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蔵出し:「生きている仮定法」 from 野菜さらだの『アメリカは、住んでみなくちゃわからない!』第12回

※この蔵出しシリーズは、1996年~2002年までアメリカに留学していた野菜さらだが後半の1999年~約三年間、週2回発行していたメールマガジンの記事をそのままそっくりお送りするものです。今回は、毎日更新していきますので、お楽しみいただければ幸いです!

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  野菜さらだの
   『アメリカは、住んでみなくちゃわからない!』(愛称アメすん)
         (1999/7/9発行) 第12号 (火・金曜発行+日曜版)
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 前回、目上の人と話すときはwouldやcouldなどを使うということをお伝え
しました。今日は、その続編とも言うべき「仮定法」がテーマです。

◆本日のテーマ「生きている仮定法」

 日本の高校で仮定法を習ったとき、「こんなの一体いつ使うんだよ!」と内心思っていました。過去を表す場合は過去完了にする、現在を表す場合は過去にする、なんてヘンテコなルール!と思って授業を聞いていました。ところが、いざこちらに来てみると聞こえてきます、きます、この仮定法を使った日常会話。特に自分の意見をストレートに言わずに、婉曲して伝える場合に、

"I would say ~~" (~~とも言えるし、、、というニュアンス)
"It could be~~"  (~~はあるかもしれないし、、)など日常茶飯事です。

 また、学生が授業中に先生に質問するときなどには、would を使った文を
よく耳にします(以下はその例です)。これは丁寧さを表わす場合です。

"Would you explain ~~?" (~~について説明していただけませんか?)

 こちらで英語を実際の場面の中で使い始めたばかりの日本人が「どうも英語だと何でもストレートに表現するみたいで言い辛い」というのをよく聞きますし、自分もそういう感覚でした。が、どうやらこれは「仮定法」をうまく使いこなせないためではないか、と思うようになりました。日本語でいつも曖昧に表現することに慣れている者が、突然"I like it."とか余りにストレートな表現しかできないと、そのギャップにまごつくのではないかと思うのです。

 アメリカ人でも比較的穏やかに丁寧な物言いをする人に、この仮定法を頻繁に使う傾向がみられるというのも、仮定法がいかに物事を婉曲に伝えるために役立っているかを物語っているように思います。

 こんな場面もありました。渡米直後、アメリカ人に「日本に行ったことある?」と何気なく尋ねたら、"I wish I could"(できるものなら行ってみたいなあ)というまさに定番の構文で返事が返ってきました。このときには「ああ、日本の授業で習ったあの構文だ!」と、それまで図鑑でしか見たことがなかった生き物を初めてこの目で見たような、静かな感動がありました。            
                             (つづく)
                                   
◆おまけ情報:この話をある英語の専門家と話したところ、「日本人がアメリカ人に誤解されやすいことの1つの原因は、このような婉曲表現ができないからだろうと思います。これは英語教育の問題です。」とのことでした。    

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◆お断り:この『アメすん』は、かつてアメリカのオレゴンに住んでいた野菜さらだが個人的に体験した、おもしろい話を友だちや家族に話すようなつもりで書いたものです。アメリカの他の場所とは違う、というエピソードも中にはあるかと思いますが、まあ、気楽に読んで楽しんでください。
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#創作大賞2023

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