「Chad is an ancestor now」——故チャドウィック・ボーズマンに関する、ライアン・クーグラーの随想文
本文は、2020年8月28日に亡くなった俳優「チャドウィック・ボーズマン」に関する、映画『ブラックパンサー』を監督した映画監督の「ライアン・クーグラー」の随想文、その私家翻訳版です。
原典は、CNNに寄せたクーグラー氏のコメントです(ページ下記の「原文」参照)。もし、誤記、誤訳など発見されましたら、コメント欄にてお知らせくだされば対応いたします。
——うさぎ小天狗
偉大なるチャドウィック・ボーズマン逝去に際しての、ぼくの考えをお話しする前に、まず、彼がこの上なく愛したご家族に対して、お悔やみを述べさせてください。特に、彼の妻、シモーヌに。
「ティ・チャラ」のキャスティングに関して、ぼくは、マーベルと、ルッソ兄弟の決定を引き継いだかたちになる。これは、とてつもなく光栄なことだ。ぼくは、『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』の未完成版で、ティ・チャラを演じるチャドをはじめて見た。そして、『ブラックパンサー』を監督することが、じぶんにとって正しい選択だと、確信したんだ。ディズニー・スタジオの編集室で、あのシーンを見たときのことは、一生忘れないだろう。それは、チャドと、スカーレット・ヨハンソン演じるブラック・ウィドウとの初共演シーンで、そこにはティ・チャラの父「ティ・チャカ王」を演じる、南アフリカ映画界の「巨人」ジョン・カニも出演していた。『ブラックパンサー』を監督したいと思ったのはこのときだ。スカーレットが彼らから離れると、チャドとジョンは、聞いたこともない言葉で話し始めた。でも、なんとなく聞き覚えのある、「カッ」とか「チャッ」とかいう音、アメリカの黒人の子供たちがしゃべるときにさせる音に似た音がしていた。ぼくたちのような大人が使うと、失礼だとか不謹慎だとか、文句を言われるたぐいの音だ。でも、その音には、どことなく古くて力強い、アフリカ的な響きでがあった。
見終わったあとの会議の席で、ぼくは、この映画のプロデューサーを務めたネイト・ムーアに、さっきの言葉について訊ねてみた。「この映画のために作ったものなんですか?」って。するとネイトはこう答えた。「あれはコサ語だよ、ジョン・カ二の母語なんだ。彼とチャドが現場でやろうって言い出して、そういうことになったんだ」ぼくはうなった。「チャドは、よその国の言葉を習った、その日のうちに、その言葉で演技をしたっていうのか?」それがどれほど難しいことなのか、想像もできないくらいだったから、まだ会ったこともないうちから、ぼくは、彼の役者としての懐の広さに、感服させられてしまったんだ。
あとになって知ったことだけど、映画のなかでティ・チャラがしゃべるとき、どんな発音になるかについては、綿密な話し合いがあったそうだ。ワカンダの公用語をコサ語にしたのは、サウスカロライナ州出身のチャドが、コサ語のセリフならその場で覚えることができたからだという。チャドは以前から、西欧文明に征服されないアフリカの王としてのティ・チャラを、観客に見せるためには、アフリカの発音でセリフを言う必要がある、と提案していたんだ。
ぼくが、ようやくチャドと直接会うことができたのは、二〇一六年のはじめごろ、『ブラックパンサー』の監督として契約を交わしたあとだった。彼は、ぼくが監督した『クリード チャンプを継ぐ男』の記者会見にやってきて、集まってくれた記者たちをこっそりすり抜けて、会場の控え室まで来てくれたんだ。ぼくたちはいろんなことを話した。ぼくが大学時代フットボールをやっていたこと、チャドがハワード大学で映画監督の勉強をしていたこと、そして、ティ・チャラがワカンダでどんなことをしていたかについて。ぼくらが驚いたのは、チャドのハワード大学時代のクラスメートに「タナハシ・コーツ」がいて、当時の『ブラックパンサー』の連載に参加していたことだ。ハワード大学の学生だったプリンス・ジョーンズが、警官に射殺された事件を、チャドは、タナハシ・コーツの『世界と僕のあいだに』でくわしく知ったと言っていた。
チャドが特別な存在だということがわかったのは、その時だ。冷静で、自信に満ちていて、かつ、努力を怠らない人だった。かと思えば、優しく、温かい、世界一の笑顔の持ち主で、その目は、実年齢よりも老成しているように見えることもあれば、まだ見ぬものに出会った子供のようキラキラと輝くこともあった。
そのあとも、ぼくたちは何度も語り合った。彼はすごい人だった。ぼくたちはよく、アフリカの伝統と、それがアフリカ人にとってどんな意味をもつか、語ったものだ。だから、チャドは、映画の撮影に入るまえに、この映画が自分にとってどんなものをもたらすのかということだけでなく、みんなにどんな影響をおよぼすのかを、真剣に考えて、選択し、決断していたはずだ。「ぼくらがやろうとしてることには、誰もが度肝を抜かれるはずさ……」「この映画は『スター・ウォーズ』であり、『ロード・オブ・ザ・リングス』であり……でも、ぼくらにとっては、もっとすごいものになるんだよ!」劇的なシーンの制作が難航し、残業に残業を重ねているときでも、じぶんがスタントに臨んで、全身にメイクをしているときでも、冷たい水や安全マットに飛び降りるときでも、チャドはぼくを勇気づけてくれた。そのたびに、ぼくは笑ってうなずいたけれど、彼の言葉を信じていたわけじゃなかった。映画がちゃんとできあがるかどうかすらわからなかったからだ。自分がなにをしているかだって、わかっていなかったからだ。でも、いま思い返せば、チャドは、ぼくたちのわかっていないことを、ちゃんとわかっていたんだろう。長期戦のつもりでとり組んでいたんだ。仕事をしているあいだじゅうずっと。そして、彼自身の戦いをしている間も。
彼が脇役のオーディションにも同席したのは、この規模の映画の主役としては考えられないことだった。エムバクのオーディションにはなんどもやってきた。ウィンストン・デュークのときは、脚本の読み合わせをしていたら、いつのまにか取っ組み合いを演じていたくらいだ。ウィンストンのブレスレットが壊れたのはこのときだ(訳注:「ブレスレットが壊れる」には「ブレイクスルーを果たす」という意味がある)。シュリ役のレティーシャ・ライトのときは、彼女にしか出せないユーモアある態度が、ティ・チャラの王族然とした態度に風穴を開けて、彼の顔に、チャドの素の笑顔を浮かべさせるなんてこともあった。
映画の撮影中、ぼくたちは、オフィスだけでなく、アトランタに借りたぼくの家で、セリフやシーンについて、もっとほかに深みをもたせられるアプローチはないかと話し合っていた。衣装の話もしたし、戦士の訓練についても話した。「戴冠式をするなら、ワカンダ人はその場で踊るはずだ。槍を持って突っ立てるだけだったら、ローマ人と変わりがなくなるだろ?」と彼は言ったものだ。初期の草稿で、エリック・キルモンガーは、ティ・チャラに、ワカンダに葬ってくれと頼むことになっていた。チャドはそれに異議をとなえた。「キルモンガーなら、どこか別のところに葬ってくれと頼むんじゃないかな?」
チャドはプライバシーを大事にしていたし、ぼくも彼のプライバシーに触れようとはしなかった。だから、彼の家族が声明を発表して、ぼくはやっと、知り合ったときからずっと、彼が病気だったことを知ったんだ。彼が、自分の人生に関わった人々を、自分だけの苦しみから守ろうとしたのは、彼が、人を支え、導く人で、信心深く、尊厳と誇りを大切にする人だったからだ。彼は美しく生きた。そして、偉大な作品を作り上げた。来る日も来る日も、何年も何年も、そうしてきた人だ。それが彼、チャドウィック・ボーズマンだ。いわば、ものすごい規模の花火大会さ。そこでどんなに美しい火花がきらめいたか、ぼくは一生語り継いでいくことだろう。それだけ素晴らしいものを、彼はぼくたちに残してくれたんだから。
こんなに深い悲しみは、これまで感じたことがなかった。ぼくは去年一年間をかけて、彼のためのセリフを書き、彼のためのイメージを考え、(訳注:『ブラックパンサー2』の)撮影の準備をしてきたけど、その本番を、ぼくたちが見ることはできなくなってしまった。もう二度と、彼をモニター越しにクローズアップで見ることもできなければ、彼のところに歩いて行って、もう一度撮り直させてくれないかと頼むこともできないなんて、考えるだけで胸がはりさけそうになる。
それよりもっとつらいのは、彼とはもう二度と、話し合うことはおろか、FaceTimeでだって、テキストメッセージのやりとりだって、できなくなってしまったことだ。新型コロナウィルスが猛威をふるっているそのあいだにも、彼は、ぼくと、ぼくの家族のために、わざわざベジタリアン向けのレシピや食事法を送ってくれたんだ。チャドは、ぼくと、ぼくの愛する人たちのことを気にかけていてくれたんだ——じぶんがガンに苦しめられていた、そのさなかでも。
アフリカの文化では、愛するものたちはこの世を去ると「祖先」になる、と考える。血がつながっている場合もあるし、そうでない場合もある。光栄にも、ぼくは、チャド演じるティ・チャラが、ワカンダの「祖先」と交信するシーンを撮った。それは、アトランタの廃墟と化した倉庫のなか、ブルースクリーンと大量の照明に囲まれての撮影だったけれど、チャドの演技は、ほんとうに「祖先」と交信しているかのようだった。きっと、チャドと最初に出会ったときからずっと、「祖先」が彼を通してぼくに語りかけていたんだ。これで、チャドがなぜ、あんなにも完璧に「王」を演じられたのか、はっきりとわかった。彼は、これからもずっと生き続け、ぼくたちを見守り続けてくれることだろう。だけど、それは、チャドがぼくたちの「祖先」になったということを、それがどんなにつらくとも、彼と出会ったことへの感謝とともに、認めなければならない、ということだ。彼は、ぼくたちを見守っていてくれる。いつか再び彼と巡り会う、そのときまで。
原文
参考・引用文献
The amulets are intentionally programmed to make a 'breakthrough' for you. The ultimate sign that the bracelet has caused a breakthrough to occur is when the bracelet breaks. If your bracelet breaks, please, stop and take note of what you were just thinking, feeling or experiencing at the moment that your bracelet broke. This is NOT a coincidence. A very powerful spiritual message has occurred. Your ability to connect to that message is imperative.
(お守りは、あなたに「ブレイクスルー」を起こさせるように意図的にプログラムされています。ブレスレットがブレイクスルーを起こさせたのがはっきりとわかるのは、ブレスレットが壊れた時です。ブレスレットが壊れたら、その瞬間、あなたが何を考えていたのか、何を感じていたのか、何を経験していたのかを書き留めておいてください。それは偶然の一致ではありません。とても強力な霊的メッセージがもたらされたのです。もちろん、そのメッセージを理解する能力が必要不可欠です。)
(翻訳は引用者)