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男のやっかみ (皐月物語 54)

 一日の授業が全て終わったので放課後の校庭で遊んでから帰ろう……そうは思っても今時の小学生は忙しいので、遊ぼうと思う子はあまり人が集まらない。スポーツクラブや塾などに通っている子が多く、昼休みのように大人数で遊ぶことがなかなかできない。習い事なんかなくたって、学校が終わればさっさと家に帰りたいという子もたくさんいる。
 藤城皐月ふじしろさつきは最近、放課後に友達とバスケの真似事をするようになった。皐月たちは授業でやるくらいしかバスケの経験がなく、リングにシュートを打つだけの単純なことでしか遊べない。チームを作って試合をしてみたいという気持ちもあるが、チームを作る5人ですらなかなか揃わない。皐月はたいてい友達の花岡聡はなおかさとしや、神谷秀真かみやしゅうま岩原比呂志いわはらひろしと遊んでいる。もう一人いればチームができるが、この4人が揃うことすらあまりない。誰でもいいからもう一人連れてきてチームを作ったとしても、相手になるチームは簡単には見つからない。
 放課後にバスケをする時、体育館はクラブ活動などで使用されているので、校庭の隅にあるコートを使う。そのコートは校門の近くにあるので、そこで遊んでいると学校帰りのクラスの子たちだけでなく、他のクラスの子からも声をかけられる。帰宅後に用事がある子でも、ちょっとだけならと遊んでいったりすることもあるので、試合ができなくても寂しい思いをすることはない。でも試合をするほどは人が集まらない。
 この日は聡と皐月の二人で駄弁りながらシュートを打って遊んでいた。他愛もないことを話しながらまったりとボールを投げるのも楽しいけれど、皐月は夏休みに入屋千智いりやちさとと体育館でやった1対1ワン・オン・ワンを誰かとやってみたいと思うようになった。特に千智とはもう一度戦ってみたい。だが皐月はまだ千智の相手になる腕ではない。どうせやるならもっと上手くなってからにしたいと思っている。
 皐月は聡とは1対1の勝負をしたいとは思っていない。皐月は千智に追いつくため、一人遊びを野球のピッチングからバスケのドリブルに切り替えた。だから聡とはバスケの実力にかなり差がついてきた。聡から勝負をしたいと言い出さない限り、皐月から1対1に誘うつもりはない。
「先生、今の班、楽しそうだな」
 バスケに飽きたのか、聡が話しかけてきた。
「まあね。でもそんなに楽しそうにしてるか、俺?」
「藤城は筒井つついの隣にいた頃よりも楽しそうだし、何よりも周りの女子が楽しそうだ。栗林くりばやしとか吉口よしぐちとか二橋にはしさんとか」
「なんで二橋さんだけさん付けなんだよ?」
「だってあの子ってなんか尊くないか? なんかリアルに光って輝いてるし。お前、よくあんな子と普通に口きけるよな」
 二橋絵梨花えりかが尊いという聡の感覚はわからないでもない。清楚を絵に描いたような佇まい、透明感あふれる白い肌、日本人離れした目や髪の色。勉強はできるしピアノも弾ける。クラスの男子のほとんどは絵梨花に惚れているんじゃないかって思うことがある。
「俺も最初は近寄り難いかなって感じてたけど、実際話してみると他の子と大して変わらんぞ。明るいし気さくだし、結構面白いこと言うし」
「それは藤城が二橋さんのいいところを引きだしたんだよ。さすが先生だな。あの月花げっかでさえ二橋さんと話す時、硬くなってるくらいだからな」
博紀ひろきはな……わかりやすいんだよ。好きなタイプの子の前だと緊張しちゃうんだ。もしかして花岡も二橋さんの前だと緊張しちゃうのか?」
「クラスの男子だったら誰だって緊張するだろ、そんなの」
 聡とはよく女子の話をしてきたが、雨夜の品定め的な話はしても、お互いに自分の内面を告白するような話はしてこなかった。
「そうか……花岡でも緊張するのか。花岡はおっぱいの大きい子が好きだから、二橋さんのことを意識してたなんて思いもしなかったわ」
「二橋さんはな、そういうおっぱいとかの対象じゃないんだよ。藤城にはそういう感情はわかんねーかな。お前って女子に対して誰にも態度変わんねーし。俺、藤城のそういうとこってよくわかんねぇんだよな」
「ん~、まあ俺も人の気持ちとかよくわかんないから、花岡の言う尊いっていうのも何となくくらいしかわからないっていうか……。でも意外だな。花岡が二橋さんのこと好きだったなんて」
「好き?……ああ、そうだな、好きなのかもしれないな……。藤城は好きな子なんていないだろ」
「好きな子か……仲のいい子はみんな好きだけど、そういう答えを求めてるわけじゃないもんな。恋愛感情みたいなのは最近芽生え始めたような気もするんだけど……」
 誰にも知られたくないような、でも誰かに聞いてもらいたいような……聡とならそんな話をしてもいいかな、と思い始めた。
「誰だよ、その相手は?」
「それがよくわからないんだ。誰なんて決めらんねぇ……。俺に関わってる子、みんなに感じているような気もするし……」
「ヤバくねぇか、それ。そんなんだったらお前にかかわった女、みんな不幸になるじゃないか」
「人聞きの悪いこと言うなよ。みんな幸せになればいいんだろ」
 皐月は2回ドリブルして、ワンハンドでシュートを打った。3ポイントラインより少し手前で、リングの真横という少し難しところからだったが、リングに触れずにシュートが決まった。滅多に成功しないシュートなので気持ちがいい。聡がその球を拾って皐月にパスした。もう一度打てと言う。さっきのフォームを再現できるように集中してシュートを打ったら、また入った。
「うはーっ、超気持ちいいっ!」
 遠くから拍手が聞こえてきた。手を叩く音のする方を見ると、キャップを深くかぶり、カジュアルなファッションで決めた女の子がいた。皐月が手を振ってみるとその子は手を振り返した。ショートパンツから延びる長い脚の少女は入屋千智いりやちさとに違いなかった。皐月は聡をコートに放っておいて千智のもとに駆け付けた。

「バスケやってく?」
「ちょっとだけならいいよ。用事があるからすぐに帰らなきゃいけないけれど」
「じゃあ1対1ワン・オン・ワンをやりたいな。俺、少しは上手くなったんだぜ」
「うん、見ててそう思った。1対1はいいけど、今お友達と一緒に遊んでいたんだよね。お邪魔じゃなかった?」
「大丈夫だよ。あいつに千智のこと紹介したいんだけど、いい?」
「いいけど……」
 いいとは言ったけれど本当はそんなにいいとは思っていないんだろうな、という空気が伝わってきた。
「紹介するよ。彼女は入屋千智さん。5年生だ」
「はじめまして。入屋です」
 千智はキャップをかぶったままバイザーを持ち、わずかに下を向いた。最低限の敬意は示してくれたので皐月はほっとした。
「彼は俺と同じクラスの友だちで花岡聡」
「よろしく」
 聡が色めいているのがよくわかる。絵梨花とはタイプが違うが、千智は5年生の間ではカリスマ的な存在だ。千智は男子に対して心に壁を作る癖があり、やっぱり聡にも壁を作っていた。早く千智を聡から引き離したかった。
「ちょっと俺、千智と1対1やってくるわ。まあボロ負けすると思うけどな」
 皐月の先攻でゲームを始めた。自分ではドリブルが上手くなったつもりでいたが、攻めようと動いた瞬間にあっけなくボールを払われた。一人でドリブルの練習をしてきたので、自分のイメージではもっとうまく攻められると思っていたが、千智の動きが想像以上に速かった。
 次は千智が攻める番だ。まず左手でドリブルをしていたことに驚いた。初めて二人で遊んだ時は右手でドリブルをしていたので、てっきり右利きだと思っていたがどうやら左右関係なく両方でできるようだ。
 千智はボールの見えにくい後ろ足の辺りでドリブルをしているので、皐月にはどうやってボールを奪えばいいのかわからなかった。ゆったりした動きから千智が急加速したので、慌ててついていこうとしたら急に左から右に切り返され、勢いのついた皐月は動きについていけず転んでしまった。尻餅をついた状態で放心していると千智に見下ろされていて、ニコっと笑った後に軽くシュートを決められた。
「全然相手にならねぇ……千智、上手過ぎない?」
「えへへ。ちょっといいとこ見せたかったの。格好よかった?」
「速過ぎて何が起きているのかわからなかった。格好よかったのかどうかもわかんねぇよ」
 まだ立っていない皐月に千智は手を差し伸べた。怪我をしているわけではないので一人で立てたが、千智に甘えて手を引いてもらって立ち上がった。
「私、もう帰らなきゃ。塾に遅れちゃう」
「忙しいのにありがとな。塾がんばって」
「ありがとう。塾が終わったらメッセージ送るね」

 帰っていく千智に手を振ると、律儀に聡も手を振ってくれた。千智が校門を出ると、聡が待っていましたとばかりに話しかけてきた。
「先生、あの美少女は一体何なんだ?」
 おどけて見せようとする感じは伝わってくるが、聡は明らかに顔が強張っていた。
「友達……かな。夏休みに仲良くなった」
「マジか! 俺なんか夏休みに何の成果もなかったのに……。先生ばっかいい思いしやがって、クソ~っ!」
「でも花岡理論だとあの子も不幸になっちゃうんだよな、俺なんかと関わったばっかりに。可哀想……」
 聡が悔しがっているのが皐月には嬉しかったが、その感情を隠すためにわざとネガティブな方向に話を持っていった。
「さっき言ってた恋愛感情が芽生えたってのはあの子のことか?」
「……ああ、最初はな。でもその後に出会った女子高生や、2学期になって同じ班になった二橋さんや吉口さんや真理にもときめいたりするし、筒井や松井にだって今までと違った好意を感じるようになったんだよな。なんか自分でも変だなって思うんだけど……」
 皐月が今一番恋愛感情を感じているのは真理に対してだ。だがこれは秘めるべきものだと思っている。それに聡に言ったことも嘘ではない。
「お前、マジで女好きが加速してんじゃねえか? 思春期っていうより発情期だな」
「なんだよそれ、ひでぇな……。でも最近毎日が楽しいぜ、俺。自分がご機嫌だったら発情期でも何でもいいや」
「そりゃ楽しいだろうよ、可愛い子たちに囲まれればな。俺なんか隣の席、松井だぜ」
「松井って可愛いじゃん。いつもお洒落にしてるし、顔面偏差値も高いし。華やかさならあの子がナンバーワンだろ、うちのクラスで」
「あいつ怖ぇんだよな。気が強いしすぐ怒るし。それに月花の女だろ、どうせ」
「松井は博紀のタイプじゃないよ。博紀は自分より頭のいい子が好きだからな。二橋さんとか真理みたいな」
「ああそういうことか……だからお前らって仲がいいのか悪いのかわかんないのか。月花の好きそうな子って、お前が総取りしてるもんな」
「その代わりおれは月花のファンクラブの子たちからはまるで相手にされていないけどね」
「俺なんか誰からも相手にされてねーぞ、くそ……」
 皐月は今日の聡に博紀と同じやっかみを感じた。聡まで博紀のようになってしまうのかと思うと寂しくなる。
「今のクラスはな……博紀が女子の人気をほぼ独占してるからな。他の男子にはつらいクラスだよな」
「先生だけは例外みたいだけどな」
「真理は幼馴染だからな。二橋さんは席が隣なだけだし、別に普通だろ」
「普通なわけねえだろ」
 聡の態度を不快に思い始めた皐月はこの場を離れたくなり、バスケットボールを拾って強くドリブルをした。千智のように急加速をしようとしても上手くいかない。右から左へ素早く切り返そうと思っても上手くいかない。さっきの千智の情け容赦のない戦い方はストレスの表れだったのかもしれない。千智は自分のことを倒してすっきりしたかもしれないが、皐月はボールを自在に操れなくて余計にイライラしてきた。
 聡はいい奴だ。博紀だっていい奴だった。今の博紀が嫌な奴というわけではないが、時々鬱陶しい時がある。聡まで博紀みたいになったら、これはやるせない。女が絡むと友達関係なんて簡単に拗れる。これは悲しいことだ。
 皐月は聡と別れ、それぞれの帰路についた。帰り道に新刊書店があるので、芥川龍之介の『羅生門』があるかどうか確認すると、芥川の本は一冊も置いてなかった。家に帰った後で別の書店に行ってみようと思った。


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