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舞台・コンサートってナニモノだ?

ここ最近、誰かの発言がネット上で“炎上”するのを何件か見ました。『その一言を言わなければいいのに』とか、『全面同意は出来ないが、理解できなくはないところもある』ということもありつつ、別に私の意見を書く気もなかったのですが、舞台・コンサートなどに関しては自分の考えもまとめておきたいなと思って書いてみます。
(と思って久しぶりのnote開いたら、下書きが沢山・・・)

無くても生きれるよね

こういう言い方をするのはよろしくないのかもしれませんが、生きるために必ずしも必要なものではないということは事実でしょう。各種インフラや食料品に関する業務は生きることに直結しますが、舞台・コンサートなどはそうではありません。(それらに携わる人の収入という意味では大きなダメージを与えますが。。。)

また、日々の生活の利便性や効率、快適性を上げるもの(各種日用品とか衣服かな?。個人的にはミュージカル曲で生活の快適性が上がってますがw)でもないものですので、優先順位が下げられがちだったり、何かあったときに早く切られてしまう部分であるというのが大きな特徴だと思います。なお、この特徴は舞台やコンサートだけでなく、娯楽産業全体で同様かと思います。

1:生活必需品ではない

生の魅力

舞台・コンサートの大きな魅力として、目の前で生で繰り広げられるものを見聞きし、演者やスタッフ、時には観客によって左右される雰囲気を感じることかと思っています。映像にすれば、わざわざ遠くから人の頭に遮られて見る必要もないですし、気に食わないところがあっても撮り直せばいいというメリットもありますが、その場でしか味わえないものがあるので、私は舞台やコンサート会場へ足を運びます。

このご時世、なかなか再開できなさそうではありますが、かといってなにか別の手段で代替できるのかと言われるとなんとも・・・演者が活動の場を舞台から映像に移すというのはあるにしても、観客が生の舞台・コンサートで感じていたものを別の手段でというのは難しいかなと思っています。
(ライブビューイングは現地の観客がいることである意味地続きのような感覚を味わえますが、ライブビューイング会場にも現地にも集まれない以上は無理。無観客もちょっと違うなと個人的に感じています。)

1:生活必需品ではない
2:生で見ることに価値を感じている

この2つから言えること

うまく表現出来ているかは自信がありませんが、必需品ではなく、生で見聞きできる形態に価値があるというのは、観客側も演者側も同意できるのではないかと思うのですが、そこから先が人によって違うというか、表現の仕方が違うというか・・・ここまででもきちんと書けているのか自信がないのに更に先に進めてよいのかな・・・まぁ誰も読んでないでしょw

生で見聞きすることに価値がある以上、別の手段で代替できないのは舞台やコンサートとしては正しいのでしょうが、演者側としてそれでいいのでしょうか。他の仕事だって、ある方法が使えなくなるのであれば別の方法を取って何とかやりくりしようと思います。そういう姿勢もなく補填を・・・なんてことになったら、「特別視しろってことか」と反感を招くのも当然ではないですかね、えぇ。そんな中で他の商売は良いよなみたいな言い方をしたら炎上して当然というか・・・

じゃあお前はどうすんのが良いと思ってんねんってのは最後に書きます。

他のものだって、無くても生きれる

最初に、「各種インフラや食料品に関する業務は生きることの直結する」と書いてますが、その全てが不可欠かと言われるとそうではないのでは無いでしょうか。食べるものが全て無いと生きていけませんが、高級食材や高級な料理の提供サービスが無くても生きていくことは可能でしょう。分かりやすく食料品に関して述べましたが、製造業であっても必需品といえる部分もあれば、娯楽性の高い部分があるのは事実です。また、いくら必需品であったとしても影響が皆無とは言えません。何らかのダメージを受けることは大いに有り得るでしょう。

舞台・コンサートなどはどうすればよいのか

今後の状況がどうなるのか私には分かりませんので、舞台やコンサートなどが今後どうすればいいのかも「分かりません」というのが私の意見です。が、こういうスタンスでいてほしいなということを書きます。無責任なことを言ってるかとは思いますがご容赦を。

1:エンターテインメントを届ける

まずはこの姿勢。楽しんでもらってなんぼの商売だと思いますし、こんな時期だからこそエンターテインメントが恋しい人も多いと思います。だからこそこの姿勢がすごくありがたく感じる。日々の生活が苦しい中でそんなこと言えるかって意見が当然あるでしょうが、その商売で今後も食っていくのであれば客をさめさせないためにも、この姿勢を感じていたいです。

また、今までと同じ手段が使えなくて別の手段を取る場合でも、この状況だから多少の不備があっても見る側も事情を察してくれるであろうし、出来ることなら今の時期にノウハウを貯めることが大切じゃないかなぁと思っています。(成熟してから参入はしんどい。)

2:(ほぼ)全てで影響を受けていることを踏まえた言動

居酒屋(今ならWeb飲み?)で話すのであれば、自己中心的な自分たちのことだけ考えた言動で良いのですが、表に出すのであれば他のものだって影響を受けているんだということを踏まえ、『自分たちだけ特別扱いしろや!』と言っているように思われないようにしてもらいたい。[他のものだって、無くても生きれる]の段落で書きましたが、『他の産業は大丈夫でしょうよ』みたいな言動をわざわざするのは何なんでしょうかね。

3:舞台・コンサートの特性を説明し、連携する

前の方で書きましたが、「生きるために必ずしも必要なものではない」からこそ、『優先順位が下げられがちだったり、何かあったときに早く切られてしまう部分である』という特性があると考えています。これをしっかりと説明し、何なら似たような特性のある産業とも上手く連携して、どのように生き残るかの道筋を立てたり、公を動かすなどして欲しい。

他の産業との違いを述べるのではなく、いろんな産業があるのは承知しているが自分の携わっている産業の分野しかわからないのでそれについて述べます。きっと同じような特性の産業もあると思うので、一緒に乗り越えていきましょうみたいな状況にならないのかなぁ。(芸能・芸術分野だけを対象とした何かは規模的な部分も含めて難しいだろうから、上手くそこを含んだ集団を形成する方向で動けないのかなぁという意)

さいごに

自分たちが何かをしたわけでもないなかでこのような状況になってしまったことから、怒りをぶつけるということもあって色々厭味ったらしく聞こえる言い方をしてしまってるのかなという気もしますが(私も気をつけないと)、そういうのを聞いて離れていってしまう人もいるのは念頭に置いていただきたいなと思う今日このごろ。(ちなみに私は舞台好きでも別ジャンルですので、好きなものは好きなままですw 舞台にどっぷりではない人たちが、舞台関係すべてを同一視するのを避けたいなと思っています。)

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