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神様にお願いするなら何が“ほしい”ですか?その答えに表れる人生観

いでよ神龍!私の願いを叶えてくれ!

昨日、糸井重里さんがこんなことを書いていた。

藤井聡太棋聖が、「将棋の神様にお願いするなら、なにを?」という質問に、「せっかく神様がいるのなら、一局お手合わせをお願いしたい」と答えたらしい。

前後談含む全文は記事末に転記させていただくが、これが生き方、生き様をそのまま表わしていると感じた。藤井棋聖からしたら至極当たり前のことを言っただけかもしれないが、こんな考えをすんなりできる人がどれだけいるだろうか。

「お金」や「名声」と答える強欲さはないにしても、「実力」「健康な身体」「人との出会い」そして「時間」を求めてしまう人は多いのではないだろうか。かくいう自分も今なら「時間」と答えてしまうかもしれない。

でも藤井棋聖は「お手合わせをしたい」と。モノではなく経験と言い換えることもできるかもしれないが、「なにかを得たい」ではなく、「こういう世界を見たい」という最上級の欲求である。

(願いを叶えられるなら、この目の前に現れてくれ!という一休さんの「屏風の虎」のとんち話のようだが笑)

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昨日も投稿したが…

Be the change you wish to see in the world.
あなたが見たい世界に、まずあなたがなりなさい。

まさにガンジーの言ったこれである。

人生で最も尊いのが命であり、それと等価の時間が一番価値があり、でもそれを生かすも殺すもどう使うかは、自分の信念次第ということではないだろうか。

なんだか(決して年齢軽視をするわけではないが)成人なりたての若者の言動に、アラフォーの大の大人が背筋を伸ばされ、身が引き締まる想いです。

今日から、否いまから、気を正して毎日目の前のことに没頭して、人生を思う存分たのしんでいきます。

御意。


※ほぼ日「今日のダーリン」2020年7月26日分を転記(敬意を込めて)

将棋の藤井聡太棋聖の話題が、ぼくらの耳にも聞こえはじめた頃、「なにがどうすごいのか驚けなくて残念なんです」と言ったぼくに、スポーツ紙の記者が、同僚の将棋担当に受けた説明を、おすそ分けしてくれた。

「関西ではもう評判になっていたのだけれど、東京にくるときに、どれくらいすごいのかわからなくて、クルマに例えたらベンツだとかポルシェだろうと、いちおうイメージして待ちかまえていた。そしたら、やってきたのはジェット機だった」と、将棋担当の記者に言われたのだそうだ。それからその後の活躍ぶりを考えると、その比喩が見事だったのかもしれないと思えてくる。

ぼくはあいかわらず何もわかっちゃいない人なのだが、先日の「藤井聡太エピソード」で、また深く感心した。イベント会場でファンの質問に答えるコーナーがあった。「将棋の神様にお願いするなら、なにを?」という質問。いまの藤井棋聖なら「さらなる実力」でも、「時間」でも「胆力」でも「カンが冴えるお昼の食事」でも、どんな答えでもなるほどと思わせてくれるにちがいない。で、場馴れした司会者が「彼女…はどうですか?」とか、ありがちなツッコミを入れて、翌日のテレビ番組になる。と、思ったら大まちがいだった。藤井聡太棋聖は「せっかく神様がいるのなら、一局お手合わせをお願いしたい」と答えてくれたらしい。おそらく、ほんとうにそう思って答えたのだろう。神様に「なにかください」とお願いするのではなく、真正面から「お手合わせ」をしてほしい、と。将棋の神様がいるのなら、どんな将棋を指すのだろう? ものすごく真っ直ぐで真剣な気持ちが見えてくる。まさしく「ジェット機のこころ」だと思わされた。

いまの時代「名言」というものは、ひとつのパロディとして鑑賞されるものになった。ローランドさんの「名言」も、お見事なのだけれど、言った瞬間、仕上げとしての「笑い」を必要としている。藤井棋聖の「神様とお手合わせ」は、「名言」と呼ばれない次元で見事に残っていきそうだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。将棋にまったく詳しくないのに、つい書いちゃいました。

※昨日の分まではアーカイブされています


与え合いの恩贈りで巡る世の中になったらいいな。 だれでも好きなこと、ちょっと得意な自分にできることで、だれかのためになれて、それが仕事にもできたら、そんな素敵なことはないですね。 ぼくの活動が少しでも、あなたの人生のエネルギーになれましたらうれしいです。