タクシーマン

ヤウンデの渋滞は、年々ひどくなる一方だ。
交通量が増えた原因のひとつは、タクシーの増加だとおもう。ヤウンデを走る2台に1台は、黄色く塗ったタクシーだ。目的地まで運んでくれる乗合タクシーは、ヤウンデ市内を移動するもっとも便利な交通手段であり、庶民の足だ。

初めてカメルーンに来た1994年当初、タクシーは今ほどたくさん走っていなかった。
道端でタクシーが来るのを待たなければいけなかった。タクシーを見つけたらすかさず合図をする。唇をすぼめて、歯のあいだから強く空気を吐くと「プスッ」という音になる。この音がタクシーマンに聞こえるようになるまで、タクシーをつかまえるのに苦労したことを覚えている。今は、そのような合図をする間もなく、次から次へとタクシーがやってくる。

タクシーの増加とともに変化したのは、タクシーマンや乗り合わせた乗客とのやりとりだ。
かつては、乗った瞬間に「どこから来たんだ?」「中国人か?」「結婚しよう」とタクシーマンや客に話しかけられたものだが、今では「Bonjour」とあいさつするだけである。うとましく感じた、かつてのやりとりが懐かしい。たまたま行き会った者同士が、狭い空間のなかで一瞬交わすおしゃべりのなかに笑いあり、人生ありだった。

渋滞のなかをこすれるスレスレの距離を保ちながら、タクシーが進む。
タクシーマンが隣のタクシーマンに何事か叫んでいる。その音を聞いて、カメルーン西部のバンガンテ語だな、とおもう。確かめたかったけれど、やめた。以前、タクシーマンと客の会話を聞いてカメルーン西部のバムン語だと思ったわたしは、降りるときにバムン語で挨拶をしたのだ。二人は「どうしてわかったんだ!!!」と心底驚いていた。「俺たちの会話を全部聞いていたのか」と。実際は、バムン語が話せるわけでなく、ただ音といくつかの単語から推測しただけだ。でも、まるでスパイのようで、相手にとって感じのいいものではないに違いない。

そのような訳で、バンガンテ語だと思ったが、タクシーマンに確かめなかった。
当たっている確信もなかった。タクシーマンは、ふたたび対向車線を走るタクシーマンに叫んだ。「アントワーヌが死んだぞ」。続きはまた民族語が続いた。誰かが亡くなったんですか?「アントワーヌというバーをやっていた奴が死んだんだ。彼はタクシーマンにとてもよくしてくれた。よくあそこで休憩したんだよ。タクシーマンにとてもよく知られた奴だった。今日19時から葬儀があるんだ」病気でなくなったのですか?「2年前から病気でね、で、急に悪化して、たった1週間で亡くなったんだよ。54歳だった」まだ若いのにお気の毒に。ヤウンデの人ですか?「いや、バンガンテだよ。俺たちのキョウダイだ」。

バンガンテ出身のタクシーマンは、同郷のタクシーマンたちに彼らのキョウダイが亡くなったことを知らせていたのだ。
葬儀までまだ時間があるから、あと2周はできるな、とタクシーマンが言った。葬儀までまだ働くという意味だ。ヤウンデの渋滞は年々ひどくなる、と彼が言う。タクシーマンになって何年ですか?「26年だよ!タクシーマンになったばかりの頃、ヤウンデはこんなじゃなかった。タクシーはこんなにたくさんいなかった。もっと少なかったよ。2時間あればヤウンデを周ることができた。今じゃとんでもないことだ」。

そして、彼は突然言った。来年1月になったら、地球を一周しに行く、と。

意味を図りかねていると、「カナダに行くんだ。俺はもう26年働いたし、ここから遠く、遠く、とにかく遠くに行く。まずはカナダだ」。9人キョウダイの4番目に生まれた彼は、ヤウンデに出てきてずっとタクシーマンとして働いてきた。子どもは4人、男女2人ずつ恵まれて、孫が5人もいるという。そんな風にはみえない。そう言うと「みんな、同じことを言うよ。とても孫がいるように見えないってね」。嬉しそうに笑った。「神はほんとうに偉大だよ」と。

26年間ヤウンデを走り続けた彼の走行距離は、もしかしたら地球を何周もしたかもしれない。
タクシーマンをしながら、子ども4人を育て上げた。孫にも恵まれた。
今こそ、遠く、遠くに円を描きに行くのだ。ヤウンデのタクシーが1台いなくなったところで、もう誰も困らない。

タクシーマン、ありがとう。
バンガンテ語で伝えたら、「お前さんはホンモノの西部っ子だね」と彼も笑った。

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