小学校時代の話

いきなりキャバ嬢ですらない小学校時代の話かと思うかもしれないが、ここを書かないと次に進めない。

小2でピアノを習い始めると音楽が好きになる。といっても練習はたいしてせず、先生に「練習してきてね」と言われるのが毎週。
それを中二まで続けた。
なぜ中二でやめたかというと弟の面倒を見ろと言われたのだ。
小4の時に生まれた三人きょうだいの末っ子10歳差の弟だ。私は一番上。

それまでそこそこ普通の家庭だったと思うけど弟が生まれて急に貧しくなった感じがある。
母親は妊娠中から鬱になり、入院して家にいない生活だったりした。
でも今ならわかる。私も三人目から急に生活が苦しくなった、よく世間では二人も三人も変わらないなどと言うけど金銭的には全然ちがう。
そりゃあ給料は劇的には変わらないのに出費は劇的に増えるし当然ですけどね。

脱線したが母親がパートに出た為に弟の幼稚園の送り迎えをしろと、部活(バドミントン)とピアノをやめさせられたのだ。
理不尽だと反論したが、バドミントンもピアノも全然芽がないから続けても金がかかるだけ、とあっさり言われた。確かに練習もせずうまくなるわけが無いのでその通りかと思った。

母親はパート、私は弟の面倒、の中学時代だったがある日劇的に人生が変わる
父親がカードローンで数百万借金をして返済不能になったのだ。ここから地獄の五年が始まるのだが
全然面白くないからとりあえずすっ飛ばしておいて

その時期に黒夢が活休するのである、人生の絶望だった。
そう私はこの頃V系にどっぷりだった。
(V系なんて言葉はもう少し後なんだけど)

小四で米米CLUBとドリカムにはまってバンド音楽を知る。
小五からデビュー直後のルナシーやラルクを聞き、小六でなぜかアルフィーに行くものの中一でデビュー直後のまだ小さいホールでやってたT.M.Revolutionのライブに行く、これが人生初ライブだ。

不穏な空気が流れ始めた家庭の中で弟の面倒見ながらビジュアル系音楽に現実逃避し絵を描いたりビーズアクセサリーを作ったりする普通(?)の女の子だった。
陰キャで、いじめられてると思っていた記憶はあるが今になって思えば、いじめとまでは言えない女子のありがちなイザコザだと思う。

ただあだ名は「失敗」だった。
ブス過ぎて(美容)整形に失敗したみたいだから整形失敗ヅラ。
いつしか略されシッパイと呼ばれるようになる。

それをいじめと言うならいじめられたのかもしれないが、当たらずとも遠からず、整形はしたことはないけども、大人になって広い目を持てるようになってよくわかる。
私はブサイクだ。だがあまり気にしていない。大人の世界には面とむかってブスと言ってくる人はいないし、結婚も二回した。世の中には物好きもいるのである

シッパイと名付けたヒラ○○くんは元気だろうか
そう、相手の名前を覚えてるくらいには恨んでるいるのだが。

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