命について

RADWIMPSの「絶体絶命」というアルバ厶に「DUGOUT 」という曲がある。

その曲の真ん中ら辺にこんな歌詞がある。


毎日何かを食べてまで
しがみついているこの世界に
殺めた命に見合うだけの
価値が 意味が
あるとは到底思えるはずもなくて


過激なベジタリアンが反応しそうな文句だが、生憎私は肉が大好物だ。鶏も豚も牛も。
この歌詞はふとした時、例えば退屈な授業中だとか弁当箱を開けた瞬間だとかに私の頭に張り付いてくる。 
殺めた命に見合うだけの価値や意味
そんなものがこの世にあるのだろうか。この世で一番価値のある人間とは誰なのだろう?
優れた科学者?才能溢れる芸術家?それとも弱い人間を助けた人?
そのどれだって''殺めた命"には値するものではない気がする。

最初から殺して食うつもりで生き物を閉じ込めて管理し、予定通りに首を絞めて捌いて肉塊に仕立て上げる。私達は何も考えずに並んだ肉を値段を気にしながらカゴに入れて、家に帰ればそれを油の中に落とす。
当たり前の話だが、人間でないからこんなことができる。人間以外の動植物は私達に聞こえる声で何かを訴えてくることはない。人間の肉でないから目の前に肉があってもグロいとは思わない。

こういうことは誰しもが1度考えたことがあると思う。
でも、結局どうすることもできない。なぜなら、食べなければ死ぬから。これは先史時代から現代まで共通する単純なことで、誰も抗えない。
だから、思考能力を持つ人間が進化し、ここまで来たのだろう。だからこんなことを考えても無駄だし、どうせ数時間後には私も何食わぬ顔で、何も気付かないふりをしながら、肉を食べてる。

私達が命を殺めそれを食べることは、何をしたって許されることではない。だから私達にできることは、畜産に関わる人、食材となる動物に感謝すること、いただきますとごちそうさまを言うこと。そして、殺めて繋いだ自分の命を精一杯生きることだと思う。
幼い頃教わった"いただきます"が、考えてみると重い意味を持つ言葉なのだと感じた。

自殺者を非難するつもりは、全く無い。私は恵まれかている人間だから、今の所その人の辛さを理解するなんておこがましいだろう。でも、私は沢山の命の上に生かせてもらっている存在だ。自殺は生きること以上に罪深いものだと私は思う。戦争なんて論外だ。

殺される、死ぬ、ということは、この世から存在が消え、自我が存在しなくなる、正直想像できない。

自殺、他殺、戦死、自然災害、そして私達を生かせてくれる動物達。命がいまいち分からない自分にはそれとどう向き合えばいいか分からない。


結論は出そうにないけど、こんなことをたまに考えながら生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?