わたしのすきなところをみっつ

わたしのすきなところを三つ言ってみて、と彼に頼んでみた。恥ずかしいお願いごとだけれど聞いてみたくなった。

彼はわたしとは全く違う人格を持っていると思っている。彼は、なんというか、すごくタフなのだ。

たとえばわたしが他人から言われた些細な言葉をずるずると引きづって怒ったり悲しんだりしがちなのに対して、彼はある程度怒ったらゲームをしたり映画をみたり筋トレをしたりして気持ちを切り替えることができる。

たとえばどこか目的地に向かうとして、わたしは道端にいる人の表情とか、咲いている花とか、目的地にたどり着くこととは関係のないことに対して心動かされ、動揺して立ち止まってしまう。

彼はさくっと地図を読んで、目的地がどこにあるかをちゃんと理解しながら、露店で売っている新しいお菓子を味見して、売ってるおじちゃんと楽しく会話して着実に目的地にたどり着く、そういうタイプ。

私は嬉しいと思ったことの中にも悲しいことがあったり、悲しみの中にきれいなことがあったり、物事の感想には細かいカテゴリーがあるのだけれど、彼はだいたいのことにオッケーのラベルを貼る。

だから私のすきなところもざっくりとしているんだろうなと思いながら聞いてみた。

彼は「柔軟なところがすき。どういう状況にも合わせられるところがいい。一緒にいてほっとする。いつも俺の話を聞けってことではないし、やさいの思っていることをちゃんと伝えてほしいし、やさいはそうしなきゃいけないけれど、俺の話を聞いて合わせようと努力してくれているところに感謝している。忍耐深くて優しい。」と言ってくれた。

おいかっこいいな。

うれしいやないけ。

努力といっても、彼の母国語を使って話しかけたり(1歳児レベル)、切り替えに必要な彼のひとりの時間を邪魔しないようにしたり、好き嫌いやについて質問をいっぱいして彼についての研究を深めるそんな程度だけれど。

タフな彼とたのしく一緒にいるための私のちまちまとした努力は、気づかれていないのだろうと思っていたからすごくうれしかった。

海外生活を始めてから3年が経った。新しい出会いに揉まれ、どんどん自分を脱皮させて目の前にある文化に自分を染めようとした3年間であったように思う。

それは楽しくて、自分に対するこだわりから自由になって、刺激のある毎日だった。

でも、どこに行ってもマイノリティであるが故に、誰からも実はわたしがその場に合わせるためには、ちまちまとした努力が必要なんだということには気付かれない。ましてや感謝されたことなど一度もなかった。マイノリティであるとはそういうことだと思うし、そういうありかたを選んだのは自分なのだから、そういうもんやなと思ってきたけれど。

思いもかけず感謝してもらえると、やっぱり嬉しい。

嬉しいなあ。明日はもっと早く電話を切って笑顔でひとりゲームの時間をあげよう。いひひ。言語も5歳児レベルぐらいにはなりたいなあ。


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