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「民度が低い」ってどういう意味なんだろう?

ウクライナの情勢に乗じて中国の男性たちが「ウクライナの花嫁」を欲しがり、戦争で苦しむ彼女たちを自らの欲望の所有物にしようとしているという記事が話題になり、中国人の「民度の低さ」が色々と言われているようである。


でも、常々思っているのですが、「民度」ってどういう意味なんだろう。なぜ「度」なのか

温度やメガネの度数なら客観的で単一な基準を持つわけだから、どんな対象に対しても同じように適用できる。計測することで人間をはかろうが、動物をはかろうが等しく正しい値が得られる。つまり、文脈から自由である。

それに対して「民度」は特定の国に範囲を限定しながらも、その都度異なる事象に適用されるが、その基準も毎回異なっている。肯定的なものに対して「高い」、否定的なものに対して「低い」と言うが、それぞれのケースは比較不可能な場合もあるし、そもそも全体的な統計が取られているわけでもないため、単一基準の適用によって決められるわけではない。要は、文脈依存的な概念である。

ウクライナの情勢に乗じてウクライナ美女と結婚しようとする一部の中国の男性は確かに非難されるべきであり、私もそのような投稿を目にして激しい怒りを感じ、妻と議論したりしている。しかし、例えば何年か前までに中国人の民度の低さの代表として引き合いに出されていたのは「声が大きい」、「ポイ捨てをする」といった観光客としてのマナーの悪さだった。この二つの事象に対して果たして同じ基準で測れるのだろうか。

マナーの悪さは何度減なのか、一部の中国人男性の劣悪な欲望は何度減なのか。また、中国人の「良いところ」や「良いエピソード」を挙げていけば、「民度」のパラメーターが上がっていくのだろうか。ここで民「度」という比喩が成り立たなくなるように思われる。これらの事象は「文脈依存的」なものであるために、本来比較可能なものではないからだ。

もちろん、「これは道徳的に耐え難いものである」というのが「民度が低い」という言葉が主に伝えたいメッセージであり、それ自体に対しては良識ある人ならば賛成するだろう。

しかし、この言葉は間違った文脈の選択を誘発するために深刻な問題を引き起こすように思われる。問題はあくまで正しい文脈の選択である。

件の記事で言われているのは「中国の男性」の問題であり、最後にそれは中国の男性に限らず、一部の欧米の男性にも見られると書いている。また、日本のSNSでも同様の投稿が広く見られる。となれば、これは「中国の男性」の問題ではなく、中国の「男性」の問題であり、より広く「男性」の問題として見ることもできる。さらに、欧米の男性が「フェミニストの度合いが低く、愛情深くて、男性をたてる」という理由からそうするのに対して、中国の男性に関して「男女の人口比の偏り、女性の経済的な自立」などの理由が挙げられている。これらの議論の内容の正当性は私に判断しかねないが、わかるのはそれはある特定の国の「民度」が低いか高いかとは関係なく、より複雑な問題としてその都度分析と議論が必要とされるということだ。

では、それにもかかわらずなぜ特定の国の民度の問題として扱われるのだろうか。この件に対して、中国の民度を問題にしようとする人たちは、「中国の男性」の問題を「中国」の男性の問題に限定しようとしていることがわかる。そうすることによって、日本の男性も欧米の男性もこの問題から免罪されると同時に、「中国全体」の男性が断罪されることになるし、「民度」と言われるときは性別は考慮されず、中国の男性も女性も等しく民度の低いものとして想像される。

つまり、「民度」という概念を使うことで二つの操作が行われている。一つは中国人男性への限定であり、もう一つは中国人全体への一般化である。

この二つの操作はともに正当化が難しいと思われる。というのも、前者は間違った文脈を選択しているし、後者は間違った形で文脈を拡大適用しようとしているからだ。その結果として、本来ならば別々に議論しなければならない問題を一緒くたにして、戦争で苦しむウクライナ女性を欲望の対象として所有しようとする一部の中国の男性の所為を「民度」という名の下で全ての中国人ーー例えば私の祖母、母、妻、従姉妹などーーを断罪することになってしまう

「民度」という言葉が差別的であるのはこのことによる。それは否定的な属性を間違った対象に帰属させる。意識していようがいまいがそうである。

それは特定の人々を傷つけるという意味で非難されるべきだが、それを言うと今どき「それはお前らが傷つきやすいからあかんのだ」と言って否定されることが多いので、ここはあくまでそれが間違った推論に基づいた間違った認識であること、したがって傷つきやすさとは関係なく正当化できるものではないことを強調するにとどめたい。

もちろん誰に対してどんな言葉を使おうが自由なのだけれど、その際自分たちが「民度が低い」と言われても仕方ないということを覚えた方がいいかもしれない。

※この文章はあくまで個人の所感であり、脳科学的に根拠づけられたものではまったくないことを申し添えておく。

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