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救済の女神(皐月物語 125)

 夜も8時を過ぎると、豊川稲荷表参道の店のほとんどがシャッターを下ろしていた。みちるの駆るホンダ・ビートは人気のない道をゆっくりと走り、藤城皐月ふじしろさつき小百合さゆり寮まで連れ帰った。玄関に行燈看板がぼんやりと灯っていた。
百合ゆり姐さんに挨拶しておかないとね」
 ヘッドライトを消してエンジンを切ると、車の中の二人は夜の静けさに包まれた。皐月が助手席から降りると、満も皐月に続いた。行燈の淡い光に照らされた満は一分の隙もないホステスの顔に変わっていた。
「ただいま~」
 玄関の戸を開けると、楽器置場になっている取次から居間までの全ての戸が開け放たれていた。居間では小百合さゆり頼子よりこがお酒を飲みながら談笑していた。
「おかえり」
 小百合が立ちあがり、皐月を迎えに出た。皐月の背後にいた満が小百合に頭を下げて挨拶をした。
「名古屋は楽しかった?」
「うん。満姉ちゃんが大須商店街でいろいろな店に連れてってくれたから、めっちゃ楽しかった」
「百合姐さん、すみません。皐月にアフター付き合わせちゃって」
「あれ~? 玲子れいこさんのクラブってアフター禁止じゃなかったっけ?」
 小百合はお座敷がなく、お酒が入っているせいか上機嫌だった。皐月はひとまず安心した。
「百合姐さん、これお返ししますね。全然手をつけていませんから」
 満がバッグから封筒を出し、小百合に手渡した。出かける前に預かったガソリン代と食事代だ。
「何言ってんの。晩御飯もお世話になっちゃって、これじゃ足りなかったんじゃない?」
「いいんですよ。今日は皐月に私の趣味に付き合ってもらったんですから。お金なんて受け取れません」
 満の毅然とした態度に小百合は抗しきれなかった。満には同い年の芸妓げいこ明日美あすみにはない強さがある。
「じゃあ百合姐さん。私、帰りますね。今日はありがとうございました」
「こちらこそ皐月の相手をしてもらっちゃって、ありがとう。気をつけて帰ってね」
 満が家を出て行ったので、皐月も見送りに玄関を出た。小百合と頼子が玄関を出た時、満は車の乗り込むところだったので、改めて二人に頭を下げた。満が上を向いて手を振ったので、その視線の先を見ると二階の欄干に手をかけていた祐希ゆうきが満に頭を下げていた。この時の祐希を見た皐月は背中に悪寒が走った。皐月が運転席のすぐ横へ行くと、満は車に乗り込んだ。エンジンをかけ、サイドウィンドウを下ろした。
「じゃあ、またね」
「うん」
 無限のマフラーに交換されたビートは重厚感のあるエキゾーストノートを奏で、低い回転数で細かくシフトアップしながら遠ざかっていった。皐月は赤く光るテールランプがパピヨンの角を曲がり終わるまで、その場から動かずにずっと見送っていた。

 皐月が家に戻ると、小百合に買ってきた服を見せるように言われた。まず最初に買ったチルデンニットのベストを見せた。
「あら、懐かしい。昔こういうのが流行ったわ」
 頼子が嬉しそうに皐月が買ってきた服を自分の体に当てて喜んでいた。皐月はこの服がこんなにも大人受けするとは思っていなかった。
「古着屋で買ったから、昔の服だよ。レディース物なんだ」
「ちょっと着てみてよ」
 小百合に促されたので、皐月はカーディガンを脱いでベストを着た。その時、祐希が二階から下りてきた。
「あんたが着ると、あまり昔っぽく感じないわね。満にしてはいい服を選んだな~」
「満姉ちゃんは男っぽい服、好きじゃないみたい。この服に決める前にメンズ服の店を10件以上回ったんだけど、反応が悪かった」
「そういえばあの子は男嫌いだったわね。そうか……だからレディースにして中性的にしたんだ。こういう服って凛子りんこが喜びそうね」
 皐月は1学期までは髪を伸ばして女の子っぽくしていたが、それは小百合の同僚の芸妓げいこの凛子に勧められたからだ。凛子は男嫌いではないが、まだ小さかった皐月に娘の真理まりの服を着せて、女の子みたいだと喜んでいた。
「祐希、どう? 似合ってる?」
「うん……似合ってる」
 皐月は祐希の反応の薄さが気になった。こういうのは祐希の好みじゃなかったのかもしれないと思い、もう一着の服を出して見せた。
「こっちの服も見てよ。上下セットで買ったんだ」
 皐月は紙袋から黒のベストと白いシャツ、黒のハーフパンツを取り出した。これは自分で選んで買った服なので、チルデンニットのベストよりも反応が気になっていた。
「あんた、またベスト買ったの?」
「いいじゃんか、別に……。この季節って体温調節が難しいんだよ。俺が半袖で学校行ったら文句言うくせに、細かいこと言うなよ」
 今着ていたベストを脱ぎ、黒のベストを羽織った。このベストは前開きだ。今穿いている黒のテーパードパンツとも相性がいいが、新しいシャツとハーフパンツに着替えたくて隣の小百合の部屋に行った。
「どう? こっちは女っぽくなくてイケてるでしょ?」
「皐月ちゃん、格好いいわね。まるでアイドルみたい」
「ホント? やべーな。俺、モテちゃうかもしれない」
 頼子は昔から男性アイドルが好きだったので、皐月は頼子に最高レベルで褒められたんだと思った。
「あんたは体操服ばかり着ていたし、冬でも半袖半ズボンだったからモテなかったのよ。私が買った服で学校に行けば絶対にもっとモテたんだから」
「そうかもしれないね。俺、ママに買ってもらった服でコンカフェに行ったら、キャストの女の子たちが格好いいねって褒めてくれたよ」
「あんた、コンカフェなんかに行ったの?」
「行ったよ。満に連れられて何軒もハシゴした」
 本当は2軒しか行かなかったが、時間延長のアリバイ作りのために皐月は少し盛って話した。
「ハシゴってあんた……。満のバカ、何考えてんのかね」
「別に普通のカフェだったよ。近所のカフェより店の雰囲気とか女の子の制服が凝ってて、食べ物や飲み物が可愛いだけじゃん。値段はけっこう高かったけど……」
「ねえ、皐月ちゃん。そのコンカフェってのは楽しかった?」
「うん。すっごく楽しかった。また行きたいけど、遠いしお金がかかるからもう無理かな」
「当たり前だ。コンカフェなんて子供の行くところじゃない」
「なんだよ……。行かないって言ってんじゃん。それにママの選んだ服を褒められた話をしたのに、なんで怒るんだよ」
 皐月はスマホを取り出して、最初に行ったコンカフェのインスタを小百合に見せた。
「ほれ。こういう所だから。別にヤバい店じゃないだろ?」
 小百合に見せると頼子が横から覗き込んできた。祐希もその背後から眺めていた。スマホの画面には女の子の客とキャストの女の子、店の健全な雰囲気や出される可愛いフードの写真が映されていた。
「ねえ、小百合。私もコンカフェに行ってみたくなっちゃった。とても可愛いお店ね」
「私はいい」
 小百合は席を立って台所へ行ってしまった。
「ねえ頼子さん。このハーフパンツのウエストを詰めたいんだけど、ミシンってどこにあったっけ?」
「ミシンなら小百合の部屋にあるけど……。皐月ちゃん、自分でウエストのサイズ直せるの?」
「一応やり方は知ってる。やったことはないけど、まあ自分でなんとかなるかなって思って……」
「サイズ直しくらい私がやっておこうか? ちょっと見せてみて」
 頼子にウエストを見てもらい、後ろと両脇の3カ所を詰めてもらうことにした。皐月は後ろの詰め方しか知らなかったので、頼子に任せてバランスの良い形にしてもらった方が良さそうだ。
「明日中に直しておいてあげる。もう遅いからお風呂に入っちゃいなさい」
「は~い」
 皐月はすぐにでも風呂に入りたかった。今は少しでもいいから一人になる時間が欲しかった。家に帰った途端、一日の疲れがどっと出た。

 風呂を上がった皐月は部屋に戻ると修学旅行の訪問先の法隆寺について調べようと思い、ノートPCを起動した。今週の木曜日から修学旅行だ。京都については班行動のためにいろいろ調べたが、奈良については学年全体で参拝するので、まだ積極的に調べては思っていなかった。
 PCの起動が終わる前に部屋の襖がノックされた。返事をすると、ベッドの横の襖が開いた。
「今大丈夫?」
 さっきまで部屋着だった祐希はすでにパジャマに着替えていた。
「うん……まあいいよ」
「何かしようとしてた?」
「うん……別に後でいいや。どうしたの?」
「名古屋の話、聞かせてほしいなって思って……」
「わかった。じゃあ、そっちの部屋に行く」
 ベッドを乗り越えて祐希の部屋に移動しようと思ったが、開かれた襖の向こうにはすでに蒲団が敷かれているのが見えた。祐希は勉強机に戻っていたので、蒲団だけが浮かび上がる奇妙で淫靡な空間ができていた。皐月は祐希の部屋に入るのを躊躇した。
「ちょっと飲み物を取りに行こうか」
 祐希は皐月の部屋を通り抜けて一階へ下りて行ったので、皐月も祐希について行った。二人で蓋つきタンブラーにお茶を入れ、居間に顔を出して母親たちに挨拶をした。
「おやすみなさい」「おやすみ」
「二人とも明日から学校があるんだから、早く寝なさいよ」
 急な階段を皐月が先に上がると、後から祐希がついてきた。皐月は部屋に入ると起動したばかりのPCをシャットダウンし、その背後を祐希が通って自分の部屋に戻った。
「皐月」
 祐希に呼ばれた皐月はベッドの横の襖の開いたところから祐希の部屋を見た。祐希は敷かれた布団の上にちょこんと座っていた。皐月もベッドを乗り越えて祐希の部屋に入り、畳に座って自分のベッドを背もたれにした。
「服屋さんを何軒も回ってきたって言ってたみたいだけど、名古屋のどこに行ってたの?」
「大須商店街って知ってる?」
「名前くらいは聞いたことがあるよ」
「大須ってアパレルショップや古着屋が何十軒もあってさ、今日はショップを片っ端から見て回った」
 大須商店街がどんな所でどんな店があったかを詳しく話していると、皐月はあることに気が付いた。聞かれたくないことを聞かれないようにするためには関係ない話をして時間を稼ぐことだ。退屈させて、話を誘導されないようにするためには面白く興味深い話をしなければならない。
 祐希が一番聞きたいことは、自分と満が遅くまで何をしていたのかということだろう。だから皐月はできるだけ満と関わりのない内容を話すようにした。コンカフェのことを聞かれたらどんな店でどんな女の子がいたか、車のことを聞かれたらビートがどんなに楽しかったか。今日は色々なことがあったので、話題が尽きることはなかった。
「満はすぐにコンカフェに入りたがるんだよね。でも、俺は普通のカフェにも入ってみたかったな~。祐希と大須でカフェ巡りができたらいいなって思ったよ」
 話の端々で祐希と一緒だったら楽しいだろうな、という言葉を入れた。そういう時、祐希は嬉しそうな顔もするが、どこか表情を強張らせていた。祐希が何を思っているのかはわからないが、皐月は自分が残酷なことをしているような気がしてならなかった。
 時刻は11時になろうとしていた。祐希に満との関係を勘繰られると思っていたが、会話の中で特に波乱はなかった。杞憂だったのかもしれないと皐月の緊張が緩んできた。
「俺、眠いんだけど寝てもいいかな? 明日学校だし」
「あっ、ごめんね。もう寝なきゃだね」
 畳に座っていた皐月はベッドに座り直した。
「じゃあ、俺寝るわ。おやすみ」
「ねえ」
 皐月が向きを変えようとすると祐希に呼び止められた。
「何?」
「満さん、可愛かったね」
「うん……人形みたいだった」
「皐月って、ああいう感じの人がタイプなの?」
「ん……どうかな。俺って好きなタイプとかないかも。好きになった人がタイプってことになるかな」
 皐月は夏の終わりから急に複数の女子と付き合うようになった。それまでは女子に恋愛感情を抱いた経験がなかったので、今のモテ期のような状況に戸惑っている。皐月が好きになった女性に共通するタイプはない。
「じゃあ満さんは皐月の好きなタイプ?」
 最後の最後に皐月の懸念していた質問がきた。
「ロリィタの似合う人って魅力的だよね。満姉ちゃんはロリィタって男受けが悪いって言ってたけど、俺は好きだな。祐希もロリィタ似合うと思うよ。絶対可愛くなるって」
 饒舌で回りくどくなり、今の返しは失敗かなと思った。一言「そうだよ」と言って、祐希をばっさりと斬ってしまえばよかった。
(恋人がいるくせに、俺のことを気にするなよな)
 皐月は少しイラっとしていた。
「私にはあんな格好、無理」
 皐月が適当な言葉で誤魔化そうとしたのを祐希は即座に否定した。まるで自分の苛立ちが祐希に移り、その鬱憤を晴らすような言い方だ。
「そっか。まあ祐希はロリィタの服なんか着なくても、今のままで十分可愛いからな。じゃあ、おやすみ」
 皐月は会話を遮るように襖を閉めた。祐希とはまだ喧嘩をしたことがなかったが、このままではお互いに傷つけ合うことになりそうなので、やや強引に自分から身を引いた。

 いつもなら眠る時間なのに、皐月はまだ眠くなかった。一人になって考えたいことがたくさんあるので、部屋の明かりを消して横になった。しばらくすると襖の隙間から漏れてくる祐希の部屋の明かりが消えた。これで部屋が暗くなったが、皐月はさらに暗さを求めて、頭まで布団をかぶって目を閉じた。
 この波立つ気持ちの原因は祐希が自分に対して気のある素振りをすることだ。皐月はそんな祐希を見るのが辛かった。祐希には恋人がいるし、自分にも恋人がいる。だから祐希の嫌らしさは自分も同じだ。皐月は祐希に媚態を示されるたびに自虐と自嘲に苛まれ、自己嫌悪に陥る。
 荒ぶる気持ちを抑えるために祐希に触れたこともあった。だがそれは皐月の思惑通りにはならず、まるでオセロのように感情が反転した。祐希の体のぬくもりには親に甘えられなかった寂しさが慰められた。祐希の体や吐息のとろけるような匂いには目覚めた性的衝動を呼び起こされた。そして皐月は甘美な世界へと堕ちていった。
 祐希は今、自分と同じ自己嫌悪に陥っているのかもしれない……そう思うと皐月は冷たく襖を閉めたことを後悔した。もっと優しくできたはずだ。今すぐにでも襖を開けて祐希に許しを請い、祐希の胸の中で泣きたくなった。

 皐月は一人の時間が過ぎるほどに目が冴え、ますます眠れなくなっていた。体温で暖かくなった布団に包まれながら、今日の満とのことを思い出していた。
「皐月ってキス、上手いね。経験あるの?」
 経験のない明日美には見抜かれなかったが、満にはあっさりと見抜かれた。真理に疑われた時は隠し切れたが、満に誤魔化しは効かないだろう。
「あるよ。キスくらい」
「ふ~ん。そうだよね。皐月ってモテそうだもんね。……それより先の経験は?」
 皐月はキスの相手は誰かと聞かれると思っていたので、話の方向が予想とずれてホッとした。自分が好きになった人のことは絶対に言えない。
「そんなのあるわけないじゃん……」
「そうだよね……。皐月はまだ小学生だもんね」
 小学生が童貞なのは当たり前だと思っていても、面と向かって言われると恥ずかしい。皐月は屈辱を感じていた。
「じゃあ、皐月はしたいって思う?」
 何と答えても恥ずかしい質問だ。西洋人形のような可愛い姿をした満だが、悪魔のような笑みを浮かべている。
「思う」
「ふふふっ。皐月ってエッチだよね」
「しょうがないじゃん。悪いかよ」
 満の右手が皐月の左耳に触れた。皐月は熱くなった頬を満に知られるのが恥ずかしかった。
「悪い子だよね、皐月って。でも、私はもっと悪い女だから」
 満に顔を引き寄せられた。これからキスをするんだなと思い、皐月は満の動きに合わせて顔を寄せた。力を抜いて目を瞑ると、唇は触れずに舌が軽く挿し込まれた。少し驚いたが、皐月も満に応え、舌だけが触れあうキスをした。
「私が全部教えてあげようか?」
「……いいの? 薫姉ちゃんと付き合ってるんでしょ?」
「秘密が守れるならいいよ。こんなことしてたら私だってしたくなっちゃうし……」
 皐月はこの時初めて女の人にも性欲があることを信じることができた。今まではそういう欲望は自分みたいな男にしかないと思っていた。だから皐月は恐る恐る祐希や明日美に触れてきた。
 だが現実はシンプルだった。同じ衝動は女性にもあり、相手の経験によって度合いが違うだけだ……そう考えると皐月は気持ちが楽になった。本能に対して過剰に罪悪感を覚えるのは間違っていると思った。
 この後、名古屋を離れて満の住むマンションへ行き、皐月は満によって初めて男になった。

 眠れなった皐月はトイレに行き、布団に戻った後、再び満のことを思い出した。
「皐月は好きな人っているの?」
 事が終わった後に聞くことかと、皐月は少し嫌な気持ちになった。
「いるよ」
「誰?」
 皐月は素直に明日美が好きだと答えた。満は皐月の想いを年上の女性への憧れだと思ったようだ。皐月にとって満の美しい誤解は好都合だった。明日美との恋愛関係は誰にも知られてはいけない秘密だ。
「皐月は私のこと、好き?」
 満がどうしてこんなことを聞いてくるのかわからなかったが、皐月は素直に気持ちを伝えた。
「好きだよ」
 満に抱き寄せられ、顔が胸に埋まった。皐月には母にもこんな事をされた記憶がない。安心感で気が緩み、涙が出そうになった。
「ありがとう。でも私のことはあまり好きになっちゃダメだよ」
「どうして?」
「私は薫のことを愛しているから。それに皐月だって明日美姐さんが好きなんでしょ?」
「うん」
「明日美姐さんも皐月のことが大好きみたいなんだよね。明日美姐さんって男に対してすごく冷めているから、なんで皐月のことを可愛がるんだろうってずっと不思議に思ってた。でも今ならわかるような気がする」
 自分の知らないところで明日美から愛されているのを知り、皐月は満に抱かれながら感動していた。
「明日美姐さんは私の憧れなの。美しくて、儚くて、壊れそうで……。でも近づけなかった。だから明日美姐さんに愛されている皐月のことがずっと気になってた」
「それで満姉ちゃんは明日美から俺を奪おうと思ったの?」
「それは違うよ。さっきも言ったけど、皐月が可愛くて私のタイプだってことと、キスしたらムラムラしちゃったってことで……なんか私って最低だよね。イヤだな……」
「最低じゃない。俺のことを気にかけてくれたんだし、素直に嬉しいよ」
 満のように人には言えない恥ずかしいことを言える人は自分の周りにはいない。皐月はそんな満のことが大好きだが、満のそんなところを少し危ういと感じていた。
「私ね……男が嫌いだから一生こういうことは無理だと思ってたんだけど、皐月とキスした時に『あれっ? 皐月なら大丈夫かも』って思ったんだ。それで実際大丈夫だった。でも他の男とこんなことをする気はなれないな……」
「いいよ、しなくても」
「じゃあ、私がしたいって思ったら皐月が相手をしてくれる?」
「……絶対に秘密にするんだったら、いいよ。俺、満姉ちゃんのこと大好きだし」
「皐月、私のことを本気で好きになっちゃダメだからね。私は薫が好きだし、皐月は明日美姐さんのことが好きなんだから。あと、満姉ちゃんはやめてほしいかな……せめて満ちゃんにしてよ」
「じゃあ満って呼び捨てでもいい?」
「ダメ。呼び捨ては彼女だけにしなさい。私にはずっとちゃん付けで。わかった?」
「ん~なんかよくわかんないけど、わかった」
 満はこの後、何度も私のことを好きになるなと言った。明日美姐さんから皐月を奪いたくないと言い、恋人ができても私に言うなとも言った。
 いい男になれとも言われた。女のことは全部教えてあげるとも言われた。満は妙に世話を焼いてきた。一方的に満の言いなりになっているような気もするが、皐月は満の望む関係になりたいと思った。

 皐月はずっと毎日が楽しいと思っていた。だが、いつしか毎日が苦しくなっていた。恋愛なんか知らない頃の無邪気でバカみたいな毎日の方が楽しかったと思うようになっていた。
 だが満に男にしてもらったことで、皐月はやっと苦しみから救済されたような気がした。そう思うと満は自分にとって女神となるが、きっと危険な女神だろうと、皐月は満を茶吉尼天だきにてんのイメージに重ねていた。


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