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第六話 そこどけそこどけ生野が通る

大阪市生野区。
西成区
と肩を並べるほど治安悪化が進んでいる。
 大阪市から特別危険区域に指定されて数年が経つが治安は一切回復しないでいた。
生野区の入り口と呼ばれている桃谷駅では「そこどけそこどけ生野が通る〜」から始まる生野わらべ歌がJR環状線の電車到着を知らせるメロディーとして採用されている。
 南巽北巽鶴橋という生野区で最も治安の乱れた地区を通る大阪メトロ千日前線は、同3駅を廃駅とした。
 この動きに反抗したのは、鶴橋の一部を含む東成区の市民だった。
 街頭インタビューにおいて、
  「生野と東成を同じように扱うのは不当。あなたはトリカブトの周りに咲いた胡蝶蘭にも毒があるとおっしゃりたいのか」とインタビュアーを恫喝する場面が全国ネットで生中継された。
 東成区民と思われる集団が大阪メトロに反抗し、通勤ラッシュの御堂筋線をジャック。キムチとコチュジャンを約3トンばら撒き、25人が逮捕された。
 それに対して広保大阪府知事は「そういうとこですよね。鶴橋、隔離して正解でした」とコメントし、物議を醸した。
 そんな道徳や倫理を無視した街で育った優華に、丸井は警戒心を露わにした。
「文句はあらへんけど、怖いわ。」
 優華はすっかり泡が弾けて、気の抜けたビールを口に運び、強くなった苦味を噛みしめるように顔をしかめた。
 
 自己紹介を済ませた後すでに何杯飲んだのかわからなかった。
 優華の頬はほんのり赤くなり、丸井の両眼はトロンとしていた。
 気がつけば店内に残った客は丸井たちのみ。
「兄ちゃん、ごめんね。アテがなくなったさかいに、もう閉店やねん」 "お母ちゃん"が申し訳なさそうにこちらを見て言った。
「おうおう、お母ちゃんすまんな。ベロンベロンなってしもたわ。おおきにな。なんぼや?」
 丸井はポケットに手を突っ込み、財布を取り出した。
「おあいそは2人一緒でええんかな?」
 お母ちゃんは丸井と優華を指差し問いかけた。
「そりゃそうやがな。盃交わして、別々なんはトイレと戸籍だけやで。一緒に頼むわ」
 丸井はそう言うと、ガハハと笑い出した。
「ほな、兄ちゃんと姉ちゃん一緒で5800円。でも兄ちゃんの男前割引で5000円でかまへんよ」
そう言うとお母ちゃんは丸井にぎこちないウィンクをした。
「ワシは高槻のブラッドピットと呼ばれとるさかいな。お母ちゃん、ええ目利きしとるやんか」
 丸井はお世辞に赤面しながら、ぺろっと指を舐め、クシャクシャの千円札を数えた。
「丸ちゃん、ここは割り勘な」
 優華は横から千円札を3枚机に出した。
「おいおい、女に金出させるほど低所得ちゃうんや。その金引っ込めんかいや」
 差し出された3枚の紙切れを優香のほうに返した。
「あんた一回出した金引っ込めさすんか?」
 優華はトロッとした目で眉間にシワを寄せて丸井に言った。
「お前は大工か。ほなそれ使わせてもらうわ。おおきに」
 千円札を5枚お母ちゃんに渡した。
 丸井は氷の溶けきったハイボールの残りを喉に流し込んで、優華を見た。
「おい、女のくせに気使わせてすまんな」「男女差別やめてくれる?もう一軒付き合ってよ」
「ほう、ええ根性してんな。肝臓溶けてまうくらいの酒飲んだるわ。おむつくれや。」

 丸井は、お母ちゃんに深々と頭を下げて、店を出た。

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