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高校生の頃、サイダーに救われた話

高校生の頃、僕はサイダーに救われた。

サイダーというのは、昔からお馴染みのあの三ツ矢サイダーのことである。インサイダー取引みたいなカッコいい専門用語ではない。要するにただの美味しい炭酸飲料だ。それ以上でも以下でもない。

そんなただの炭酸飲料が、高校生の僕に光を与えてくれたのだ。


僕が通っていた高校は、偏差値50前後の普通の高校。特別勉強ができるわけでも、できないわけでもないような普通の生徒が通う高校だ。しかし偏差値50前後という自負があるからなのか、夜の校舎の窓ガラスを壊して回るような素行の悪い生徒はいなかったし、みんなそれなりに授業を真面目に受けてそこそこの成績を取っていた生徒ばかりだった。もちろん、僕もその中の一人である。

僕の成績は学校の中では割と良い方で、通知表も高評価の科目が多かった。今になってあの時はなぜあんな成績なんてもののために頑張っていたのだろう、もっとはちゃめちゃな青春時代を過ごせば良かった、だなんてぼんやりとしたことを考えることもあるが、当時の僕にとって学期末に配られる通知表を見ることは高校生活の楽しみの一つだった。

僕はそんなに学校のテストができない方ではなかったため、通知表では高評価の科目が多かった。しかしそんな中で、一科目だけどうにも評価が悪い科目があった。それはズバリ家庭科である。英語や数学、化学などは高評価なのに、家庭科だけはいつも低評価。僕は通知表を見て、なぜ家庭科の成績が悪いのだろう、とは思わなかった。高校生の頃の自分は家庭科が苦手だというゆるぎない自覚があり、家庭科の成績がいつもそぐわないことについて納得はしていたからだ。

僕が家庭科の授業の中で特に苦手だったものが、ズバリ裁縫の授業。中学や高校に通っていた人なら分かると思うが、家庭科の授業の中で大体3年に1回ぐらいは裁縫で何かしら作ってみよう、という実習形式の授業があったはず。僕は元々手先が不器用なこともあり、その裁縫の実習が絶望的に苦手だった。中学の頃も同じような裁縫の実習の授業があり、その実習で作らされたクッションカバーは自分で本気で作ったにもかかわらず意味わからないほどボロボロで、もはやクッションカバーの形を成していなかった。周りの生徒が淡々と綺麗なクッションカバーを完成させて教室を出ていく中で、いつまでも完成せずにただボロボロのクッションカバーと向き合ってる時間を体験したのは思春期の僕にとってはなかなかの苦痛だった。結局そのクッションカバーは自力では完成せず、先生に作ってもらった。


そんな中学時代に苦渋を味わった裁縫アンチの僕に対しても、高校のカリキュラムというのは非常に無慈悲である。高校の家庭科でも、裁縫の実習があるというのだ。中学の時の課題はクッションカバーだったが、高校での課題は手提げ袋。ただの正方形の布すら作れない男が、取っ手付きのものなんて作れるわけないだろうが。そう思っていた高校2年生の僕は家庭科の先生にある種の恨みすら湧いていた。

実習が来週に行われると決まった日、自力で手提げ袋を完成させられる気がしない僕はどうしようかと悩んだ。まず最初に思いついたのは、中学の頃と同様に先生に作ってもらうというものだ。だがしかし最初からその方法が通用するわけない。当たり前だが基本的に先生は生徒に自力で完成させるようにと促してくる。どんなに素行の悪い自称ヤンキー生徒に対しても先生は自分で作りなさいと声を張り上げてくるし、そんな自称ヤンキー生徒も先生に言われ続ければいつかはヤンキーの肩書きを忘れて目の前の針と糸に真剣に向き合いはじめる。生徒に作らせてなんぼの実習において、先生が作ってしまっては実習の意味というものが木っ端微塵に崩れ去ってしまうからだ。先生に代わりに作ってもらうという方法は、先生が生徒の可能性を完全に否定した時にのみ講じられるいわば最終手段であり、先生に「コイツはどんなに言っても無駄だな」と思わせるまで何度も、「僕では作れません」とアピールをし続けなければならない、こちらとしてもとても根気の要る方法なのである。中学の頃は自分がまだそこまで裁縫が苦手という自覚がなかったため、どうにかこうにか自力で作れないかとひたすらに時間をかけていた結果、タイムオーバーとなりなし崩し的に先生に作ってもらうこととなったが、高校生の僕はすでに自分に裁縫が苦手だという自覚があったため、最初からこの時間を浪費しまくる方法は使いたくはなかった。

手提げ袋を完成させるために次に思いついた方法は、ズバリ友達に作ってもらうというものだった。これもなかなかひどい方法である。僕の高校ではなかったが、スクールカースト上位の生徒が下位の生徒に自分の分の布まで押し付けている絵がなんとなく想像できる、やらされる側の人間からすると恨みを買ってしまいそうな外道な方法だ。しかもさらに下世話だなと思うのが、女の子の方がきっと手先が器用だからお願いするなら女の子にしようと考えていたことだ。女性の発言力が強くなった今の時代では、めちゃくちゃ袋叩きにされそうな考えである。一応当時の自分を擁護しておくと、僕の高校にはイジメはなかったし(たぶん)、変な火種を作りたくもなかったのでもしお願いするのであればなるべく穏便な形でお願いしようとは思っていた。

しかしこれには大きな問題があった。それは当時の僕は女友達が極端に少なかったということ。1年生の頃は友達とは言えないまでもまあ数えられる程度で多少会話する女の子がいたのだが、2年生の頃に起こったクラス替えで彼女たちは全員別のクラスに振り分けられてしまった。実は僕が彼女たちから嫌われていて彼女たちが結託して先生に根回しをしていた可能性も考えられる。加えて、僕は女友達どころか男友達もかなり少なかった。別にイジメられているわけでもハブられているわけでもなかったが、僕は学校の中でどうにも気の合う人が見つけられなかったのだ。それにもかかわらず高校3年生の頃に同じクラスになったけどほとんど喋らなかったようなヤツが、たまたま同じ大学に行くことが決まった途端しきりに話しかけてきたのがクソ鬱陶しかった。

そんな高校にあまり馴染めていなかった僕にとって一人だけ、唯一友達と呼べるようなヤツがいた。それは同じクラスのS君だった。学級委員長も生徒会長もやっており成績も良かった自称優等生のS君は、スポーツをやっているわけでもないのになぜか身長が184cmもあり、そして手先も器用だった。これだけハイスペックなスキルを持ち合わせているにもかかわらず、彼はまったくモテていなかったので代わりに手提げ袋を作ってあげるような彼女も存在しなかった。僕はそんなS君の手先の器用さと暇さを見込んで、自分の分の手提げ袋を代わりに作ってもらおうと考えたのだ。

もしもこの時僕が学校のマドンナ的存在のJKだったら、お願いすれば彼の体は自動で動き出しただろう。だがあいにく僕はJKでもなければマドンナでもない。彼に裁縫をお願いするのであれば、僕からも何かしらのギブをしないといけない。僕はS君に何をギブしようか、とぼんやり考えてながら廊下を歩いていたところ、校舎の中にある自動販売機が目に映った。

僕はすぐに教室に戻り、S君のもとへ行った。

「あのさ、家庭科の課題、俺の分も代わりに作ってくんね?」

と雑なお願いをS君にしてみる。するとS君は

「やだよwなんで俺がお前の分まで作らなきゃいけないんだよw」

と当たり前のような返しをしてきた。そのタイミングで僕は彼にそっとこう告げた。

「もし作ってくれたら、自販機でジュース奢ってやるよ」

僕はS君が炭酸好きなのを知っていた。彼のスクールバッグには大体コーラかサイダーが入っており、休み時間になるといつもシュワっ!と音を立ててキャップを開け、まるで仕事終わりのサラリーマンがビールを喉に流し込む時のような勢いで喉を鳴らしていた。僕は先ほど自販機を見た時に、これを交渉材料にしようと考えたのだ。

「えー、マジか…」

先ほどまで問答無用で断っていたS君の態度が変わった。僕はすかさず、

「じゃあとりあえず自販機行こうぜ、な?」

と言って半分無理やりS君を自販機がある場所まで連れて行った。高校の自販機で買える炭酸飲料は、コーラとサイダー、あとはドデカミンだったかな?詳しく覚えてはいないが2〜3種類あった気がする。ここで僕はS君に、

「コーラとサイダー、どっちがいい?」

と聞いてみた。するとS君は

「じゃあサイダーで」

と答えたので僕は自販機でS君にサイダーを買ってあげた。当時はたしか500mlのペットボトルが120円ぐらいで買えた気がする。僕は120円で、裁縫を外注することに成功したのだ。


高校生にとって、自販機はオアシスのような存在だった気がする。

一週間後、家庭科の実習がはじまった。僕は授業中ずっと何かしらの裁縫をやっているフリだけをし続け、先生の目をごまかした(実際にごまかせていたかは分からないが)。S君はまずは淡々と自分の分の手提げ袋を作り終え、約束通り僕の布を受け取って手提げ袋を作り始めた。席が近かったこともあり彼が手提げ袋を作る様子を見ていたが、僕ではとても再現できないスピードで針に糸を通しているし、ミシン教室でも行ってたんか?って思うぐらいミシンの扱いに慣れていた。そんな彼の手先に圧倒されている間に僕の手提げ袋は完成し、僕は何食わぬ顔で先生にそれを提出して教室を後にした。

授業が終わったあと、僕はS君にお礼を伝えた。

「次は自分でやれよ」

と言うS君が、この時だけは学校で一番の美男子に見えた。そんなS君は大学に行ったあと、メンヘラ女と付き合って精神崩壊したらしい。

高校生の頃、僕はサイダーに救われた。


ここから先はあとがき的なノリなのだが、この話を読んで、人にやらせるなよと思う方もいるかもしれない。たしかに授業なんだから真面目に受けろよというのはまさにおっしゃる通りである。でも、自分にとって苦手なことを自分で頑張る必要はないのではないか、というのはこの経験から学んだことである。大人になってからも、料理が苦手な人が外食やデリバリーに頼ったり、掃除が苦手な人が家事代行さんに頼ったりすることは少なくない。何かしらのコンテンツを作る場合においても、デザインが苦手な人はデザイナーさんに頼ったり、ライティングが苦手な人はライターに頼ったりする。そうやって互いの得手不得手を補い合うことで人間は文明を発達させ、さまざまなコンテンツを生み出してきたのも事実である。僕がnoteやインスタで使用しているアイコンもデザイナーさんに作ってもらったものだし、僕自身もライターとして数々の記事を執筆してきた。

僕がライティングが得意かどうかはさておき、人間それぞれが得意を掛け合わせることには無限の可能性を秘めていると僕は思っている。そして一人一人が自身の得意を活かすために、苦手なことはほかの人にやってもらった方がよいと僕は思うのだ。自分にとっての苦手は、ほかの誰かにとっての得意であることも多い。人生の正解は分からないけど、苦手なことを頑張るよりも得意なことを頑張る方が、より良い人生への近道である可能性が高いのは、20代後半のしがないライターでもなんとなく分かってきた人生論の一つである。

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