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逆光線に包まれて (皐月物語 9)

 祐希ゆうき千智ちさとの背後に表れた時、藤城皐月ふじしろさつきはもうなるようになれと覚悟を決めた。
 いきなり背後から声がかかった千智は驚いて振り向いた。そこには黒髪の前下がりショートボブが似合う、清楚な女性が立っていた。千智の驚いた顔に皐月は不思議と満更でもない気になった。
「紹介するね。彼女は入屋いりや千智さん。ついさっきまでチャットしてた子」
「はじめまして。入屋です」
 千智はキャップを取り、ペコリと祐希を見ながら頭を下げた。心なしか千智の顔が強張っているように見えた。
 皐月はキャップを取った千智の顔を初めて見た。フリンジバングの前髪は少しカールされていて、オン眉になっていた。黒紅色のロングヘアーは瀟洒でありながらもカジュアルな美しさを放っていた。
「こちらは及川おいかわ祐希さん」
「祐希です。こんにちは」
 祐希の千智を見る目が嬉しそうで、感情のたかぶりが隠しきれていなかった。それは皐月も同じで、自分の彼女を自慢するような気分になっていた。こんなにかわいいのに、どうして千智はキャップで顔を隠すのかと、釈然としない思いが湧いてきた。
「祐希さんは今日からうちに住み込みすることになる母の新しいお弟子さん……でよかったよね?」
 祐希が芸妓げいこになるのかどうかはまだ皐月にはわからなかった。豊川稲荷の境内を歩きながら祐希に聞こうと思っていたが、いい機会だから今聞いてやれと、わざと千智に新しいお弟子さんだと紹介した。
「芸妓になるのは私のお母さんで、私はただくっついて来ただけだよ」
「え~っ、そうだったの? ママが祐希に三味線教えるって言ってたから、てっきり芸妓になるのかと思ってた」
「小百合さん、三味線教えてくれるって言ってくれてたんだ。嬉しいな」
 祐希が芸妓になるかどうかわからなかったので、気持ちのモヤモヤが晴れてスッキリした。

「ねえ、藤城先輩」
 千智に肘をつつかれた。
「ん、何?」
「先輩ってお母さんのことママって呼んでるの?」
 千智がニタァっと笑っている。嬉しそうで、悪い顔だ。
「そうだよ。皐月はお母さんのこと『ママァ』って呼んでるんだよ」
 祐希と千智は顔を見合せながらゲラゲラと笑いだした。皐月はムッとして何も言い返す気になれなかった。
「6年生って言っても、皐月はまだ子供なんだから」
「ママが許されるのは幼稚園児までだよ、先輩」
「おっ、千智ちゃんいいこと言うね」
 初めて会った二人なのにもう仲良くなっている。自分のことをいじられるのは気に入らないが、何となく感じていたピンチは脱することができたような気がした。でも言い訳だけはちゃんとしておかなければ沽券にかかわると思い、皐月は真面目な顔を作った。
「お母さんをママと呼ぶのは訳があるんだ。それは昔からの慣習で、芸妓さんたちはみんな検番けんばんの京子さんのことをお母さんって呼んでいてね、俺もそれにならって京子さんのことをお母さんって呼んでいるんだ。だからママのことをお母さんって呼んだら、お母さんが二人になっちゃうだろ。本当のお母さんはママのままでいいんだよ」
 祐希と千智は笑うのをやめた。皐月としては駄洒落のところで笑ってもらいたかった。
「たぶん最初に京子さんと話をするようになってから、ずっとこんな感じでママとお母さんを使い分けていたんだと思う。だからもうこの呼び方に慣れちゃったし、自分のお母さんのことをママって呼ぶのは、俺にとっては必然なんだよ。言い訳下手かな?」
「そんなことないよ。なんかごめんね、皐月」
「ごめんなさい、先輩」
「いや、別にいいよ。そんな風に反省されちゃうと困っちゃうし。でもさすがに小6でママはないよなって思ってたから、爆笑されてかえって良かったわ。ありがとね」
 千智の顔に安堵の色が広がった。皐月はこんなことで二人のことを責める気はなかったので、千智にほっとしてもらえて自分自身も安心した。

「それより今から豊川稲荷に行くんだけど、千智も来る? さっきもう中を廻っちゃったんだよね?」
「誘ってもらえるのは嬉しいけど、私、二人の邪魔じゃないのかな……」
「全然邪魔じゃないよ。ね、祐希」
「むしろ私の方が邪魔なんじゃないの? せっかく千智ちゃんと会えたのに」
 祐希のテンションがさっきからずっとおかしい。何がそんなに楽しいのか、皐月にはさっぱりわからない。
「そんな……私はたまたま一人でここに来ていただけですから」
「偶然ここで会ったってことがドラマだよね。皐月もそう思わない?」
 どうして女子ってこうやってすぐにからかかうようなことを言うんだろう、と皐月は少しイラっとした。イケメン野郎の博紀なら女子から絶対にこんな扱いをされないだろう。だが、自分はなぜかいつも女子におもちゃのようにされてしまう。
「あ~っ、もう行こ行こ。3人で行こ」
 右手に千智を、左手に祐希をちょっと強引めに引きながら、県道495号宿谷川線の横断歩道を小走りで渡った。総門の前まで来てもまだ手を離さないでいると、祐希と千智は顔を見合わせた。千智は男の子と手をつないで歩いたことがなかったのか、恥じらいが顔に出ている。
 総門をくぐると二人の手を離し、さらに小走りに前に進んだ皐月は、くるっと二人に方へ振り返った。横に流れた髪が西日に光っていた。
「二人一度に案内できて、今日はラッキー!」
 淡い逆光線に包まれた皐月が両手を広げて無邪気に笑っていた。


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