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初めての待ち合わせは最寄りの駅で (皐月物語 26)

 待ち合わせの時間の5分前には豊川稲荷とよかわいなり駅に着けるよう、藤城皐月ふじしろさつきは家を出た。駅前大通りの商店街を通って豊川稲荷駅には行かず、一本裏の細い路地を通ってJR豊川駅の駐輪場を目指した。
 入屋千智いりやちさとはきっと自転車で来る。自転車を止める場所なら自分の家に止めてもらえばいいのだが、皐月はさっき学校で見た黒ワンピの千智と一緒に街を歩きたかったので、家から離れた場所に自転車を置いておきたい。そうすれば駅から家までは千智を連れて歩くことができる。
 皐月は豊川駅に駐輪場があることは知っていたが、家から駅が近いので利用したことがなかった。だから待ち合わせ前にあらかじめ駐輪場が有料かどうかを調べておこうと思った。もし有料だったら自分がお金を払うつもりでいた。
 初めて意識して見た豊川駅西口自転車駐車場は大きかった。今まで何度もこの駐輪場の前の道を通っているのに、皐月はこの駐輪場のことを何も知らない。
 現地へ行き、駐輪場が無料であることを確認し、豊川駅の前を通って隣接する豊川稲荷駅へ向かった。東西自由通路の前を過ぎ、タクシープールの横を抜けようとしたら声がかかった。
「あれ? 皐月君じゃないか。これから電車に乗ってどこかに行くのかい?」
 五十代には見えないこの男は永井明彦ながいあきひこというタクシードライバーだ。芸妓の母・百合ゆりがお座敷に行く時に指名する運転手だから顔なじみだ。
「どこにも行かないよ。友達を迎えに来ただけ」
「今日もお母さんから指名をいただいたよ。いつもありがとう」
 皐月は父親のトラウマからか大人の男の人が苦手で、友達のお父さんや学校の先生ですら、接する時に変な緊張をしてしまう。なのに幼さの残った風貌の永井には特に嫌悪感を抱かない。
「母をよろしくお願いします」
「うん、任せておいて。ちゃんと安全運転するから」

 永井に手を振った皐月は豊川稲荷駅の切符売り場の端っこで、利用者の邪魔にならないように待つことにした。しばらくすると細い路地の向こうから千智が自転車に乗ってやって来るのが見えた。約束の時間きっかりだ。皐月が手を振ると千智も手を振り返した。
「先輩、待った?」
「ううん、ちょうど今来たとこ」
 学校で見た通り、黒いワンピースに黒いキャップ、そして黒のスニーカーのコーデが決まっている。とても小学5年生とは思えない。
「先輩、歩いて来たの? 歩いてくるとは思わなかった」
「うん。家近いし、千智と一緒に歩いてみたかったんだ。だって千智、学校で見たとき格好よかったから」
「えへへ、そんな風に言ってもらえると嬉しいな。私、豊川駅に来るの初めてなの。最寄駅が稲荷口いなりぐち駅だからこっちの方に全然縁がなかったんだ」
「そうなんだ。じゃあ俺が案内するよ。駐輪場に自転車を置いて、散歩しながらちょっと遠回りして俺んまで行こう」
「うんっ」
「俺が自転車引くよ。貸して」
 千智が自転車の左側から降りた。皐月も自転車の左側にいたので右側にまわろうと思ったが、右利きなので右側からでは自転車を引きにくい。できればそのまま左側から自転車を引きたい。
「ちょっと右手を離して、左手だけで持ってて」
 皐月は千智の背後にまわり、右手を伸ばして右のハンドルを握った。この時、皐月は自然に千智に身体を寄せることになる。ロングヘアをポニーテールにしてキャップをかぶっているので、右側から出ている横の余り毛が鼻先をかすめた。キモいと思われないよう、皐月は息を細くした。
 皐月が自転車に手をかけたので千智はもう離れてもいいはずだ。なのに動こうとしない。千智のうなじの辺りから石鹸のような香りがする。豊川稲荷で千智の手を引いて走った時に感じた女の子の匂いと制汗剤の香りが混じり合っていい匂いだ。思わず理性のたがが外れそうになる。
「もう手を離しても大丈夫だよ」
「うん」
 ぱっと離れた千智の顔が紅潮しているように見えた。皐月はスリットネックで開いた胸元を見ないよう、千智の肩の辺りに視線を移した。
「袖口、リボンみたいに結んでるんだ。かわいいね」
「あっ、気付いてくれたんだ。私、これ気に入ってるの」
「ウエストリボンもいいね。黒一色なのに華やかに見える」
「ありがとう。なんか褒めてもらっちゃって照れるね」
「俺、学校で千智見た時にもっと近くで見たいなって思ったんだ。遠くからだと黒一色で細かいところがよく見えなくてさ。それに千智を誘った時さ、俺、照れちゃったんだよね。だから今度は千智にも照れてもらう」
「なに、その理屈」
 千智は笑ってくれたが、皐月はキモいと思われそうで内心穏やかじゃなかった。笑顔で言ったつもりだったが、顔が強張っていたかもしれない。
「このワンピースを着る時はいつも上に明るい服を合わせてるの。キャップだってかぶっていないんだよ。でも今日は黒い気分だったから、思い切って黒装束で学校に行っちゃった。でも失敗。黒はやっぱり暑かった」
「なんか俺、すげ~ワガママ言っちゃったな。暑いから早く家に行って涼もうか」
「え~っ、遠回りしてくれないの? せっかくこのスタイルで来たのに」
「じゃあちょっとだけ遠回りするね。豊川稲荷の門前通りを歩こう。ちょっとした旅行気分だよ」
「楽しそう~。旅行気分になれるなら、少しくらい暑くても平気だよ」
「旅行気分はちょっと話、盛っちゃったけどね」

 千智の自転車を引きながら皐月と千智は駐輪場に向かって歩き始めた。タクシープールに近づくと運転手の永井にからかわれそうで嫌だったが、遠回りするのは余りにも非合理的だから覚悟を決めた。
「お~い、皐月く~ん」
 案の定、永井が声をかけてきた。面白いことでも見つけたかのような嬉しそうな顔がムカつく。
「さっきはどうも」
「友達ってガールフレンドのことだったのか」
「そうだよ」
「皐月くんもニクいね。デートならタクシー乗ってく?」
「乗るわけないじゃん。これから街歩きするんだから」
「このクソ暑いのに? 元気だな~。どこか遊びに行きたかったら俺の車にのせてあげるよ。涼しいぞ」
「いいよ、そんなお金ないし。永井さんさ~、子ども相手に営業ってどうなの?」
「営業じゃないよ。皐月君には特別にメーター入れないで走ってあげるから」
「やだよ、デートに永井さんを連れていくのなんて。それに、タダで走ってもらうなんて悪いじゃん。確かメーター入れないで走っていると、おれたち客じゃないってことで、事故ったとき保険効かないんじゃなかったっけ?」
「よく知ってるね、そんなこと」
「明日美が言ってた。永井さんがいつもそうやってナンパしてくるって」
「まいったな……子どもにそういうこと話すかね、明日美さんも」
「真面目に仕事しなよ。じゃ、俺たちこれからデートだから。バイバイ」
 軽くスルーというわけにはいかなかったが、皐月は永井を振り切った。
「先輩、タクシーの人の知り合いがいるんだね。大人みたい」
「あの人はね、よく家にママを迎えに来る人なんだ。なぜかママのお気に入りみたいで、わざわざ永井さんを指名するんだって」
「先輩、焼きもち焼いてるんだ」
「そんなことねーよ」
 本当はそんなこともなくはない。母親が男の人と仲良く話しているのを見るのは面白くない。芸妓だから男性相手の仕事をするのは仕方がない。皐月がその現場を見ることはないので、母が客の相手をしているところを想像しなければ嫌な気持ちにならずに済むと割り切るしかない。
「気さくな人だね、あの永井さんって人」
「あれで50過ぎてるんだぜ。見えないだろ?」
「全然見えない! どう見ても30代だよ」
「だろ? あの人ちょっとおかしいんだよ。見た目が若いっていうよりも、たぶん精神的に幼いんだよ」
「それはきっと永井さんが先輩に合わせてくれてるんだと思う。先輩のお母さんに指名されるくらいだからコミュ力高いんだよ」
「じゃあ永井さんって優秀じゃん」
 確かに皐月は永井と話していて本気で嫌な気持ちになったことは一度もなかった。大人なのに大人と話している気もしない。千智の言うとおり、永井は皐月に合わせた話し方をしてくれているのかもしれない。

 豊川駅西口自転車駐車場は混んでいると奥の方まで行かなければ空きスペースが見つからない。さっき通りかかったときに見たら出入り口付近に自転車を止められる場所はなかったが、今見てみると屋根のないところに一か所だけ空いていた。
「ラッキー。こんな近くに止められるよ。やっぱ俺の日頃の行いがいいのかな」
「私いい子だから、こういうのって大抵運がいいの。先輩との相乗効果だよ」
「運がいいって最強だよね。なんか千智の運がいいってのは納得。わかりやすいわ」
「これからは幸運の女神として崇め奉ってもいいよ」
 千智は確かに女神のように美しく魅力的だ。彼女に全てを捧げたら、本当に幸せになれるような気がしてきた。


最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。