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強制はしたくないんだ(皐月物語 83)

 いよいよ修学旅行実行委員会のしおり制作が始まった。栞作りは実行委員にとって最大のミッションだ。ここさえ乗り切れば後は教師主導で委員会は進んでいく。
「じゃあ資料の1枚目を映して」
 委員長の藤城皐月ふじしろさつきが副委員長の江嶋華鈴えじまかりんに指示を出した。黒板には書画しょがカメラから大きく栞の表紙が表示された。児童のクラスと名前を書く欄以外が空白になっている。
「僕たちが借りている昔の栞を見ればわかると思うけど、この空いたところに表紙を飾るイラストを描かなければならない。修学旅行の日程や行き先、スローガンも表紙に上手くレイアウトした方がいいだろうな。表紙のイラストは黄木おおぎ君に描いてもらうことになっていて、スローガンは筒井つついさんので決まっている。表紙のレイアウトなんだけど、黄木君できる?」
「いいよ。レイアウトも自分で決めないと絵なんて描けないから」
「ありがとう。助かる」
 皐月たちが話している間、書記の水野真帆みずのまほはずっとキーボードを叩いている。今話したことを Chromebook に入力している。児童会でも書記をやっている真帆は普段からこんな風に仕事をしているのだろうか。同じクラスの中学受験組の二橋絵梨花にはしえりか栗林真理くりばやしまりとは違った有能さを感じる。
「じゃあ江嶋、次のページ頼む」
 次のページは栞の目次となっていて、各項目のページ数の部分が空白になっている。ここは栞が完成した後に対応するページ数を入れることになっている。
「次」
 テンポを速めたい皐月は言い方をシンプルにした。ちょっと感じが悪く聞こえるかもと思ったが、華鈴は表情を変えずに淡々と皐月の指示に従っている。
「ここは小学校側が考えている修学旅行の目的が書かれているね。実行委員がやることは特にないだろう。次」
 次のページは日程が書かれていた。ここもすでに学校側で決められたことだから実行委員は何もすることがない。
 その次のページは空白になっていて、ただ一行だけ「修学旅行のしおりを2ページでまとめる」と書かれていた。これはどういうことだろう、と考えていると居心地の悪い間が空いてしまう。
「空白のページのところだけど、ちょっと俺が借りている栞を見てみよう。過去の実例を見れば何がしたいのかがわかるかもしれない」
 華鈴に皐月の栞を手渡して、該当のページを書画カメラで大写しにしてもらった。
「俺の持っている栞には修学旅行のテーマやルール、あとは実行委員が書いたイラストや、謎のクイズが書かれているな……これ、どういうことだろう? みんなの栞はどう?」
 意見を聞いてみると、みんなの栞も同じ構成だった。おそらく栞の作り方がテンプレ化されているのだろう。ただ、バリエーションはあって、栞の中身が手書きの年もあれば活字で印刷されている年もあるし、イラストやクイズがない年もある。
「ちょっと次のページもめくってみて」
 皐月の手持ちの栞もこのページに該当するところは手書きで書かれていて、次のページにはルールの詳細が活字で印刷されていた。華鈴がページを進めた今年度の資料もそのようになっていて、「集団行動と約束」とタイトルが振られていて、その下に箇条書きで細かい決まりが書かれている。
「わかった。たぶん『修学旅行のしおりを2ページでまとめる』って書かれているところは、修学旅行の目的や規則の特に重要な規則だけを大まかにまとめることだと思う。この2ページだけ見ても修学旅行の全体像がわかるようにしたいんだな」
 皐月は先生の指示を解読するのに苦労した。概要とかもう少し抽象的な言葉を使って説明してくれたらわかりやすいのにと思ったが、小学生相手に言葉を選ぶのは先生にも難しいのかもしれないと理解した。
「じゃあこのページでやるべきことを整理してみるね。まずはここに修学旅行のルールの要点を書くこと。これは今年の実行委員の特色を出せるところだな。俺たちが修学旅行で何を大切に考えているかを表現できる」
 言い方が抽象的になってしまい、皐月は実行委員の全員には理解されないだろうと思った。ここの文言は話し合いで決めるよりも自分で決めてしまう方が楽だと思うが、そんなことをしたら華鈴に反発されるかもしれない。

「細かい話になるけれど、このページを手書きにするかワープロで打つかも決めないとね。あとはイラストを入れるかどうか。クイズはどうするか。とりあえずクイズはどうする? 入れた方がいい人は手を上げて」
 誰も手を挙げなかった。皐月は誰かが手を挙げたらその子に作問してもらうつもりでいた。
「じゃあクイズはなし、と。イラストはあった方が誌面が華やかになるから外せないと思う。そういうわけでイラストは実行委員全員に描いてもらうね。ワンポイントで修学旅行を連想させるようなイラストがいいな」
「マジかっ! 俺、絵下手なんだけど」
 6年2組の中島陽向なかじまひなたが抵抗してきた。陽向の文句は沈黙よりもマシだが、少しウザく感じた。
「俺の持ってる栞のイラストなんて下手くそなのばっかだぞ。でもそれがいい味出してるんだよな~、手作り感があって。イラストは1個でいいから描いてほしいな」
「わかったよ。ホント下手だからな」
「ありがとう。恩に着る」
 他の委員からは特に抵抗がなかった。皐月はこれを全員了承してくれたと考えた。
 だが陽向がどうしても描きたくないと言えば描かなくてもいいと言うつもりだった。もし他の委員が無言の抵抗でイラストを提出しなくても、それは仕方がないことだと割り切り、決して怒らないようにしなければならないと思った。
「ここに書く修学旅行のルールをまとめるのは俺と副委員長でやるよ。江嶋、いい?」
「はい」
「ありがとう」
 皐月は勝手に華鈴と二人で書くことを決めてしまったが、華鈴は素直に皐月の指名を承諾した。皐月はこの作業を自分一人でやろうと思っていたが、華鈴と二人でやってみたくなった。それは華鈴と一緒に帰り、華鈴の部屋に行った時の事が思い出されたからだ。華鈴と二人で栞を作る、ということに皐月はときめきを感じていた。
「じゃあこのページを手書きにするかどうかだけど、手書きにすると手作り頑張りましたって感じが出て、みんなから実行委員たちは頑張ったって評価してくれると思うんだよね。このページを手書きにしたい人は手を上げて」
 真帆以外の女子3人と、皐月と陽向が手を挙げた。多数決で手書きに決まった。
「じゃあこのページは手を挙げてくれた中澤なかざわさんと筒井にお願いするね」
「えーっ! そんなこと言うなら手を挙げなければよかった」
 キーボードを叩いていた真帆が一瞬笑ったような気がしたが、皐月にはその事実が確認できなかった。
「筒井は字が可愛いもんな。下書きは委員長と副委員長で考えておくから清書だけ頼むね」
「私って字上手い?」
「俺は筒井の字、好きだよ。だから筒井が書いた字の栞を読んでみたいなって、ちょっと俺の好み入れ過ぎかな?」
「上手いとは言ってくれないんだね。でもいいよ、やるから」
「ありがとう。助かる」

 この先のページは旅行のタイムテーブル、旅館での過ごし方、連絡先一覧などの実行委員が手を入れる必要のないものばかりだった。だが一つだけ大変な作業がある。それは修学旅行の訪問先について、実行委員が一人一カ所、紹介文を書かなければならないことだ。皐月は借りた昔の栞を読み、これが委員長として栞作りをする際に最も苦労するだろうな、と憂鬱になったところだ。
「ちょっと面倒だとは思うけど、観光ガイドをみんなに書いてもらうことになる。今までの実行委員もみんなやってきたようだから、これは避けられないかなって考えている」
 稲荷小学校の修学旅行の栞には毎年必ず実行委員による観光ガイドが書かれている。一人当たりの文章は半ページ程度のものだが、皐月はこの仕事が実行委員の重い負担になると思った。
「ここに書く文章はどこかの観光ガイドからパクってきてもいいと思うけど、できれば読んで面白いことを書いてもらいたい。例えばお寺の由来のような本の載っている情報を書くんじゃなくて、こんなところが面白そうだよ、みたいな感じの感情に訴えるようなことを書いてもらえると嬉しい」
「これ、イラストよりやべーじゃん」
 陽向のガヤが迷惑レベルになってきた。皐月は委員会の空気が悪くなっていると感じた。
「どの観光地について書くかは次の委員会までに決めておいてもらいたい。いいかな?」
「なあ、これって絶対書かなきゃだめなのか?」
 3組の田中優史たなかゆうしが気怠げに言った。優史は昨日、委員会を途中で帰った委員だ。陽向に影響されたのか、直接的な批判をしてきた。
「強制はできないな。嫌なら書かなくてもいいよ」
「じゃあ俺、パス」
「わかった」
「ちょっと! 簡単にわかったなんて言わないでよ」

 ここまで黙って皐月の指示通り動いていた華鈴が声を荒げた。昨日の委員会で優史が先に帰ったことを皐月は放っておいたが、華鈴はそんな皐月に反発した。今日はその時よりも強く非難してきた。
「いいよ。俺はやりたくない人に無理強いしたくないんだ。他に田中君のようにガイドを書きたくない人っている?」
「やりたくなかったらやらなくてもいいんだろ? じゃあ俺もやめる」
 陽向もやりたくないと言った。陽向は立候補ではなく推薦で修学旅行実行委員になったので、積極的に委員会に参加するつもりはないみたいだ。皐月と陽向はクラスも違う。仲がいいといっても遊びの中だけだ。その程度の関係性では全面的に協力はしてもらえないのだな、と皐月は陽向への認識を改めた。
「僕はイラストに全力を出したい。書けたら書くけど、書けなかったらごめん」
「そうだったね。わかった。黄木君は最高の表紙を描いてくれたらそれでいいよ」
「私も書かなくてもいいの?」
 中澤花桜里なかざわかおりまで言い出した。
「いいよ」
「ちょっと待ってよ、みんな。そんなこと言い出したら修学旅行実行委員の意味がないじゃない」
 華鈴の声に力がなかった。それは怒っているというよりも悲しんでいるようだった。
「そんなこと言われても……藤城君がいいって言ったから」
 花桜里は実行委員に立候補したと言っていたが、北川のクラスだから立候補ではなく指名されたのではないかと皐月は思っていた。だから花桜里も委員会なんて真面目にやりたくないと思うのは仕方のないことだと割り切らなければならない。
「委員長、これどうするの? あなたが書かなくてもいいって言うから書く人がいなくなっちゃうじゃない」

 理科室の教壇に立っている皐月は委員たちの方を見るのをやめ、隣で書画カメラを操作している華鈴だけを見て優しく話しかけた。
「俺の考えはね……栞作りが嫌なら他の仕事をきっちりとやってもらえればいいと思うんだ。実行委員の仕事は栞作りだけじゃないからね。例えば委員会で先生から言われたことをクラスのみんなに伝えることとか、修学旅行当日にクラスをまとめることとか、実行委員がやることは他にたくさんあるじゃん」
 華鈴が何も返事をしなかったので、皐月は話を続けた。
「だから栞作りでみんなにあまり負担をかけたくないし、強制もしたくないんだ」
「じゃあ栞作りはどうするの?」
「資料を見てわかったけど、作業量としては大したことなさそうだから何とかなるよ。なんなら俺がクラスの友だちに頼んで、観光ガイドを書いてもらってもいいかなって考えてる。たぶん3人くらいは協力してもらえると思う」
 皐月は学級委員の月花博紀げっかひろきと二橋絵梨花、文学少女の吉口千由紀よしぐちちゆきに観光ガイドの文章を依頼しようと考えていた。この3人ならきっと協力してくれるだろうと甘いことを考えていた。もし断られたら、全部自分で書くつもりでいた。
「あとガイド作りのことなんだけど、過去の栞の作り方から離れて、新しいアイデアを出せばいいんじゃないかな。今俺が言ったように委員以外の誰かにお願いするとか」
 華鈴はしばらく沈黙していたが、皐月の言うことに納得したのか、冷静さを取り戻したようだ。
「新しいアイデアね……こんなにみんなが嫌がるのなら、やり方を変えた方が賢明かもしれないわね」

「というわけで、今からアイデアを募るよ。ガイド作成は外せないとして、実行委員がガイドを書かなくてもすむような方法って何かある?」
 険悪な雰囲気を何とか和らげようとしたが、誰もアイデアを出してはくれなかった。何かを言えば作業を押しつけられると思っているのか、委員たちからは絶対に何も言いたくないという雰囲気を感じる。だが皐月はこの状況がかえって自分の意見を押し通せるチャンスだと思い、自分から発案してみようと思った。
「じゃあ俺からアイデアを出すね。クラスの全員にアンケートを取るのがいいんじゃないかと思うんだ。具体的には6年生全員に修学旅行で行くのを楽しみにしている場所とその理由を書いてもらう。みんな嫌がるといけないから、ほんの一言だけ書いてもらえればいいんだ」
「一言でいいならみんな書いてくれるかもしれないわね」
 皐月のアイデアに華鈴は賛成してくれた。他の委員の反応も悪くない。
「うん。これも強制したくないから、書きたい人だけに書いてもらう。記名してもらえたら読むほうも面白いと思うけど、記名が嫌な子は無記名でもオッケーにする。どう?」
「それ面白そうじゃん。俺、読んでみたい」
「じゃあ陽向、協力してくれるんだな。実行委員のみんなにはクラスでアンケートを集めてもらわなければならなくなるけど、いいかな?」
「これなら協力してもいいよ。アンケート取るだけなら楽だし、俺も一言でいいんだよな」
「ありがとう。マジ嬉しいよ。もちろん陽向も一言でいいよ。でもこんなアンケートなんて面倒くさくて嫌だっていう委員がいたら、そのクラスはアンケートを集めなくてもいい。強制はしたくない」
 皐月は口には出さないが、状況的に6年3組の田中優史と中澤花桜里に向けて言った。皐月が二人を見ながら言うと、華鈴も皐月に合わせて二人を見た。皐月は優史か花桜里が何かを答えるまでずっと見続けるつもりでいた。
「どうする? 田中君」
「やらなくてもいいならやめようぜ、面倒臭ぇ」
「え~っ、私みんなが書いたの読んでみたいな……」
「だったら中澤が勝手にやれよ。俺パス」
「そんな……」
 優史のやる気のなさに花桜里が泣きそうになった。いつも穏やかな美耶が凄い顔で優史を睨んでいる。
「ちょっと田中君、あなたも実行委員ならもう少し--」
「やめろ! 江嶋」
 皐月は華鈴の言葉を遮るように言葉をかぶせた。
「どうして? みんなで協力しないと実行委員会の意味がないじゃない」
「意味なんてなくてもいいんだよ。やるべきことだけきっちりとやれば」
「意味ないとか言わないでよ。委員長ならもう少しみんなとうまくやろうとか思わないの?」
「しょうがないじゃん。ここにいる委員だってみんなやりたくてやってるわけじゃないんだから。嫌々やらされてる奴だっているだろ?」
「嫌々やらされてるからじゃなくて、藤城君のことを嫌ってるから非協力的なんじゃないの? あなたが態度を改めるべきよ」

 みんなが自分のことを嫌ってると言いながら、本当は華鈴が自分のことを嫌っているんだな、と皐月は思った。さすがの皐月もこれには堪えた。
「……そうかもしれないな。江嶋も俺のことが嫌なら協力してくれなくてもいいよ」
「そんなこと……私ができるわけないでしょ」
「ありがとう。どんな形であれ、協力してくれるのは嬉しいよ」
 そうは言いながらも皐月はもう華鈴には頼れないことを覚悟した。頼めば華鈴なら義務感から自分のことを助けてくれるとは思うが、華鈴が自分のことを嫌っているのなら、自分から距離を置こうと思った。
「私は協力するよ。藤城君の委員会の進め方、小気味よくて好きだから」
 キーボードを叩く手を止めて、真帆が皐月に言葉をかけた。
「水野さん、ありがとう。俺……本気で嬉しいよ」
 悲しみに暮れている時に真帆から優しい言葉をかけられ、皐月はうっかり泣きそうになった。孤立無援ではないことがこんなにも心を強くするとは思わなかった。
「水野さん、もしよかったらアンケートの集計手伝ってもらえるかな?」
「いいよ。入力系なら任せて。PCでやる作業なら全部私がやるよ。栞作りなんか簡単だから」
「本当? 水野さんってパソコン得意なの?」
「まあ、それなりにだけど。他にあまり能がないけどね」
 真帆が初めて委員会で笑った。皐月は勝手に真帆のことをクールで近寄り難い子だと思い込んでいた。良く見ると真帆はショートボブがよく似合い、ナイロールメガネとの組み合わせが仕事ができるオーラを醸し出していた。皐月の好きなタイプだ。
「助かる。俺もパソコン使えないわけじゃないけど、オフィス系のアプリってあまり使わないから、これから勉強しようと思ってたんだ」
「いいよ、そっちは全部私がやるから。じゃあ明日までにアンケート用紙を作っておくね。委員会でアンケート用紙を各クラスの人数分配れるように用意しておくから。フォーマットは私に任せて」
「頼む」
 真帆という強い味方ができ、皐月は平常心を取り戻した。委員のみんなを早く家に帰そうと自分が考えていた予定が少し遅れてしまったので、皐月は委員会を終わらせようと思った。
「そういうことだから明日の委員会でアンケート用紙を配るね。明後日の朝の会でクラスのみんなにアンケート用紙を配ってもらって、その次の日の委員会までには回収してもらいたい。明日、委員会のみんなに配って、明後日、クラスで配り、その次の日に回収。いいね?」
 委員たちが少しざわついているが、協力はしてもらえそうに見えた。
「アンケートは全員分集まらなくてもいいから。みんなもクラスの子に強制しないでね。とにかく楽しんでやろう。絶対に今までで一番面白い栞になると思う」
「どうかアンケートのご協力お願いします」
 皐月の言葉に続いて華鈴が委員会をまとめようとしてくれた。華鈴は席を立ってみんなに向かって頭を下げた。思わぬ華鈴の行動に皐月は感動し、華鈴にならって頭を下げた。
「今日の委員会はこれで解散。明日もよろしく」


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