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インナーカラー (皐月物語 42)

 藤城皐月ふじしろさつき今泉俊介いまいずみしゅんすけにそそのかされ、生れて初めて髪を染めた。色は鮮やかなバイオレット。さすがにフルカラーにはしなかったが、サイドにワンポイントでインナーカラーを入れ、さらに前髪の毛先にほんの一つまみ程度だけカラーを入れた。
 今まで皐月の小学校で髪を染めている児童はいなかったが、今日からは二人になる。皐月と、もう一人は皐月がお願いした美容室のお嬢さんの岩月美香いわつきみか。美香は皐月がお母さんにカラーをしてもらっているところを見ていて、自分もやってほしいと母にねだり、皐月のように目立たない感じにカラーをしてもらった。

 皐月は今朝の登校班の集合に一番乗りをした。髪型を変えた自分を見たみんなの反応が楽しみだったからだ。
「髪の毛切るとは言っていたけど、本当に染めてくるとは思わなかったよ」
 俊介は皐月の顔を見るなりこう言い放った。
「自分が染めちゃえって言ったのに何だよ、その言い草は」
「僕も皐月君の真似しようかな」
「なんだ、気に入ったのか?」
「一昨日は軽いノリで言ったんだけど、こうして目の当たりにするとかっこいいね。羨ましいよ」
「俊介もやればいいじゃん」
「う~ん、まだちょっと勇気がないかな。先生に怒られやしないかって思っちゃって……」
「自分がそんなことできるの小学生までだって言ったくせにビビってんじゃねえよ。校則に髪染めるなってないからいいだろ、別に」
 皐月は毛染めを決断する前にネットでいろいろ調べた。皐月の通う稲荷小学校ではヘアカラーをしている児童はいないけれど、他の学校ではいるようだ。大人からの評判は悪いらしい。
「おっはよー!」
 美香が勢いよく皐月に抱きついてきた。美香は普段そんなことをしてこないので、皐月も俊介も驚いた。
「あれ? 美香ちゃんも髪の毛の色が……」
「カワイイでしょ!」
 俊介はショートボブの内側に隠れていた色づいた髪の毛に気がついた。青み系グリーンのイヤリングカラーは皐月の色よりも鮮やかで美しい。髪をおろしている時は色を入れた部分が隠れるが、髪を耳にかけるとイアリングのようにちらっと見えるのが美香の自慢だ。
「皐月ちゃん、今日かっこいいね!」
「ありがとう。美香ちゃんもかわいいよ。これからはおれ、毎日かっこいいからね」
 美香のお母さんが皐月のことをちゃん付けで呼ぶので美香も皐月のことを皐月ちゃんと呼ぶ。
「おはよ~。あれ? 皐月君、髪切ったんだ。……紫?」
 4年生の山崎祐奈やまざきゆうなが皐月の新しいヘアースタイルを見て驚いた。
「かっこいい?」
「え~っ、なんか派手じゃない?」
祐奈うなちゃんは褒めてくれないんだ~」
「でも髪型は似合ってるよ。まだ女の子っぽいとこあるけど、だいぶ男の子っぽくなったよ」
 祐奈は月花博紀げっかひろきが好きなので、皐月のことは決して全面的に賛美はしない。
「美香ちゃんまで髪染めてるの? えっ、なんで?」
「皐月ちゃんの真似したの。どう? 似合ってる?」
「色が初音はつねミクみたいでカワイイ。チラっと見えるのがいいね」
「祐奈ちゃんもやってみる?」
「私はいいよ。うちのクラスで染めてる子いないから目立っちゃう」
 皐月と美香のヘアースタイルの話で盛り上がっていると近田晶こんだあきらと弟のひかるもやって来た。近田兄弟はみんなが揃ってから家を出てくる。二人はヘアーにあまり興味がないのか反応が薄かった。これで班のメンバーが全員揃ったので、皐月班長がみんなを率いて登校することになった。

 校門の前には出迎えの先生が立っている。今朝は地味な顔をしたおばさんの石川先生だった。祐奈がぼそっと「あの先生苦手」と呟いた。石川先生は祐奈の担任で、教室では笑っているところをあまり見たことがない。
「おはようございま~す」
 皐月が朝の挨拶をすると、続けて班の子たちも挨拶をした。相変わらず列が乱れてまとまりがないので何か小言を言われるかと思っていたが、あっさりと挨拶を返された。
「ちょっと……その髪の毛の色、どうしたの?」
 案の定、髪の毛のことで先生につかまった。皐月はこういうこともあろうかと前の日からいろいろ対策を考えていた。
「ただのオシャレですよ。かっこいいでしょ?」
 先生は髪の毛を見ずに皐月の目を見て沈黙した。皐月も笑顔で視線をそらさないようにした。
「そうね……似合ってるとは思うけど、小学生がヘアカラーはどうかな……。夏休みに何かあったの?」
 皐月は怒られることばかりを想定していたので、意外なことを聞かれて戸惑った。
「別に何もなかったですよ」
 母の友人の及川頼子おいかわよりこと高校生の娘の祐希ゆうきが皐月の家に引っ越してきたことは重大な出来事だと言ってもいい。だが、この時の皐月は本気で何もなかったと思っていた。
「しいて言えば……」
「しいて言えば?」
「恋をしたかな」
「まあっ!」
 先生が満面の笑みを浮かべたのを見て祐奈が驚いている。祐奈はこんな石川先生を見るのは初めてだった。
「素敵な夏休みだったのね」
「えへへ……」
 普段の石川先生はほとんど怒らないが、小言が多く、生活態度に厳しい印象だ。皐月に対する先生の対応が予想外だったのを見て、祐奈は割り切れない気持ちになっていた。
「先生、髪の毛を染めていること怒らないんですか?」
 祐奈の隣にいた美香が告げ口を非難するような眼で祐奈を睨んだ。
「先生方によって考え方に違いはあると思うけれど、私は規則にないことは自由にしてもいいと考えています。身だしなみの乱れは心の乱れとも言いますから、何か問題が起こる前になんとかしなきゃって思う先生方もいらっしゃいます。私は事が起きるまでは好きにさせ、起きてからなんとかしなきゃって行動しますけどね」
「先生って細かいことでよく怒るのに、今朝はなんかいつもと言ってることが違うような気がするんだけど……」
「私は児童が問題が起こしてから注意するようにしてますよ」
「でも先生が怒ることって規則にないことばかりですよね?」
「人を不快にさせることをした時は規則に関係なく注意します」
 祐奈が先生に反抗している理由が皐月にはよくわからないが、皐月は石川先生のことが好きになってきた。だから皐月はこの張り詰めた空気を直ちに変えたくなった。
「先生は髪の毛染めないんですか? もっと魅力的になると思います」
 石川先生は薄化粧で、今朝の服装は地味な白のブラウスと黒のワイドパンツだ。皐月はボトムスが黒ならもっとスリムにして、白ブラウスはボーイッシュかガーリィに振ればいいのにと思った。
「学校にオシャレしてきてもね……」
「そんなことない。担任の先生がキレイだったら生徒だって嬉しいに決まってます」
「そう?」
 石川先生は祐奈の方を見た。祐奈は軽く頷いた。
「先生だったら髪の色はミルクティーベージュが似合いそう。目立つのが嫌だったらインナーカラーがオススメかな。美香だってほら、インナーカラーにしていたけど気付かなかったでしょ?」
 美香がサイドの髪を軽くかき上げるとエメラルドグリーンの髪が現れた。
「あなたもカラーしてたのね。全然気付かなかったわ」
 石川先生と皐月たちが校門前で話しこんでいると、他の班の子たちが続々とやって来た。皐月はここでいつまでも話しこんでいると先生の邪魔をすることになると思い、みんなを引き連れて校門を抜けた。石川先生からヘアカラーのことを咎められなかったことで不安が解消され、気持ちが楽になった。


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