借金アル中父と毒母と受験生 ①

小学生の頃から頭は決して良くなく中学で完全に出遅れる。初めて触れる英語はチンプンカンプンだし数学は何言ってるか分からない。国語の漢字は元々苦手。

母親は「勉強しなさい」と口ではかなり言う、顔見れば言う。
しかも私が遊ぶと言う、音楽かけると言う、もうただの嫌がらせで勉強をさせてるだけにしか思えない。
なのに勉強の仕方は教えてくれない、高い教材を買ってくれたけど答え合わせもしてくれない。
分からなくて相談すると図書館行って調べなさいと言う。 
意味が分からない。

金はないから塾もない。
そんな感じで中三を迎えたが当然最低ランクの学校しか勧めてもらえない。
その事に母親は激怒したのだ。
私はあんな学校に行かせたくない、私立も行かせる気はない
こんなに高い教材買ったのにあんまりだ!!
(答え合わせもせずに効果が出ると思ってる方がどうかしてる)

そんなやりとりから中三が始まった。

中二の終わりに父親が借金を抱えて以来、家庭には不穏な空気が常に流れている
顔を見れば勉強しろと怒鳴る母親
でも相変わらずどう勉強していいのかは全然分からない。ドリルはあるだけ。問題が分からないんだから誰も教えてくれない環境で解けるわけがない。

学校では相変わらず女子特有のいざこざは続き
遅刻して先生に叱られる。修学旅行で誰も班になってくれない。心はいつもモヤモヤしていた。
家では弟のやった悪事もすべて私のせいにされる、家庭に金もないから人並みのお小遣いももらえずに友達の遊びに付き合えない。
私は完全に鬱になったんだとおもう。
とにかくいつもおなかが痛い。背中も痛い。
吐き気が止まらなくて病院行ったが、異常はなかった。
私の体調が悪くなると母親は優しくなるが、すぐに元通り怒鳴りまくる
すると胃が痛くなる、「怒られると具合悪いって言い出す悪い子」になっていく。
本当なんだから仕方ない。
それでも学校には行った。授業中は手紙と絵や交換日記を書いていた。
幸い同じバンドを好きな女の子がいて、ライブ行ったりイベント行ったりした。バンドやろうとしたこともあったが如何せん実行には移らず、雑誌の切り抜きしたりするのが楽しい地味オタクだった。

中三でValentine D.C.とスラットバンクスにはまってライブにも行った。
すすきので缶酎ハイを飲みながら友達と大騒ぎしてライブの余韻を楽しむのが死ぬほど楽しかった。

だが受験が近づきなかなか遊ばせてもらえなくなった。
「大人になれば遊べるから」
これが母の口癖だった。いや、このバンドが将来まで続くなんてどこに保証されているんだ。
実際この2バンドはじきに解散するのである。

好きな事をやらせてもらえない憤りと
何を勉強していいか分からないのに机に向かわされるのが嫌で
高校なんて行きたくないと思った。
よし決めた中卒で働いてミュージシャンになろう。

私が好きなミュージシャンは所謂団塊ジュニア世代だ、校内暴力とイジメ自殺が話題になった80年代後半~90前半に高校生だった世代。その世代のミュージシャンは比較的中卒が多い、中でもルナシーのJさんのインタビュー記事はインパクトがあった。
放火したとか不穏なワードが並んでいた。悪さをしたいと思わないが社会のルールに従わずに生きてる様子がかっこよく映る。そんな年頃だった。

高校に行かずにバンドを組めばJさんになれると私は本気で思った。
その頃一番好きだっ戸城憲夫が大卒だってことは見ないことにした。

私は進学したくない、ミュージシャンになりたいから学校に行かずに働く。
そう母親に伝えた。
それが中三の夏だった。

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