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第五話 心の仮性包茎

 彼女は丸井のすぐ横についた。カウンターに置かれた手が小さく震えている。典型的なアルコール依存症の症状だ。
 チラッと彼女と目があった。1秒にも満たない短い時間だった。
 恐らく20代後半だと思うが、綺麗な瞳の下には大きな"クマ"があり、それはファンデーションでも隠せず、瞳の大きさをより際立たせていた。何か大きな業を背負い、丸井を悲しみの奥底まで引きずり込みそうな瞳だった。
 彼女はエイヒレ瓶ビールを注文した。
 手慣れた注文。「(すぐわかる"常習者"のメニューやん。)」と心で呟いた。
 手元にビールが届いた。ビールを飲むとぴたりと手の震えは止まった。丸井は虚空を眺める彼女を見て、今までに抱いたことのない不思議な気持ちに気付いた。
 自分の気持ちに自問自答しながら飲酒しているうちに丸井の酒は瓶ビールからハイボールへと変わっていた。
 "酒と季節は変わり目を楽しむもの"
 彼の座右の銘が心に刺さった。この数十分、酒の味など覚えていない。隣に座るアル中女性が気がかりで飲酒どころではなかった。
 山盛りの灰皿にハイライトを突き刺した時、
「お兄さん、一人なん?」
 彼女が話しかけてきた。丸井は童貞なので、この突然の出来事を飲み込めずあたふたと狼狽した挙句、小さく「ママァ…」とだけつぶやいた。
「あんた、さては童貞やね。しかもその闇はかなり奥深い」
 丸井の狼狽を見て彼女がど真ん中にストレートを放り込んだ。
「うるさい。ちょっと可愛いからって言葉を選べ。最終学歴小卒か。一人やし相棒は酒や。童貞かどうかは個人情報保護の観点から、黙秘させてもらうわ。これ以上の情報は弁護士呼んでからにしてや」
 勇気を振り絞って言葉を出した。
 緊張からか、童貞特有の早口で次から次へと溢れた言葉はどれを取っても品がなかったとすぐに猛省した。
 それと同時に彼女は、なぜ童貞と気づいたのか、なぜ悲しみの十字架を背負っていると知っているのか。丸井にはわからなかった。丸井が唯一分かっているのは彼女に対する不思議な気持ちが音を立てて、大きくなっているという事だけだった。
 「強がるなよ。童貞。皮被りが猫被っててもしゃーないやん。とりあえず乾杯しよ」
 ゆうかはそう語りかけ、飲みかけのビールを高く掲げた。
 「日本人の8割は仮性包茎や。大多数の正義を否定するんか。まぁええわ。乾杯」
丸井はハイボールと彼女への不思議な気持ちを一気に喉に流し込んだ。
「くぅー、改めて乾杯しても酒は美味いね」
ゆうかは片目を固く閉じ、隅々まで行き通ったアルコールを噛みしめるようにして言った。
「ふん、女のくせに渋いこと言いよるなぁ。ほなここで丸ちゃんクイズ!」
丸井は酔いに任せて、いつもの悪い癖である突然クイズをスタートしてしまった。
「ごみみたいなクイズやったらシンプルに殺すよ?」
ゆうかは、眉間にシワを寄せて丸井を見た。
「丸ちゃんクイズ!神様は、人間に3つの宝を与えました。いったいそれはなんでしょうか?はい、回答してください!」
 とびっきりの笑顔でゆうかに問いかけた。
 「んー、なんやろ?」
ゆうかは、脳内のありとあらゆる引き出しをこじ開け、回答を探している。
「愛とか、哀しみ。それと人の温もり?」
 やっと出てきた答え。神様が人間に与えた3つの宝物は、愛、哀しみ、人の温もりだと答えた。
「ぶっぶー。正解は酒、博打、煙草です。ガハハハ。あんたメンヘラか?腹痛いわ。愛とか哀しみて。それ神が与えた"罰"やがな。ガハハハ」
丸井はぽっこり出た腹に手を当てて笑った。
…すみませーん、鉄パイプくださーい。こいつの脳味噌引きずり出します。」
ゆうかは手を上げ、叫んだ。
「まぁまぁ落ち着きーや。ジョークやがな。まぁ酒飲もや。姉ちゃん」
丸井は落ち着かせるように語りかけた。
「ほんま腹立つなぁ。てかさ、あんたの名前なんなん?自己紹介くらいしてくれへん?」
ゆうかは怪訝そうな顔で言った。
「俺?俺の名は丸井や。広島を捨てたA級戦犯の丸とは違うで。名古屋生まれ、高槻在住、最強の種馬と呼ばれている丸井様や。地面にドタマ擦り付けて挨拶せえや」
丸井はしかめっ面で今にも中指を立てかねない勢いで話した。
童貞特有の早口で捲し立てた。
「種言うたかて、埋めてくれる土も、水あげてくれる相手もおらんかったら、甲斐性あらへんやんか。」
半笑いでゆうかは丸井に言葉を刺した。
「じゃかましわ!口悪いなぁ。ほなワレの名前なんちゅうんじゃい。答えてみいや」
1ミリもイラッときていないというのに、早口であたかも怒ったように答えてしまった。丸井の悪い癖だ。
「私?私の名前は優華。蒼井優の優に多部未華子の華で優華。生野生まれ、生野育ちの生粋のアウトローや。文句ある?」
優華の一言自己紹介に悪いは言葉を失った。

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