梵天の千鶴子
祖母の思い出に。
「梵天の千鶴子」の名で知られる、この物語の主人公は、戸籍上の名前を松村ちづという。大正十三年八月二十三日、群馬県前橋市に、養蚕業者の次女として生まれた。姉のちえとは二十分違いの双子であった。
二人の両親は、前述のように養蚕業を営んでいた。父は、「平成の大合併」で高崎市に併合される前は「箕郷」と呼ばれていた地域の、養蚕業者の長男だった。この本家は、幕末のころから、次第に女性が家をとりしきるようになっていたが、この代には男子が二人生まれたのみだった。そのため、彼は長じて、同業者の娘を嫁にもらうことになった。しかし、彼は、家で雇っていた年上の未亡人と、わりない仲になってしまった。この未亡人には子供がなく、身寄りもなかったため、結局、母の許しで二人は結婚することになった。ただ、同業者の娘を嫁にもらう約束を反故にできなかったため、本家は弟が継ぐことになり、彼は前橋に一家を構え、双子が生まれたのだった。
このことから、ちづ……梵天の千鶴子のたぐいまれな霊能力は、母方の血を引いているからではないかという話があった。ぼくも若い頃、同じ事を考えた。ただ、ちえはそれを否定した。彼女は妹と違い、霊だの怪異だのといった、超常的なものの一切を感じることなく生きた。もし、血筋が原因なのであれば、私にもなにかそういうことがあったはずでしょう、と、こういうのである。
しかし、だとすれば、戦後のある時期からちえの左目の視力が衰えだし、同じ頃、千鶴子はある出来事から右目の視力を失っていたと後でわかったのは、どういうことなのだろうか。また、千鶴子が四年前、「最後の事件」で背中の入れ墨を傷つけられる重傷を負い、数日後命を落としたのを境に、ちえが惚け始めたのに、ぼくは妙な符合を感じずにいられない。
だから、ぼくがこれから語る梵天の千鶴子の物語には、ちょくちょくちえ……ぼくの祖母が登場してくることになる。
【続く】
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