修学旅行の班行動、京都巡りのタイムテーブル(皐月物語 91)
藤城皐月が児童会室から6年4組の教室に戻って来くると、机の配置が給食の時のままになっていた。午後からの学活は班活動だ。いつもは隣にいる二橋絵梨花が皐月の正面になり、前後に座っている栗林真理と吉口千由紀が皐月の両隣になる。皐月は好きな女の子たちに囲まれたこの席の並びをとても気に入っている。
始業のチャイムが鳴った。学級委員の月花博紀が席を立ち、クラス全員に指示を出した。
「先生が教室に来るまでに Chromebook を起動して、ネット接続を確認してください」
教室内は少しざわついた。たとえ授業でも、学校でネットに繋がるのはテンションが上がる。Chromebook を使う授業の時、前島先生はわざと数分遅れて教室にやって来る。
前島先生が教室に入って来ると、博紀が「起立、礼、着席」と号令をかけた。この古風な挨拶は稲荷小学校では6年4組しかしていないらしい。皐月が5年3組の時は北川先生の意向で学級委員がいなかったので、日直が「これから5時間目の学活を始めます」と言い、児童は「よろしくお願いします」と答える方針だった。皐月は今のシンプルな挨拶の方が好きだ。
授業が始まって、先生が今日の予定を発表した。
「今日はみなさんに京都での班行動の行き先を最終決定してもらいます。その後は、班行動の予定表を作成してください。予定表ができたら先生に提出してもらいます。その時に予定表について話し合いをしたいので、班のメンバー全員で先生のところへ来て下さい」
修学旅行初日の予定表を班ごとに作成するのは、クラスで行う修学旅行の事前準備の中で最も重要な作業だ。初日は子供たちだけで京都を旅行することになるので、万全を期すためにも作った予定表は先生に検証をしてもらわなければならない。
モデルコースを採用している班は問題ない。すでに先生によって作られた予定表があるので、それに従って行動すればよい。6年4組の5つの班のうち、2つの班は完全にモデルコース通りに班行動をすることを表明している。
だが、松井晴香の班と SNS が好きな新倉美優の班は訪問先を一部変更することを希望し、皐月たちの班は自分たちで全てのコースを決めることを希望した。この3つ班は自分たちで予定表を作らなければならない。
皐月たち3班は鉄道ヲタクの岩原比呂志が中心となって予定表を作り始めた。皐月が児童会室に言っている間にみんなで訪問先を決めていたので、あとは順路と時間の使い方を詰めるだけだ。皐月は比呂志の作った予定表を見て、さすがは比呂志だと感心した。
「岩原氏は相変わらず緻密な計画を立てるね」
「順を追って経由地を並べて書いただけだから、まだまだこれからですね。後は藤城氏に活躍してもらわないといけませんね」
比呂志は時刻表を読むのが趣味の一つで、架空の旅行計画を立てて遊ぶのが好きだ。皐月は学校の昼休みになると、比呂志とよく一緒に時刻表で遊んでいる。時刻表を使って、日本中の県庁所在地を何日で回れるかを競い合ったこともある。比呂志は家でも、昔の時刻表を使って同じような遊びをしているそうだ。
班のみんなで話し合って、バスを利用しないことは決めてあった。比呂志が京都のバスを研究してわかったことは、バスは時間が読めないことだった。バス旅は鉄道の旅のようなわけにはいかない。比呂志の主張を班のみんなは受け入れて、訪問先は鉄道と徒歩の組み合わせだけで行ける場所から絞って決めた。
「鉄道と徒歩なら時間の計算ができるから、学校のプランよりも多くの箇所を回れますね」
学校から提示されたモデルコースは訪問先が3~4カ所になっているが、皐月たちの班は5カ所も回る。細かいところまで数えると7カ所だ。
「じゃあ、時刻と経路を詰めて行きましょう」
Google マップを利用して経路と時刻表を調べた。比呂志はアナログだけでなく、デジタルも使いこなせる。徒歩での移動は移動距離と移動時間をGoogle マップに算出させた。このアプリは徒歩の経路を手動で変更できるから便利だ。
「訪問先の滞在時間はその場所の希望者に考えてもらうね。今からみんなで手分けして調べて」
班長の千由紀からの提案だ。
まずはみんながどこにどのくらい滞在したいかの意見を出してもらった。ウェブサイトに神社仏閣の境内図が載っているので、想像力を働かせて滞在時間を見積もった。皐月の買ってきた『るるぶ』には訪問先のおよその所要時間が書かれているので、それも参考にした。
その時間を比呂志が作った予定表に落とし込んで、鉄道の発車時刻を決めた。みんなが主張する滞在時間はどうしても長めになってしまうので、話し合いでどこをどのくらい削るかを決めた。
そのようにして、6時間目の20分を過ぎた頃に皐月たち3班のタイムテーブルが完成した。
「できたね! これ、完璧じゃない?」
相当面倒だと思っていたタイムテーブルの作成が短時間でできた。皐月は有能な人たちが力を合わせると仕事が早いことを実感した。
「分単位でスケジュールを組むなんて、凄いを通り越してキモいね」
細かいことが苦手な真理から見ると、この予定表は脅威的だ。辛辣な言葉を吐きながらも、言い方に敬意が込められているので、比呂志は嬉しそうに真理の言葉を聞いていた。
「バスじゃなくて鉄道で予定を立てたから、ここまで細かく具体的に決められたんだと思う。鉄道好きの岩原さんのお陰かな。私、京都の旅行ってバスやタクシーで移動っていう先入観があったよ」
絵梨花は成果をきちんと評価して、その中心人物を讃えることができる。クラスの男子は絵梨花と話をする機会がほとんどないので、絵梨花のこの能力はあまり知られていない。もしクラスの男子が絵梨花の性格を知ったら、もっと人気が上がっているだろう。
「私は鴨川デルタでお弁当が食べられるのが嬉しい」
鴨川デルタは千由紀が行きたいといった場所だ。皐月たちは誰も鴨川デルタを知らなかった。みんなで調べてみると、小説や映画の舞台になったり漫画やアニメにも出てくる聖地らしい。
皐月には京都と言えば平安京といった市街地のイメージが強かった。だが千由紀は京都の旅行なのに、自然の中でご飯を食べられる時間を考えた。しかも下鴨神社のすぐ近くだ。これは千由紀のファインプレーだ。
「じゃあ、これを先生に見てもらおう」
作成したファイルをサーバーにアップロードし、班の6人全員で前島先生の元へ向かった。
教室の窓際の角にある先生の机の周りはいつもよりも場所を広く空けてある。ここに児童たちは自分の椅子を持ってきて、じっくりと腰を据えながら先生とスケジュールの打ち合わせをする。皐月たちの班は予定表の提出が一番遅かった。
「先生、3班の予定表ができました。検証よろしくお願いします」
「はい。じゃあ見せてもらいますね」
比呂志がアップロードしたファイルを前島先生が開いた。
「うわ~っ、細かいわね~」
前島先生の驚く顔を見て、比呂志が得意そうな顔をしている。比呂志にとっては細かいという評価は称賛に等しい。鉄ヲタ比呂志の面目躍如だ。
「遅延が頻発するバスは一切使わないようにしました。鉄道と徒歩だけで計画を立てたので、時間的にはほぼこの通りに行くと思います」
班長の千由紀を差し置いて、比呂志が先生に答えた。みんなの行きたいところを繋ぐのは比呂志のミッションだった。千由紀は最初から、先生に検証をお願いする時は比呂志に解説をお願いすることを決めていた。
「それにしてもよく歩くわね……」
「だいたい移動距離で10kmくらいですかね」
「10km! 修学旅行というよりも遠足みたいね。10kmと言っても参拝の時も境内を歩くでしょうし、実際はもっと距離が延びますね。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
前島先生の心配に比呂志は即答した。
「清水寺から祇園四条駅までは単に移動ではなく、街歩きなんです。楽しいからたくさん歩いても平気です」
比呂志の言葉足らずの返事では説得力がないと思い、千由紀が先生に移動距離が長くなった理由を説明した。
産寧坂、二寧坂、ねねの道、円山公園と歩いて八坂神社まで行き、祇園四条駅までは花見小路通を経由するという大回りになる。およそ1時間の歩きになるが、途中に見所がたくさんあるので、みんな今から楽しみしていることを伝えた。前島先生は予定表を見ながら、少し考え込んでいた。
「そうよね……旅行だから、そりゃ歩くわよね。疲れの出ないよう、班のみんなで気をつけてくださいね」
「はい」
ほっとして、みんなで顔を見合わせた。この街歩きを提案したのは皐月だ。皐月の提示した徒歩の所要時間はあまり時間的な余裕がなかったので、先生に却下されるかと心配していたが、とりあえず認められた。
「先生ちょっと気になるところがあるんですけど……清水寺での時間、短くないですか? 1時間くらいはみておいた方がいいと思いますよ」
「それは班内でも議論をしました」
千由紀が清水寺の参拝ルートを説明した。仁王門と抜けて西門、鐘楼、三重塔を見ながら、清水の舞台と言われる本堂へ行く。その後は縁結びの神様が祀られている地主神社へ行く。
時間をかけたいのは本堂だ。清水の舞台をじっくりと味わいたいというのがみんなの総意だった。オカルト好きの神谷秀真は清水寺よりも古い地主神社に興味津津だ。千由紀は本堂と地主神社での時間の使い方次第では、絶景撮影スポットの奥の院と、学問や恋愛などにご利益がある音羽の瀧は諦めることになるかもしれないことを先生に伝えた。これは清水寺訪問を希望していた真理の妥協案だ。
「混雑していると、想像以上に時間がかかるかもしれないわね。空いていれば時間が余ってしまうかもしれないし、難しいところね。全てを見なくてもいいとは思うけれど、できることなら奥の院と音羽の瀧は諦めてもらいたくないわね。奥の院からの景色は写真などでよく見るけれど、やっぱり実際に自分の眼で見てもらいたいわ」
学校から推奨されている清水寺での参拝時間は1時間だ。皐月たちは45分でも大丈夫だと結論を出したが、状況次第では真理の妥協案になってしまうかもしれない。
「あと気になるのは昼食の時間ね。鴨川デルタでお昼ご飯を食べるのは素敵だと思いますが、時間が20分しかないのは短すぎませんか?」
「給食で実際に食べる時間が15分くらいなので、まあ大丈夫かなって思いました」
千由紀は最初の段階では30分と考えていたが、スケジュールを詰める段階で10分削った。
「先生はもう少し鴨川デルタを楽しむ余裕があった方がいいと思うのですが……。飛び石を渡ったりして遊ぶのも楽しいですよ」
前島先生は鴨川デルタに行ったことがあるという。大学生の時に京都の大学に進学した友だちの家に遊びに行った時に連れて行ってもらったそうだ。あまたある寺院よりも鴨川デルタの方が今でも印象に残っていると、懐かしそうに話してくれた。
「下鴨神社は余裕を持っておよそ1時間くらいの時間を充てているので、鴨川デルタとの時間配分を調整すれば大丈夫だと思います」
「先生、参道の糺の森は直線距離で500メートルくらいしかないし、境内社を参拝するのだってそんなに時間がかからないから、実質30分くらいで一通り回れるよ。お腹のすき具合と相談して、先に神社の参拝を済ませてもいいし」
秀真は先生の話を聞いて、河合神社よりも鴨川デルタの優先順位を上げようと提案した。秀真のお目当ての摂社・河合神社も大きくはないので、参拝をするのにそれほど時間はかからない。秀真はあまり自己主張をしてこなかった千由紀を立てようとしているようだ。
「……そうね。まあ、あなたたちならここは大丈夫そうね」
前島先生の鴨川デルタでの思い出が聞けて、みんなの期待がより高まった。そのお陰で、秀真から新しい折衷案が出てきた。
「伏見稲荷大社にも行くのね。先生、伏見神寶神社は知らないんだけど、この神社はどういったものかしら?」
ここは秀真の希望する訪問先なので、説明は秀真に任せた。
「伏見神寶神社は伏見稲荷の敷地内にあるんだけれど、摂社とかじゃなくて独立した神社なんです。しかも伏見稲荷よりも古い。それに狐じゃなくて龍が祀られているんです」
「へぇ~、そうなんですね。とてもユニークな訪問先ですね。先生、初めて聞きました」
「伏見神寶神社には十種神宝という十種類の宝物が祀られていて、これは正式には天璽瑞宝十種って言うんですけど、邇芸速日命が天孫降臨に先立って高天原から天降りする際に天照大御神から授かった----」
「ストップ! 秀真、そこまで!」
秀真が暴走し始めたのを皐月が止めた。秀真は自分の得意分野を話し始めると周りが見えなくなる悪癖がある。秀真も自分が張り切り過ぎたことを自戒して先生に謝り、訪問の予定を話し直した。
「一応、伏見神寶神社に参拝したら、引き返すつもりでいます」
「え~っ、三ツ辻までは行こうよ!」
絵梨花が珍しく感情的になった。秀真は伏見神寶神社にさえ行ければいいと考えているようだが、絵梨花はもっと観光を楽しみたいようだ。伏見稲荷の境内図にアクセスして調べてみると、絵梨花の言う三ツ辻辺りで折り返しても時間的には少ししか変わらない。
「じゃあ三ツ辻まで行こう。ごめんね、二橋さん」
秀真は自分の強引さを謝った。修学旅行実行委員の筒井美耶は秀真のこの性格が苦手だと皐月に言ったこぼしたことがある。
「毎年、伏見稲荷大社をコースに選ぶ班の中で、稲荷山を一周するっていう子たちがいるのですが、あなたたちは引き返すのですね」
「稲荷山を踏破する人たちなんているんだ。すげ~っ!」
「稲荷山は一周約4km、2時間ほどかかります。他の訪問先を削ってまでして稲荷山に登るんですって。そういう楽しみ方もあるんですね」
「時間があれば登りたいんだけどな……」
神社好きな秀真は稲荷山に登る子たちがいるということにショックを受けていた。バランス型の自分たちの班の予定よりも、そういう一点集中型の予定の方が秀真の好みだ。
「あとは問題なさそうですね。東寺は標準的な見学所要時間です。よく考えられていますね。京都駅でお土産タイムですか。時間的にも余裕がありますね」
「途中で遅れることがあったら、京都駅での時間を削るつもりでいます」
これは班長の千由紀の意志だ。訪問先の移動の途中でお土産を買うことで、予定に遅延が起こることを織り込んでいる。でも、できるだけ京都駅での買い物の時間は確保したいと思っているので、スケジュールの厳守を目標にすると先生に言い切った。
「このスケジュールだと、バスをやめて賢明だと思うわ。京都は鉄道以外は信じちゃダメって言われています。よく鉄道だけでルートを作りましたね」
「鉄道で行けない場所は今回は見送りました。その分、みんなが行きたいところは全て回れると思います」
「先生がちょっと気になるのは、スケジュールが詰まり過ぎているように感じることです。お手洗いの時間は大丈夫ですか?」
「……あまり考えていなかった」
鉄ヲタの比呂志はトイレ休憩のことを見落としていた。旅慣れていない女子たちも、比呂志の情熱に引っ張られてこの問題に気付かなかった。
「お手洗いは最優先に考えてあげてね。後の予定に支障が出ることがあるかもしれないけれど、その場合は訪問先を一つ諦めなければならないことも覚悟しておいてくださいね。決してお手洗いに行く人を責めてはいけませんよ。その時は予定の立て方が悪かったというように、謙虚に受け止めてくださいね」
「はい」
「大丈夫かな……」
千由紀が深刻な表情になっていた。
「とにかく、全ての訪問先で必ずトイレに行くことにしよう。そのうえで全ての訪問先には必ず行こう」
皐月は千由紀の心配を取り除こうとした。場合によっては訪れるところを削ったり、駆け足で回ることも厭わないと考えた。その時は自分が汚れ役を引き受けるつもりだ。
「やっとわかった。学校が勧めるコースの訪問先が少ない理由が。トイレの時間を考慮しているんだね」
「バスを使った移動時間もかなり余裕を持たせているのよ。バスは絶対に思うようにはならないから」
学校が配付したモデルコースに批判的だったのは男子の3人だった。男子は女子のお手洗いに対して配慮が欠けていた。皐月はこの見落としを恥ずかしく思った。
「3班の京都プランはこれでいいでしょう。今後も情報収集は続けて、補足情報をどんどん追加していってくださいね。旅行の3日前にもう一度確認したいので、その時は再度提出をお願いします」
皐月たちよりも先に訪問先の予定表の検証が終わった班はネットを使って訪問先や使用する交通機関などの情報収集をしている。補足情報が補完された予定表は後で先生に提出しなければならない。だがこれは修学旅行3日前に提出すればよいので、時間をかけてじっくりと調べることができる。
「先生、再提出で旅行プランが不採用になることはあるんですか?」
千由紀が心配そうな顔をして先生に聞いた。
「いいえ。予定の変更さえなければ、その心配はありません。旅行の当日に先生たちが児童の行き先を詳細に把握しておきたいから、より詳しい情報が欲しいのです。行動を管理されているようで嫌かもしれませんが、児童の安全を考えてのことですので了承してくださいね」
「はい」
皐月はこの学活が楽しくて仕方がなかった。修学旅行初日の京都での班行動に関しては、担任の前島先生が全てを主導して話を進めてくれる。
修学旅行実行委員の皐月と美耶はこの件に関しては何もしなくていいと先生から言われている。実行委員の限界を超えることは先生に任せておけばいいと言われたことで、皐月と美耶は普通の6年生の児童として、心から修学旅行の準備を楽しむことができた。
「情報収集は手分けしてやりましょう」
千由紀から班のみんなに指示が出た。
「私は鴨川デルタと下鴨神社を調べる。藤城君は八坂神社から祇園を通って祇園四条駅までね。栗林さんは清水寺と産寧坂、二寧坂、ねねの道。二橋さんは東寺。神谷君は伏見稲荷大社と伏見神寶神社。岩原君は鉄道の乗り継ぎや徒歩での移動経路と京都駅をお願いします」
「清水寺から八坂神社までの街歩きは俺も調べるよ。真理、一緒に調べようぜ」
「皐月が全部調べてくれてもいいよ」
「なんだよ。清水寺って言ったら産寧坂と二寧坂はセットだろ?」
「冗談よ。どんなお土産物屋さんがあるか楽しみだな」
千由紀はそれぞれが行きたいところを調べるように言ったけれど、この班の誰もが人の領域にも首を突っ込んできそうな雰囲気があった。皐月たちの班は修学旅行の準備を通じて、今まで以上に仲良くなっていた。
最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。