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今思うこと


私がうつと診断されたのは一年半前。そこから仕事を休んで、一度復職して、また休んで、また少し回復してきた。完治というゴールがあるとして、今どこら辺を走っているのかはわからないでいる。そんな今、過去を振り返って思うこと。



心底思うのは、主治医やカウンセラーの人からすすめられたこと以外は無理してやらなくていいということ。過去の自分に一番教えたい。

うつ病になってから、事情を知った家族や知人から良かれと思ってアドバイスがあった
運動するといいらしいよ、朝散歩とかしてみたら?体が疲れれば自然と眠れるようになるよ、とか。
カフェインは避けたほうがいい、とか。
なるべく楽しいことを考えるといいよ、せっかく休みなら今までできないでいた趣味とかこの際やってみたら、とか。
気分転換に出掛けない?とか。

本やYouTubeには
自己肯定感を上げる方法とか
不安を軽くする方法とか
自己啓発の類とか
そういうものもある


でも、肝心なことに今それをできる段階かどうかの話が載ってない
何故ならうつの周期も回復期も人によって違うから。
それを見極めるのは主治医やカウンセラーだから。


いま振り返ると診断書が出て仕事をストップした日から1か月程はどう過ごしていたか曖昧で思い出せない。
きちんと食べていたかとか日中何をしていたかとか、あまり覚えてない
生命維持だけで精一杯で、先の見えない漠然とした不安の中にいた。

思うに、心が磨耗して、脳もうまく動かなかったから、印象が何も残ってない。

そこからさらに2ヶ月くらい経つと体と脳が少し回復してくるので、ぐるぐるとネガティブな感情に支配される
何かしたほうがいいと思って始めては上手くいかない悪循環に陥る。体は極端に疲れやすい。寝ているだけでも、一日家にいるだけでも疲労困憊。日常生活を送ることで体力を使い果たすのに、頭は前よりよく回るので、体が追いつかなくて考えが先行する。しかもよくない方向に頭が回る。

周りのアドバイスを聞いたほうがいいんじゃないかと思うのもこの頃。
中途半端に思考が復活するから。
ずっと家にいるのもなんだから
何かしてみたら?と言われて
自分でもそのほうがいいかもと思って
日記を書いてみたり。
散歩を日課にしようとか。
植物でも育ててみるかとか。
家にいるのだからせめて家事はちゃんとしようとか。
でも悉く続かないしうまくいかない。

今思えば、余計な体力も気力も十分でないのだから当然なんだけど。自分では、なんでこんな些細なこともできないんだと。単純な習慣さえ続かないで、この先どうするんだと自分に絶望する。
そもそもがまだその段階ですらないのに、自分は何もできないダメな人間だと思う。落ち込む。結構滅裂な理論で落ち込む。相手の言ってることも素直に受け取れずに、裏があるとか、本当はそんなこと思ってないくせに、耳障りのいい言葉を言ってくれるだけだと思い込む。迷惑をかけて申し訳なくなる。この世のうまくいかないことは自分のせいだと思う。極端。

そんな思考の断片を、受診で相談するけど、焦らないで、としか言われなくて。主治医に対しても不信感とかが生まれる。この人に任せてて大丈夫かなと。薬は合ってるのかとか。体調が一向に良くなってないと思ったりする。

自分で自分の不調や体調の良し悪しや波が、本当に客観的に分かるようになるのはもっとずっと後のこと。昨日とか一週間前じゃなくて、半年とか1年単位で比べて、その頃からの体調の比較をして、確かに改善を感じ取れるようになる。
風邪薬や頭痛薬のような即効性も体感もほとんど感じないと言っていい。もちろん薬によるけど。


私の場合、中途半端な時期に一回復職したことも原因だった。
無力感に苛まれる時期はかなり長い。ネガティブな思考に囚われ続ける。視野狭窄。不定愁訴。不安障害も。一度は社会のレールに戻ったように思えたのに、そこからもう一度外れたのはダメージが大きかった。
今考えたらそもそも社会のレールって何?って思うけど。鬱になりやすい人に、真面目な人、完璧主義の人とかよくあげられるらしいけど、そういうタイプの人ほど社会のレールとか一般的な人生とかへの拘りがある気がする。
とにかく大きな波から外れることへの恐怖や不安が人一倍あった。


転職してる人は?受験の失敗は?失恋は?同じ病気で休んでる人は他にもいるけど、そういう人はレールを外れてるとは思わないの?取り返しがつかないの?っていうマジレスはあんまり意味ない。
そういう思考の時に客観性や正論は凄くうるさく感じて納得もできない。考え方が偏っていて固執している自覚も薄い。
おかしかったと思えるのは時間が経って回復してきた今振り返っているから。
もし今家族にうつ病の人がいて、なんとか励まそうと思っているなら、主治医にどうやって話をしたらいいか寄り添ったらいいか直接聞いて。付け焼き刃の情報で励ましたり、論理的に納得させるのはあまり意味がないかも。


自分の思考が偏っているかも、認知の歪みがあるのかもと自覚できたのは、カウンセリングを受け始めてからだ。そのカウンセリングのタイミングも、主治医に相談の上で始まった。薬物療法と、認知行動療法と、カウンセリングなどなど複合的に噛み合った結果以前よりマシな生活を送れている。
もちろんいまだに気を許すと、ネガティブな思考が顔を出すし、心配症よりは不安障害に近い考えや行動に及ぶこともある。でも、いまその思考に陥っていると自覚ができて歯止めがかかるようになったのは自分でも大きな進歩に思う。

もし同じようなことで悩んでいる人がいたとして、何か伝えるとするなら
毎日を心底苦しいと思いながらも生きていること自体を十分誇っていいということ
上手く生きれないのは全部自分が悪いと思っているかもしれないけど
“今”少し上手くいかないかもしれないけど、それまではなんとか生きてきたのだから
これからもなんとか生きていけるし、今は苦しいかもしれないけど
いつか終わると、そんな月並みなことしか言えない。
ネガティブ思考ど真ん中の当時の自分には刺さらないなぁ。

喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよくいったもので
小さいころ、思春期の頃、絶対忘れないと思ったエピソードの多くは薄れていく。
クラスの人間関係でギクシャクしたことも、こんな思いは誰も理解してくれないと思っていたのに、今当時のことを思い出しても強烈な感情が湧いてこない。
あんなに息苦しいと思ったり、将来に漠然と不安も抱えていたのに。
いつか自分の子供ができて、もし人間関係の相談をされた時に、
私も似たようなことを経験したけど、人生先は長いし、考えすぎだよと無神経に一蹴してしまわないか心配。
今ここに書いているのも、今の想いをなるべく忘れないでいたいから。

自分と人の経験したことは違うけど、安易にわかったふりはできないけど。
それを理解した上で、思いやりや寄り添った態度が取れる自分でいたい。

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