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鳥居が奥の座にある不思議な神社

姶良市豊留にある早馬神社。山田小学校の前を通り過ぎてイオンタウン姶良に車を走らせていたら、田んぼの真ん中に真っ赤な鳥居が見えました。

早速、立ち寄ってみたところ「ん…?」何か違和感が…

普通神社って、境内に入ったらまず鳥居をくぐりますよね?それから参道を進んでいって一番奥にお社がありますよね?それからお参りしますよね?

でも、この早馬神社、鳥居が境内の一番奥にあるのです。そして手前には背中を向けているお社。こ~んな感じです。

早馬神社③

駐車場から撮影しました。左がお社、鳥居の向こうは一面に広がる田んぼ。

鳥居をくぐらないと参拝にならないような気がするので、ず~と奥まで進んで鳥居の前に立ちました。それがタイトルの上の画像。一礼して社殿に進んでからお参り。

普通と逆のこの配置。何か理由があるはずと思い、振り返って方角をしらべたら。「ビンゴ!」真南を向いてました。南向きなら合点がいくのです。

早馬神社方角

なぜ、神社は南向き?

多くの神社は南向きに建てられています。それはなぜか? 

太古の昔社殿はなく、人々は岩の上に鏡を置いて反射した光を神として崇めていました。

なので、少しでも多く光を集めるために山の高い所にある大きな岩をにを置いて御神体としていたのですね。それが山岳信仰になっていったという説もあります。

磐座(いわくら)とか岩倉という地名は、鏡を置いて神を信仰した場所の名残です。岩自体を鏡にしていたところもあるようです。鏡岩と呼ばれる大きな岩がそれですね。

太陽の光を反射させて神とするわけですから、光は強い方がいい、長い時間光があった方がいい。するとその方角は、南。ですよね。光が最も強く、最も日照時間が長い方角、それは南。だから、神社は南向きなのです。

社殿を造るようになってからも、南向きにするという風習が継続されてきた訳です。

早馬神社⑤

この早馬神社、鳥居の向こう側にはあぜ道が広がっています。おそらく、創建当時は参道だったのでしょう。近年になって、社殿の後ろに農道が通ったのということなんでしょうね。

早馬神社のご祭神は、保食神(うけもちのかみ)。穀物、農業の神様です。広い水田地帯の真ん中にある神社なので、当然と言えば当然ですね。

そして、お米作りに不可欠なのは天候と季節の知識。豊留の人たちは、神社の向きで南を確かめていたのかもしれません。南がわかれば、東も西もわかる。太陽の高さで季節もわかる。

田植えや稲刈りの時期など、稲作に大切な暦を神社の向きから導きだしていたのでしょう。

ちなみにこの豊留は、1300年ほど前、豊前の国(今の福岡と佐賀県のあたり)から稲作を伝えにきた人々が定住した地区。豊前の人が留まった場所なので豊留とついたと伝えられています。

稲作技術の一つとして、神社を建てる方角も伝えたのかもしれません。

南向きの神社

鹿児島神宮(霧島市)

五社神社(姶良市)

黒島神社(姶良市)

住吉神社(姶良市)

多くの神社が南向きに建てられています。皆さんも調べてみると、神社巡りの愉しみが増えるかもしれませんよ。


でも、南向きにできない場所はどうするの?それについては、次の記事で…


ところで、この早馬神社、鳥居くぐる人あんまりいないんじゃないかなぁ…

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