい思いはさせないからね」
「えっ? 俺、そんな寂しそうにしてた?」
「そうは見えないよ。でも……」
 境遇の近い真理にしかわからない感情を、出会ってからまだ日の浅い、年下の千智に気付かれるとは思わなかった。一人で過ごすことの多かった皐月は愁いを表に出さないよう、明朗な少年であろうと振舞ってきたからだ。
「絶対に寂しい思いはさせないから」
「……ありがとう」
 皐月は右手を伸ばし、千智の左手の上にそっと置いた。千智は嫌がることもなく、右手を皐月の手のひらにそっと重ねた。皐月は不覚にも目を潤ませてしまった。
 黄昏の乾いた空気の中、稲荷口駅のすぐ近くの諏訪町12号踏切の警報音が大音量で鳴り始めた。皐月はその踏切警報音を聞きながら、この日の出来事を幸福な結末にするべく、千智に優しく微笑みかけた。


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