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地方自治、自主・自立について

歴史学者ではないけれども、歴史好きなオヤジとして色々と考えて見た。
まぁ間違いも多いかもしれないけどね(笑)
明治維新大好きなので、そんな画像を入れてみました

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日本の歴史の流れについて思うこと

日本は昔から地主は農民だったんだよね。政治を司る人達は天皇、源平藤橘の貴族だったり、直近では江戸幕府だったりするわけだ。
朝廷、武士たちは基本的に為政者であるが支配者ではなかったという大きな流れが有るように思う。
海外ではこれが地域の地主が王様貴族で農奴というように国民たちは土地と同じように領主の持ち物だったことが日本とは大きく違うと思う。

これが近代の革命及び政治体制の変化が、フランス革命・ロシア革命などは被支配者階級の人達が立ち上がり、自分たちのことを自分たちで決めていくという感じで自主自立したイメージがあるんだけど、日本は幕府と西国の雄藩が武士という立場で革命(明治維新は革命かという疑問はあるけど)を起こした訳だけれども、その時の地主である農民・商人たちは政権が幕府から薩長に異動したというだけの感覚だったと思う。
江戸時代に大多数の農民たちは政治とかには関心を持つことは許可されず、自治という意識を持たされずに、全てお上の言うとおりに従っていれば生活は安泰であるという、逆の意味での特権を持っていた訳だ。その代わり武士は為政者としての権力をもち、農業という労働をしないという特権を持つという形でバランスを保ってきたと思う。その代わり武士は清貧を美徳として、特に江戸末期の生活は一定の人を除けば非常に貧しかったと思う。
これが明治維新になった時に、それまでの国民には自立・自治を行う能力が当然のことながら育ったおらず、その様な指導者もいなかった事もあり、国民の自治により政治を行うということは現実的ではなかったのだと思う。これは江戸時代の政治の集大成の結果だと思う。また国の近代化に向けて強力なリーダシップが必要となっていたこともあるために、非常に強い中央集権国家の形態を取り、結局それまでの歴史の繰り返しで為政者と国民の間に変化はなく、国民の自主・自立という考え方が生まれないまま今に至っているように感じている。
国民は為政者に政治を任せて、国民はそれに従う。為政者は権力を持ち、国民に指示を出す。その代わり世の中全体が良くなる方向をきちんと考えるというような関係になったのだと思う。かなりのことはこれで成功しているんだけどね。これは江戸時代の国民と国家の関係から明治維新を持ってしても、関係性に関しての本質は変化していなかったのではないかと思っている。
※歴史学者からみたら失笑を買う考え方かもしれないけど、本質はそうなのだとおいらは思っている。

近代になっても変わらない状況だと思う

で、そのような状況で明治維新から日清日露戦争で大正時代とかになると人々は非常に豊かになり、太平洋戦争では飛んでもないことなったけれども戦後の所得倍増計画などにより国民の暮らしは非常に豊かになっていた。その後バブルがはじけて大変な状況にはなっているけどね。でも、世界の最貧国から見た場合は日本という国は非常に恵まれている状況で、(最近一部では違うけど)日本は豊かな国であることは間違い無いわけだ。
特に戦後はこの為政者は自民党が主体となってきた訳だ。彼らは非常に優秀で有能で国を豊かにしてくれたし、その能力を持っていたのだと思う。
一方国民は地元の利益誘導、所得が増す、仕事がある、そのことを実現してくれている国会議員を選ぶことが自分たちの幸せにつながる。赤の社会党に任せるのはまずいというバイアスはかかっていたとは思うけど、やはり自治・自立という感覚とは異なり、それを誰かに任せていたいという思うが強くDNAに刻み込まれていたのだと思う。もし何か問題があれば、それは天災だから我慢するしかない、時が解決してくれるものだというような意識になっているのだと思う。
この状況は、中央集権国家として権力を集中して、為政者が国民のために色々なことを考えるという一つの方法論として非常に有効かつその結果も素晴らしいことだったのだと思う。
このことがダメだということを言うつもりはないし、その結果日本というのはこんなに小さな国で災害が多くても平和で安心して生活ができる国となっているのだと思う。過去からの為政者の努力によるものだということを否定するつもりは全く無いんだよね。

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コロナ禍という非常事態になったことでわかること

でも最近それが少し変わってきた様な気がする。
特にコロナ禍において、非常事態であるからこそ問題の本質が浮かび上がってきたのだと思うし、出来る人と出来ない人の差が明確になってきたのだと思う。
仕事でもトラブルプロジェクトになった瞬間にそれまで優秀だった人が、全く動けなくなることがある。現場の若手メンバが実はもの凄いリーダシップを取ったりすることが起こることと同じだと思う。下手に権力とか意地みたいなものを振りかざすようなリーダがいるとデスマーチになるのは明白だしね。
コロナ禍が開始してから特にここ半年くらいの間で色々な優秀な人達が動き始めていることによる良さと、中央官庁とか政治家に任せていることによる弊害が顕著になっているように感じている。
地方自治ということでは北海道知事、大阪府知事などの40歳代の人達が自分たちの地域の実情にあった政策を実施して支持を得ているし、実績も残している。
政治家というと○村何とか大臣とか最近少し見ているのが辛くなってきた総理大臣とかが訳の分からない状況になっているし、ココアという濃厚接触者確認アプリのゴタゴタもあるし良くないことばかりが目立っているよね。
これは民間に任せると心配だからというお上の特権意識?民間がダメだという意識によって、厚生労働所がコロナ接触アプリを主導して開発・保守してきた結果、半年もの間不具合で実際に動作しないという状況が放置されていたことに如実に表れていると思う。
一方地方自治体などでワクチンの接種で練馬モデルとか山梨モデルとか地域の実情に合わせたことを考えてそれを実践するという動きが良い感じになりそうである。
これを今までの考え方からすると、厚生労働省が全国一律のやり方を考えて、それを県に落とし、それを市町村の落として実施するというやり方にするべきということになっちたのだと思う。でも、それをやると必ずどこかに歪みが出てきて問題が解決せずに現場が苦労するということになっていたと思う。
中央省庁に人達は頭も良い?し、色々なことを考えることができるのだと思う。政治家も調整能力も高いし、人を動かすことも説明することもうまいのだと思う。
でも、国民の大多数を占める人達の本当の実情を知ることは絶対にできないし、全てのことを一括して決めるということ自体が全くもって無理であることは当たり前のことだと思う。だって、為政者は現場のことを知らない人達がなる有る意味特権階級の人達の集団であり、上級国民ということを言われるに相応しい人達がリーダになっている現状がある訳だしね。全員がそうだとは言わないけど、権力を持っている人達の一定数がそうであれば全体がそうなってしまうのは組織として仕方ないもんね。
この関係は、政治家・官僚と、民間人であるコロナ専門委員会との関係などにもよく表れているよね。

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中央に任せても何も変わらないし、何もできないことは明白

コロナ禍が始まって一年を経過しようとしているけど、1年前の状況と今の状況が全く変わっていないことは明白である。
医療体制を充実させることについて厚生労働省が細かいことを考えることは無理であることは明白になっている。1年前から何も変わっていない状況だし、医療崩壊が予測されているけど何もしていないのが結果として事実だもんね。
4月に出した緊急事態宣言により窮地に陥っている多様な業種業界の人達は、年末に再び始まった緊急事態宣言で雀の涙ほどの支援しか得られず、ほぼ中央官庁からは見捨てられている状況は去年から何も変わっていないのは明白になっている。

結局、医療体制については病院の人達の努力に任せ、緊急事態宣言による休業及びそれに伴う影響は経営者の人達の努力に任せているのが実態だと思う。まぁ国全体のことを細かく見ることは絶対に無理だし、不公平委を生じてしまうのは当たりまえのことなんだけど、この事が良く解っていないのか、解っているけど辞められないのか・・・
これらのことに対して現状の政治家及び中央官庁の人達が解決策を出すのはもう絶対に無理になっているのは明白である。よほど強力なリーダシップを発揮すれば別だけど、出る杭は打たれるし、ニカイさんという怪物に立ち向かうほどの勇気を持った政治家がいるのかという疑問もあるしね。
結果的に時間が過ぎるのを待ってワクチンに頼るしかないという状況の陥っており、それがうまくいくことを祈っているのかもしれないと思ってしまう。まぁそれほどレベルは低くはないとは思うけど、政治は結果、政策も結果だからね。
で、その最後の頼りの綱のワクチン接種に関しても、どの様に国民の接種させるのかという計画も全くもって明確になっておらず、現実的に厚生労働省には考えられないのはみなが知っていることである。


自分のことは自分でやるしかないのではないか

だから、そろそろ真の意味での地方自治、自治自立という考え方に立ち戻る必要があるように思う。
お国が何かをやってくれるのをただ待っているだけの状況から脱却する必要があると思う。
地域の利益誘導者の最たるものである国会議員を利益誘導者という観点だけで当選させるということから脱却する必要があると思う。

自分のことは自分でやる、自分たちの生活する環境は自分たちで整える、自分・自分たちがやるのだからその結果とその利益を自分たちが正当に受け取る。
為政者に任せていても、問題となった場合の影響は結局自分たちに降りかかってくるわけだし、それを為政者が補償してくれるわけはないのだから。

ここら辺りで本当に変化することができなかったら、あとまた何十年も変化することができないような気がする。
やはりこのままでは日本がどうにかなってしまうような気がして仕方ないといういつもの結論になるのか・・・

簡単です。
自分のことは自分でやろう。
人に頼るならば、責任と権限を明確にしよう。
これらのことを自分と相手で共有しよう。
だな。


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