見出し画像

家族はゆるやかに壊れていく #1

「幸せな家族はいずれも似通っているが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」

『アンナ・カレーニナ』

そんなような名言をどこかで聞いたことがある気がする。

実際は、完全に幸せな家族などいないし、少し幸せで少し不満のある家族が大半だと思う。不幸な家族については「当たり前だろ」としか言えない。
しかし、昔の名言にケチをつけるのはやめにして、私の家族の話をしよう。

これは義父の話である。
義父は七〇代後半だが、数年前まで経営者という立場だった。中小企業の経営者にありがちなように現場が好きで、日本の本社にはほぼおらず、長年海外の工場に滞在していた。定年六〇歳? 六五歳? 何それおいしいの、とばかりに働いていた。
それがコロナ禍により工場をたたみ、帰国して日本の本社を息子に継がせて自分は引退した(この会社も家族経営が原因でゴタついたのだがそれはまた別の話)。

引退した、と言えば聞こえはいいが、漏れ聞こえてくる話をつなぎ合わせると恐らく追い出されたのであろう。その時ですら七〇は越えていたのだから、周りはよく耐えた方だ。本人としては仕事が生き甲斐だっただろうが、死ぬまで働けるわけでもない。

そして義父はコロナ禍と共にやってきた老後をどう過ごしたかというと、何もしなかった。
無趣味だったのである。仕事でやっていたゴルフも仕事だからやっていただけ。人と話すのも仕事だからやっていただけ。かといって新しい趣味を探すこともしない。
散歩すらしないので徘徊老人になる可能性はゼロなのはいいニュースなのか悪いニュースなのかわからない。

何もしない以上によくないことは、毎晩近所の飲み屋を渡り歩き、毎月まあまあの金額を酒代に溶かすことだ。確実に年金支給額以上に飲んでいる。
昼間は寝て、適当に飲み食いをし、夜はベロベロになるまで酔っ払う。
半年ほど前には飲み屋帰りに自宅の庭で転んで肋骨を折った。

ダメージを一身に受けたのは義母である。
それまで、たまの帰国はあれど20年近く共に暮らしていなかった人がずっと家にいる。
しかも何をするでもなく夜な夜な飲み歩き、帰りは真夜中。心配でついて行けば疲れるし、放っておけば庭で骨折。ふくよかだった義母は、同居のストレスですっかり激痩せしてしまった。

こういった義父の状況を伝え聞いた私が思ったのは、昔の文豪や画家みたいな身の持ち崩し方をする人が令和にいるんだ、という驚きだった。
いや、こう書くと文豪や画家が全員人間失格みたいな感じになってしまう。全員ではないだろう、目立つ人が特別目立つだけで。
何より、どれだけ破天荒であろうが文豪や画家は作品を残した。ひるがえって義父は、と書く気にもならない。

しかしこうなってみて思うのは、どれだけ偉大な作品を残そうが、後世に伝わるほどの破天荒をやってのけた人の周りは、大層迷惑だっただろうなということだ。

後世に名を残すことはないだろう当の義父だが、どうやったらこんな人間が出来上がるのか、地方公務員一家に育った私には甚だ理解しがたい。

この先、この家族はどうなっていくのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?