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18歳。大学でできた数少ない友人。


相変わらず、自宅でソファーをへこませている。もう最近は自分はそういう仕事に従事しているんだと思うようにしている。今日も仕事は順調だ。

本当に無為に過ごそうと思えば幾らでも無為に時間は過ぎるとつくづく思う。

思へばハジと無為な時間の多い人生だったが、中でもお笑いを始める直前の時期はひどいものだった。




18歳。僕は関西ではお金持ちが多く集まることでお馴染みの大学に通っていた。

『お金持ち』とは、僕のように大学から入ってくるような人間の事ではない。中等部や高等部からの生え抜きの連中のことだ。我々はカレッジカーストでいうところの一番下位に属し、生え抜きの連中が上位だ。

そんな上位の生え抜き組の中でも、さらに特別な位置にいるのが『フランスにある姉妹校に留学していた組』だ。

最長で8年程フランスにいた彼らは、キャンパス内を肩でセーヌ川の風を切るかのように闊歩していた。(そのうちの一人が悪名高き3代目バチェラーである。)彼らの行列の前を横切ってしまった平民が、無礼討ちとしてフランスパンで撲殺されたと、風の噂で聞いた。

そんな学内の雰囲気は、言うまでもなく全くもって肌に合わなかった。そもそもなんで大学に入ったのかも自分でよく分かっていなかった。真剣にお笑いをやろうと思ったのは入学して少し経ってからだった。




ろくすっぽ真面目にキャンパスライフなんて送らなかったので数こそ少ないが、友達はできた。全部で三人。



一人は僕と同じように大学から入ってきたいわゆる下層の人間。いや、下層の中でも貧乏だった。天然パーマでいつもMSCかなんかのHIPHOPのTシャツを着て、ぼろぼろのジーンズを引きずっていた。

気のいいおっちゃんの経営しているカツ丼屋でバイトをしていて、そこのカツ丼がそれはもう無茶苦茶美味かった。未だに人生カツ丼ランキング一位だ。



もう一人は中高から学内にいる中層人。そんなお金持ちのいい家に生まれたのに何故なのか暴走族をやっていた。暴走と大学という大谷翔平もびっくりの二刀流を疑問に思ったが、出身が姫路だと聞いて合点がいった。(姫路には城とヤンキーと松浦亜弥しかない)

恐ろしく品のない金髪がトレードマークで、金を貰っても跨りたくないダサいバイクに、しばしば自前の特攻服で登校していた。たまに特攻服を着ているのに電車で来ているときがあって、それはおもろいと思った。

阪神が勝った次の日は虎の着ぐるみを着ている時もある、典型的な関西弁で言うところの『いちびり』だったが、笑顔の可愛い愛すべき奴で友達はたくさんいた。ちなみにバイクは改造しておらず、割と静かだった。

一度彼の紹介で姫路の祭りで祭りの屋台のバイトをした事がある。お前みたいな奴がいるなら行きたくないと言ったが、その年から「祭りの日に特攻服来てる奴は問答無用で連行しちゃうぞ条例」が施行されたと聞き、渋々引き受けた。

無茶苦茶しんどかったので、日当こそ良かったがもう二度とやらないと思う。疲れた帰り道に特攻服を着た少年が警察に連行されるのを見た。少年はパトカーに乗せられる際に仲間に向かって「バリバリ〜!!」と叫んでいた。この地には二度と足を踏み入れないと誓った。



もう一人は完全なる上層人。幼稚園だか小学校だかからエスカレーター式で進学し、フランスに8年くらい留学して帰ってきたという筋金入りのボンボン。学内では天竜人のような扱いの人間だ。

フランス料理は背が高く育つのか、185センチくらいあってマッチョだった。いつもハイブランドで身を固め、香水のを外国基準の量で振りかけ(日本人には致死量)ており、我が物顔という言葉がぴったりのその威風堂々たる立ち居振る舞いは、まさしく『フランス帰り』だった。

入学直後に同じ学部の顔の派手な量産型関西女子大生に手を付けてしまい、その女の子は「あのマッチョなフランス帰りと付き合っている」と周りに自慢げに吹聴していたが、彼には年上の婚約者がいたし、浮気相手はその子だけじゃなかった。




上流・中流・下流の三人という奇妙なバランスで構成されている僕の交友関係は良好で、互いに性格も生い立ちも全く違ったのでほとんど諍いもなかった。

家が遠い『いちびり』以外の3人はほどなくして『カツ丼』の家に溜まるようになった。

家ではずっとOZROSAURUSが流れていた。みんなで交代で朝までGTAをやって、眠って『カツ丼』のバイトの時間になったらみんなで店に行ってカツ丼を食べて、家主不在のカツ丼ハウスに帰った。(ちなみにカツ丼の実家。)

ある日『カツ丼』が顔面蒼白で家に帰ってきた。なんと店のバイトリーダーが豚肉と秘伝のタレをパクって逃亡したのだ。前代未聞すぎて意味が分からなかった。その店のカツ丼をこよなく愛する我々はひどく憤った。特に正義感の強い『フランス』は絶対に見つけ出してシバくといって鼻息荒かった。鼻息もいい匂いだった。

暫くして思いもよらないことが起きる。肉とタレを持ち逃げした犯人が(豚肉だけに)3ブロックほど先にカツ丼屋をオープンさせたのだ。

呆気にとられる我々を尻目に、店は繁盛していた。史上初の「勝手に暖簾分け」をされてしまった側の店主のおっちゃんは「ええねん、ええねん」と笑っていた。よくないだろ。しかし当の本人がそんな様子なら仕方ない。『フランス』は抜いたフランスパンを鞘へと納めた。



我々の唯一共通の話題といえばHIPHOPだった。『カツ丼』は典型的なヘッズだった。オジロやICE BAHNが好きで、僕が横浜出身だと聞くと目を輝かせた。「横浜ってどんな街なん?」と聞かれたので「神戸のデカイ版」とだけ答えた。

『フランス』に至ってはHIPHOPグループをやっていた。当時バリバリ(ブリブリ?)に勢いのあったTERRY THE AKI-06率いる420familyに傾倒していた。

『カツ丼』と二人でライブを観に行ったことがある。通常HIP HOPグループは3MC+1DJなどの構成が一般的だが、『フランス』のグループは衝撃の3MC+1シンセサイザーだった。「シンセおるのにDJおらんくない…?」と戸惑う僕らに追い打ちをかけるように、『フランス』は自分のヴァースでフランス語のラップを披露した。無論、ほかの2人のMCは日本語だ。

ライブが終わった後、「どうやった?」と聞かれて僕と『カツ丼』は声を揃えて「ヤバかった」と言った。どっちの意味の「ヤバい」かは受け取り手に委ねる事にした。委ねられた大男は「せやろ!」と言って汗を拭って笑顔を見せた。




そんな『フランス』の実家にも遊びに行ったことがある。奇跡的に僕が大阪で一人暮らしを始めたボロアパートから目と鼻の先だった。

いかにもお金持ちのマダムといった風情のお母さまと、いかにもお金持ちといった風情のお父様がいた。家の中はどこを歩いてもいい匂いがした。聞くとお母さまが「オーガニックの香料の入ったリキッドを揮発させる特製の器具」を販売しているそうだった。

「誰々も、誰々も私から買っているのよ」と自慢げに話していた。顧客情報駄々洩れやん…と心の中で思いながら「すごいっすね~」と相槌を片手で打った。

たまに行くとすき焼きなどの高い飯を飯を食わせてくれたので、今でもとても感謝している。お母さまに「水飲むときはエビアンにしなさい。体にいいから。」と言われて以来僕はボルビック派だ。




大学を辞めてからは、誰とも全く連絡はとっていない。

一度だけ『フランス』から電話が来た。Wi-Fiのルーターのセールスの電話だった。



コーヒーが飲みたいです。