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再びはじめて、続けていく事

3月10日の晴れた日、念願のというか悲願のワークショップに参加して来た。

現在42歳の私は20代の大半をかなり写真に費やしていた。そしてぷつりとやめてしまった。
当時デジカメはまだ実用的なレベルではなくフィルムがメインだった。ボロアパートの自宅に暗室を作り、モノクロだけでなく自家カラープリントという酔狂な事もしていた。森山大道が1日フィルムを20本分撮ると聴いて、36枚撮りのフィルムを20本持って新宿を歩き回った事もあった(10本も撮れなかった)。しかしある時を境に撮る事が辛くなってしまった。

登山に没頭していたころ。山での記録写真は撮っていた

写真とは「極限まで自分を追い込んで自分と時代を表現する事」という意識があって、撮る事が全然楽しくなくなってしまった。そしてコンパクトカメラを残してカメラや現像機材など全て処分してしまった。自分が撮った写真を見るのも辛くてネガも処分した。そうして記念写真ぐらいしか写真を撮らなくなって10年以上経ったある日に写真家の幡野広志さんの写真集に出会った。

何て楽しそうに写真を撮る人だろうと思った。撮っている姿を見たわけではないけどきっと楽しそうに撮るんだろうなと思う写真だった。こんな風に撮れるならまた写真をはじめられるんじゃないかと思った。
ミラーレスの一眼レフを購入して写真を撮る日々がまたはじまった。
幡野さんがメディアで発していた「見たものを真ん中で撮ればいい」の言葉に本当に救われた。こんな事で写真がこんなに楽しくなるのかと感動すら覚えた。
その幡野さんが写真のワークショップを開催すると聞き、応募するが毎回争奪戦で参加出来ず。今回1年がかりでやっと参加出来る事となった。

出がけに撮ったイラストレーターである妻の仕事道具
快く送り出してくれた妻に感謝
会場最寄りの駅で
そわそわと浮き足だった気持ちで写真を撮りながら向かう
入り口でスタッフの方が出迎えてくれる
低音の良い声で狩野さんだと気づく

会場に入ると先に来ていた参加者の方と幡野さんが談笑していてにわかに緊張する。「山で測量する時って熊鈴つけるんですか」と聞こえる。なんの話しだろう。
最前列が空いていたので迷わずそこに座る。私は学生のころから最前列を選ぶタイプだ。
かしこまった感じもなくするりとワークショップがはじまった。写真を撮るにあたっての心持ちや機材の選び方、データの扱い方などの座学が軽妙な話し口で進んでいく。ブラックなユーモアも散りばめて。
モニター後ろでand recipe小池さんの調理が進み気が気でない。
実際に皆んなで撮影する時間もあった。教わった光の事、距離の事を意識してとにかく「たくさん撮る」。

私は逆光が好きらしい
写真がうまくなるおまじない
もう羽釜で炊飯している時点で美味しいの確定だった

昼食をはさんで写真の現像の時間。セレクトの仕方が目から鱗だった。なるほどこれなら幡野さんほど大量に撮る人でもスピーディーに選べる。
年代物MacBookAirのスペックが低く処理に時間がかかり、大量の脇汗をかきながらなんとか数枚の現像を終える。
幡野さんが「3名だけモニターに映しながら私が現像します。希望者は挙手」と言い終わらないうちに手を挙げる。学生のころからこういう時は真っ先に手を挙げるタイプだ。
自分が現像した写真と幡野さんが現像してくれた写真を比較する。

本人現像
自宅マンション階段にある枠。光がきれいなのでよく写真を撮る
幡野さん現像
露出を明るくしてメインの虫を活かしている
本人現像
正月実家での祖父と孫(甥)
幡野さん現像
やはりメインの将棋盤を活かしている

「自分が見せたい物がちゃんと見えれば、他は黒くつぶれたり白飛びしていてもいい」の言葉が印象的だった。現像とは自分が何を見せたいのかを具体化する作業なんだと思った。

朝10時から17時半まで長いようであっという間だった。都内参加は私のみで他の方はみんなかなり遠方から来られていた。みんな幡野さんと歓談したかっただろうけど、飛行機の時間の都合もあり名残惜しそうに帰っていった。

私は最後に幡野さんの写真に救われてまた新たに写真を撮る生活を始められた事、また楽しい事ばかりではない日々が写真のおかげで幸せな日々になっている感謝を伝える事ができて嬉しかった。

妻と合流して自宅近くのバーミヤンで夕食を食べた。テンション高く「いやー幡野さんがさあ」とかなりうっとうしかったと思う。

特別な日だったので奮発した

手際よくアシスタントして下さった狩野さん、美味しい料理を提供して下さった小池さんありがとうございました。めきめきといい写真を撮っている辻さんにもお会いしたかった。

#写真 #幡野広志 #いい写真は誰でも撮れる

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