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【本】田宮二郎の真相


『田宮二郎の真相』 (石田伸也)



<SNS時代の今こそ読みたい昭和スターの“真相”>



いしだちゃんこと、石田伸也さん


まず最初に、この本の作者は超老舗お笑いライブ『いしだちゃん祭り』の主催者、いしだちゃんこと、石田伸也さんだ。

僕が石田さんの本を読むのはこれが初めてではない。『ちあきなおみに会いたい』という本も読んだ事があるのだが、それは我々ヤーレンズがいしだちゃん祭りにお呼ばれするよりも前の話だ。

今でこそ、石田さんと僕は“ライブ主催者”と“出演者”という関係だが、元は“本の作者”と“いち読者”という関係だった。そしてこの本で再びその関係に戻れたわけだ。


昭和を駆け抜けた名優


田宮二郎は大映で数々のヒット作に出演した看板役者でありながら、その後役者界の序列に反発して大映との契約を解除。五社協定により映画界から締め出され、テレビ界へと流れた。

『クイズタイムショック』の司会などを務めながらもら数多くのドラマに出演。その中には、最近またリメイクされた『白い巨塔』があった。その『白い巨塔』があと2話放映を残している段階で、田宮二郎は散弾銃で衝撃的な自殺を遂げる。

そのあまりにショッキングな死について、今までも多くの本が出版されており、この『田宮二郎の真相』はその決定版とでも言うべき一冊だ。


青い炎


僕はノンフィクション作品をよく読む方だが、ノンフィクションの作品の良し悪しを分けるのは、作者の熱量に他ならないと思っている。その点に関して石田さんの情熱はただならぬものだ。

石田さんの長年の取材は、今まであまり口を開く事の無かった幸子夫人の証言、そして手記までも引き出した。石田さんの熱意の賜物である。

それでいながら、石田さんはあくまで冷静かつ客観的だ。変に脚色したり、自分の思いを文字に乗せたりしない。それでこそが、取材を受けてくれた関係者や夫人への敬意であり、真相を伝えたい思いの表れのように思う。

たまにノンフィクション小説を結論ありきで書く人がいる。もちろん対象への思いは強いのだろうが、取材を突き詰めていけば自分の思い描いていたものと違う事だってある。その事を認めない、認めたくない、そんな葛藤が見て取れる作品もある。

自分の思い描く結論以外は認めたくない。まるで朝までやっている討論番組の司会者のような見苦しさを感じるが、当然この本には一切無い。

めらめらとあからさまに燃える炎よりも、青い炎の方が静かだが、温度は高い。


令和だからこそ


田宮二郎が生きた昭和から、元号が2つ改まって令和となった。映画が娯楽の頂点だった時代はとうに過ぎ、テレビですらその影響力はかつてほどではない。いわゆる銀幕スターなど、もはや存在しなくなった。

今は俳優も皆一様にSNSで自らを発信する。何もせずとも衆目を集められた昔とは、勝手が違うのだ。

しかし、高倉健がプライベートを決して明かさなかったように、昭和のスターの生活はまるで我々庶民とはかけ離れた、遠い異世界にいるかのように、神秘のベールに包まれている。

だからこそ、こうして語られる。文章にされる。そこにロマンがある。

演技に人生を捧げ、芝居に取り憑かれ、そして非業の死を遂げた昭和の名俳優。彼の思いの一端を綴ったこの本は、まさに昭和と令和を繋ぐ一冊と言っていいかもしれない。

もう出ることの無いであろう、古い意味での、本当の意味での“スター”は一体どのようなものだったのか。ぜひ読んでいただきたい。



いや〜...やっぱり昭和の大スターっていうのはモノが違うんだな…。

とりあえず次回7/20『いしだちゃん祭り 30周年スペシャル』があるので、告知に書かれる出演者の序列について、田宮よろしく難癖をつけてみようかな。干されちゃうか。






コーヒーが飲みたいです。