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落語

どうもボンドです。

本日のテーマは『落語』です。

日本人なら『落語』と聞けばなんとなくイメージは湧くと思いますが、正直あまり馴染みがないという人も少なくないのではないでしょうか?

かく言う私も、漫才やコントは人並みに嗜んでおりますが、落語となると恥ずかしながらまともに見聞きしたことは今までございませんでした。

今回『落語』を調べることになったきっかけも、チーム野郎プロジェクト与太郎五人衆が、ものの見事に誰一人として落語に覚えがなかったので、これはいいきっかけだ!ということで手を出してみたのですが、触れてビックリなんと趣深く面白い世界だことか・・・。

また自分が今までどれほどジャンクな『笑い』で腹を満たしてきたのかを痛感いたしました。

結論からいうと落語とは『喜怒哀楽』が全て詰まった人情劇であるということなんです!!!

是非、私のようなYouTubeのドッキリ企画で腹を満たしているジャンキーに、こちらの記事を読んで良質な笑いの世界を知って頂きたいと思います。

落語の構成

まずは落語の芸の特徴から解説していきたいと思います。

例えば漫才であれば、2人組でボケとツッコミに役割が分かれていて、会話の掛け合いの妙で笑いを取っていく、というのが特徴として挙げられると思います。

対する『落語』も同じように会話を掛け合うのですが、二人ではなく噺家(はなしか)さんが高座に座り1人で喋り、小道具は扇子と手拭いのみで行います。

また最も大きな特徴は、ネタが『マクラ』『本題』『サゲ』という3段構成になっいるという点です。

マクラ』とは本題に入る前の小咄のことで、世間話などで会場を温めるという役割を担っています。

例えば「昔の時計というのは9つから始まって減っていったそうですね。9つ・8つ・7つ・6つ…と減っていって、1周するとまた9つから始まると言う、それでちょうど8つ時の頃にお菓子を食べるのでオヤツとこうなったわけでありますな」といったように、演目に出てくる当時の文化や言葉を説明する役割としても使われています。

そうやって会場が温まってくると、いよいよ『本題』に入ります。

文字通り演目となるとネタを披露する場面で、漫才やコントは1つのネタの時間が5分~10分程度ですが、落語はトリとなれば1つの演目で30分~1時間もの長丁場を、たった1人で話し続け会場を笑いの渦に巻き込んでいきます

そして最後に『サゲ』。

つまり『サゲ』=『落ち』で演目を締めます。

そもそも『落語』という言葉は『落ちがある話』という由来から来ているため、この『サゲ』がなければ落語とは呼べません。

ただ、落語の『サゲ』は「テッテレー!ドッキリ大成功!」のような万物を巻き込む剛腕な笑ではなく、30分以上披露してきた『本題』の前振りを見事に回収し、思わず「うまい」と膝を打ちたくなる秀逸な落とし方をしてくれるものが多いように感じます。それはまさしく、プロが作る『落ち』の美学だと私は感じております。

落語の歴史

ここまで落語の構成についてお話をしてきました。

「つい先週まで『テッテレー』で大爆笑していた奴に落語の何がわかるってんだぃ!」と、画面の向こうから石つぶてが飛んできそうですが、めげずに、ここからは落語の歴史について解説していこうと思います。

落語の発祥はなんと1500年頃の戦国時代。

面白い話を披露する『御伽衆』(おとぎしゅう)と呼ばれる人たちが落語の祖と呼ばれており、1700年頃の江戸時代に入ると、このような『面白い話をする』という商売を営む人が出てきます。

落語が最盛期を迎えるのはそれから約100年後の1800年頃。

今までどこかの場所を借りて不定期で開催していたこのような『落とし噺』でしたが、『寄席』の誕生により特定の会場で入場料を取れるようになったことで、『落とし噺』を行う噺家のレベルも上がり、人気の噺家が現れるのと同時に落語の人気も拡大していったわけであります。

上方落語と江戸落語

ところで、落語には『江戸落語』と『上方落語』という2つの種類があるのをご存知でしょうか?

『江戸落語』というのは文字通り江戸を中心に発展していった落語文化で、『上方落語』というのは京都や大阪を中心に発展していった落語文化を指します。

同じ落語なのにどういった違いがあるかというと、『江戸落語』は武士の酒宴の席などで披露する屋内の芸として定着していったのに対し、『上方落語』は外を歩いている通行人を相手に、机を叩いたり鳴り物を鳴らしたりして注目を集めながら芸を披露していたため、今でいう大道芸人のような文化として定着していきました。

そのため『江戸落語』は、武士を喜ばせるために武家社会が舞台となる話が多く、屋内で披露することを前提としていたため扇子と手拭いというスタイルに落ち着き、『上方落語』は、通行人を喜ばせるために商人が主役となる話が多く、屋外での公演やお客がいない状態を前提としていたため、鳴り物なども使った賑やかなスタイルになっていきました。

ちなみに『上方落語』は京都や大阪を中心に発展していった文化と説明しましたが、『江戸落語』も発祥は大阪の商人なので、ルーツはともに『上方落語』ということになります。

この辺りの歴史が『関西人はオモロイ』という日本人の価値観を作り上げたのではないでしょうか?

『古典落語』

落語にはもう一つ大きな特徴があります。

それは、同じ演目をいろんな人が披露してもいいということです。

普通SHOWビジネスの世界では、過去に発表された作品を別の誰かが引用すると『盗作』として訴えられますよね?

仮に法的に罰せられなかったとしても、世間一般では『二番煎じ』のレッテルが貼られ厳しい批判に晒されます。

ところが、落語は引用どころか過去の作品をそっくりそのまま披露することが許されているのです。

これは音楽で言えばクラシック、演劇で言えばシェイクスピアのように、作品の奥深さが素晴らしいため、表現の可能性が無限に存在するということの表れだからではないでしょうか?

何度ジョジョを読み返しても新しい発見がある、あの感動と同じですね。

これらの作品は『古典落語』と呼ばれており、江戸時代に生まれたものが多く、現在寄席で演じられている演目だけでも300もの種類があると言われています。

もちろん、現代の描写を用いた新しい落語も作られており、そういった新しく作られた落語のことを『新作落語』と呼んでおります。

作品数の上では圧倒的に新作落語の方が多いのですが、人気があるのは数々の名人が伝承してきた古典落語のようで、『タイガー&ドラゴン』や『ちりとてちん』といったドラマの題材として使われたのも、やはり、古典落語の名作がほとんどです。

言ってしまえば、映画館で若手俳優を起用した新作映画と『ローマの休日』や『ゴッドファーザー』のような名作が入れ替わりで上映されており、常に名作映画の動員数が新作映画を圧倒しているような状態ということです。

一般的なSHOWビジネスの世界ではあり得ないことですが、この異常事態が常時起きているというのが落語の世界なのです。

ただ、これは決して『新作落語』の価値が低いとかそういうことを言ってるわけではありません。むしろ、落語家さんの中には『古典落語』を敢えて演じず、自作の『新作落語』を披露することで、時代に合わせた落語の楽しみ方を追求している落語家さんもいらっしゃるので、双方の作品に各々の魅力が詰まっていると捉えて頂ければ幸いです。

落語の噺(はなし)のジャンル

このように、時代に合わせた作品や噺家の個性が詰まった『新作』と、名人によって語り継がれてきた不動の人気を誇る『古典』が共存する、まさしく『笑い』の伝統芸能と呼ぶにふさわしい『落語』の世界ですが、恥ずかしながらまだ手代にもなれない小僧の身分である私から、落語の真の魅力について語らせて頂きたいと思います。

いや、分かってはいるんです。

私なんぞに落語の魅力を語る資格がないということは。既にいくつか飛んできた石つぶても当たっております。

ただ、一つだけ胸を張って言えることがあるのです。

それは、私は1週間前まで落語に触れたこともありませんでした。

つまり、ズブの素人の気持ちは誰よりも理解できるということです。

そして、この1週間、『落語』について調べているうちに、それはそれはキレーにハマりました。

こんなにキレーにハマったのは、グアムで食べたドライマンゴー以来です。もう四六時中食べてましたから。マンゴー。終いにはマンゴーアレルギーになって医者に行きました。(実話です・・・)

ということで、私のような落語初心者の方にこそ伝えたい落語の魅力。

それは『喜怒哀楽』が全て詰まった人情劇であるということです。

もちろん、落語家さんは芸人であり人を笑わせるのが仕事なのですが、笑福亭純瓶さんの言葉を借りるなら、それは落語の魅力の4分の1でしかない。

喜怒哀楽でいう『喜』の部分だけ、つまり笑いだけが落語の魅力ではないということです。

そもそも落語というのは、江戸という時代に生まれた庶民の嗜みです。

日本の伝統芸能には、能や狂言といったものもありますが、それらはどちらかというと上流階級の人たちの嗜みとして作られた芸能です。

しかし、庶民は上流階級の生活など知りません。

マリーアントワネットの渾身のギャグはフランス革命の火に油を注ぎました。

つまり、庶民には庶民の生活があって、江戸や京都や大阪の街で繰り広げられる日常の中にこそ、共感できるネタが転がっていたわけです。

立川談志さんも「落語とは人間の業である」という名言を残されており、そういった観点から見ても、その共感は必ずしも『笑い』だけではなく、人間のだらしない所に怒ってみたり、深い情愛に涙を流してみたり、軽快な掛け合いを楽しんでみたり、そうやって『喜怒哀楽』全ての感情に訴えて、何気ない日常に華を咲かせる芸。

それこそが落語の最大の魅力ではないかと私は思うわけです。

現に、私もこの1週間で20ほどの演目を拝見しましたが、笑いを含め様々な感情を抱かせて頂きました。

そしてそれら全ての感情を掬い上げて見事に落とす。

この芸が本当に素晴らしく、私が冒頭で述べた『サゲ』の美学に合い通じるのではないかと思うわけであります。

サゲの美学と言えば、円楽さんがこのようなことをおっしゃっていました。「噺家はオチの解説をしない。話を落としたら頭を下げて幕を引く。これがカッコいいんだよ。」

喜怒哀楽をふんだんに盛り込んだ人情噺と、それを見事に介錯するサゲの美学。手前味噌ではございますが、落語入門者の方々への道標として私なりの落語の魅力を語らせて頂きました。

まとめ

私の解説などではまだまだ落語の魅力を語り尽くせていないと思いますが、最近では落語をテーマにしたアニメなどもございますので、入りやすい入口から落語の魅力に触れていってください。

最後に朱雀さんの、ある演目の『マクラ』での一幕を紹介して、締めにしたいと思います。

「落語というのは想像力の芸でありまして、腕を広げれば飛んだことになり、ここに山があると言えば山ができる。なんとも安上がりな芸であります。それ故、どんな想像をするかはお客様に委ねられており、楽しむ度合いもまたお客様次第ということであります。」

ということで、今回は『落語』について調べさせて頂きました。

こちらのノートでは「大人として知らないと恥ずかしいこと」や「それ知ってたら人生もっと楽しめる」という経験をベースとした一般常識や社会情勢をご紹介していこうと思います。

また、メンバー5人とはいえ、与太郎が無い知恵を絞って調査を行なっているため、記事のクォリティーも去ることながら、知識の面で不足や間違いがある恐れもございます。

そのため、大変図々しいお願いではありますが、コメント欄にて皆様の叡智をお借りしウィキペディアのように知識の補完をしていければ幸いかと思っおりますので、我々と共に学びを深めていくというスタンスでご感想やご意見お待ちしております。

週に1回くらいのペースで記事の投稿していければと思っておりますので、また来週お会いしましょう。

ありがとうございました。

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