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宿題との付き合い方

こんにちは。今回は、宿題の意義や私が今まで宿題とどのように付き合ってきたのかそして、これからどう付き合っていくのかについて書いていきたいと思います。

おそらく現在の日本では、ほとんどの学校で出されている宿題。皆さんも一度は、「宿題やりたくないなぁ」と思ったり、「何のために宿題するんだろう?」と思ったりしたことがあると思います。

私も今まで何度もそう思ってきました。漠然と違和感は感じてはいたものの、しっかりと言葉にして発信したことはありませんでした。今回は、それを書いていきたいと思います。

宿題に意義はあるのか

まずは、宿題はそもそも意味があるのかということについて考えていきます。

宿題をする目的は何なのか。この問いに対する答えは以下の2つだと思います。

授業の復習をして、学習したことを定着させるため
・授業中にわからなかったことをわかるようにするため

宿題の目的①ー授業の復習をするため

一つ目は、授業で習ったことを復習して定着させるため。という意見です。

これは確かに授業で習ったことを定着させるために有効かもしれません。しかし、授業中に内容が身についた人に強制的に宿題をやらせる必要があるのでしょうか?

理解度は人によってそれぞれです。一人一人が自分の必要性に応じて苦手なところだけ重点的にやった方がはるかに効率的です。

宿題の目的②-授業で分からなかったことを理解するため

2つ目は、授業で分からなかったところを理解するため。という意見です。これは一見、復習に似ているように思いますが、まったく違います。

復習というのは、理解できているものを定着させるためにするものです。なので、一人でもすることできます。むしろ一人の方が効率がいいでしょう。

これに対して、授業中に理解できなかったものを家に帰って一人で理解するというのは不可能に等しいです。なぜなら、学校で先生に教えてもらってできないのに家に帰ってできるはずがないからです。

もし、それができるのであれば、先生の授業は無意味だということになってしまいます。


このように宿題には、復習をして授業で習ったことを定着させるというある程度の意義があることがわかりました。

しかし、授業における理解度や定着するまでにかかる時間、こなすべき問題数は人それぞれです。宿題よりも多くやらないと定着しない人も宿題だけさっさと終わらせて満足をしてしまうでしょう。

また、宿題なんかしなても授業中や少し復習しただけで理解できる人もいます。そんな人たちにとっては、宿題をする時間は無駄だといえるでしょう。

私の意見としては、宿題を出すのは構わないけどそれを強制にするべきではないということです。

今まで宿題とどのようにして付き合ってきたか

ではこれらのことを踏まえて、私が今までどのように宿題と付き合ってきたのかということを書いていきます。

結論から述べると、私は今までほとんど(まったくと言っていいほど)宿題を提出していませんでした。

なぜ私が宿題を提出してこなかったのか。理由は主に以下の2つです。

学校の授業を聞けば理解できるから
・宿題よりもほかのことをしたかった

宿題を提出しない理由①-授業を聞けばわかるから

一つ目の理由は、学校の授業を聞けば理解できるからです。定期テストは何もしなてもそれなりに(決していい点数ではないですが。)点を取れていました。

しかも、成績とかテストの点とかいうものに興味がなかったし意味を見出すこともできていなかったので、なおさら宿題を提出しようとは思いませんでした。


宿題をしない理由②-ほかのことがしたかったから

二つ目の理由は宿題をする時間を使ってほかのことがしたかったからです。

他のことというのは面白い人と過ごしたり釣りをしたり山で遊んだり本を読んだりということです。(8割は読書ですね。笑)

宿題をする代わりに、いろんな人と出会ったり、話をしたり、そして本を読んだりする中で、いろいろな知識を吸収して自分の考えがある程度持てるようになりました。

個人的には、宿題をするよりは多くの学びがあったんじゃないかなと思います。

これからはどうするのか?

それでは、次にこれからどうしていくのかについて書いていきます。

これも結論先行で書きましょう。結論から言うと、

これからは宿題を提出するつもりです。

なぜ宿題を提出しようと思うようになったのか。理由は3つあります。

自分の勉強面での実力を知りたいから。
・成績に対する見方の変化。
・理不尽な中で楽しむスキルを身に着けたいから。

宿題を提出する理由①-自分の実力を知りたいから

一つ目の理由は、自分の勉強面での実力が知りたいからです。

まずは、私の中学校のテストについて話させてください。私の通っている中学校のテストは、ほとんどの問題が宿題の問題集の中から出題されます。つまり一通り宿題をやればかなり高得点を狙えるということに今更ながら気が付いたのです。(このテストの意義を問いたくなりますが、、、、。)

そして、さらに宿題をしていかないといくらテストの点が良くてもパーフェクトの成績が付くことがないんです。

それは、皆さんもご存じかもしれませんが「関心・意欲・態度」という評価項目があるからです。(今度、主体的な学びという項目に代わるらしいですが)

関心・意欲・態度。とても良い観点だと思うのですが、如何せん数値化しにくいものです。なので、現状では、宿題の提出率や授業での挙手回数などで決めてしまっています。(ちなみに私は授業態度はかなりいいです。なぜなら家で勉強しないので授業を集中して聞く癖がついているからです。)

そういうわけで、成績があまりよくありません。でも、心のどこかで「宿題をやってないからな。」と言い訳?のようなものをしていたような気がします。

それに気づいて、自分の学力(学校の成績で学力が測れるのかは疑問ですが、、)はどのくらいか試してみたいなと思うようになったのです。もちろん、学校でいい成績を取ったからと言って決して頭がいいわけではありませんがこのシステムの中ではどのくらいなんだろうと気になったので、宿題を提出してみようかなと思うようになったわけです。


宿題をする理由②ー成績に対する見方の変化

二つ目の理由は成績に対する見方がちょっと変わったからです。私は今まで、成績なんて意味ないじゃん。そんなんで評価されるの嫌だな。というような一種の反抗心?のようなものを持っていたような気がします。(ほとんど無関心でしたが、心の底ではそう思っていたような気がします。)

しかし、中学校3年生になって進路のことを考えた時に自由で面白い学校というのはそれなりに学力が高いということに気づいたのです。

そして、成績の付け方や高校の入試形態がすぐには変えられない以上、そのルールに則って受験をしなけないことにも気が付いたのです。(当たり前といえば当たり前ですね。笑)

そう考えたときに、成績というのは自分の目的(私の場合は、面白い環境(学校)に飛び込んで自分をもっと成長させたい)を達成するための手段だという風に考えるようになったのです。

そう考えると、成績を取ることがある程度必要だということがはっきりしてきました。成績を上げるといっても、テストはそこそことれているので後は宿題を提出すればいいだけです。

それをすれば、自分の目的の達成に近づくのであればそれを活用しない手はないぞ。という考えに至ったということです。


宿題をする理由③-理不尽な中でも楽しむスキルを身に着けるため

3つ目の理由は、理不尽な(?)(納得がいかない)環境の中でも、楽しむスキルを身に着けたいと思ったからです。これができるようになると、どんな環境でも楽しむことができるようになるので最強です。

しかし、私はこのスキル(というか行動)には弊害があると思います。自分が納得いかない中で、楽しむというのは、悪い風に言えば、妥協をし現実逃避に近いことをしているともいえるのです。

それでもやっぱり自分の力ではどうしようもないこともあるわけです。その中で、楽しむ方法を見つけつつ、でも諦めずに変革を求めて行動していくというのが大切なのではないかなと思います。

まとめ

今回は宿題の意義と、今まで私が宿題とどう付き合ってきたのかそしてこれからどうしていくのかについて書きました。

日本では、宿題があるというのは当たり前で、ない方が珍しいくらいだと思います。しかし、海外に目を向けてみると、フィンランドなどでは宿題が全くないのです。それどころか、小学校は給食時間を入れて4時間で終わるといいます。

それなのに、詰込み型の学力もちゃんと身についている。これは何なんだろうと思います。

教育は、より良い社会を形成していくうえでとても重要なものです。そして、人間という生き物に深くかかわっていてとても面白いなと思います。

教育に関する考えをどんどん書いていきたいなと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。




このnoteは、自分の考えを発信したいという上下変動が激しい不安定なモチベーションと、皆様からのとてつもなくパワフルなサポートで成り立っています。いただいたサポートは、なんらかの形で皆さんに還元できるように大切に使わせていただきます。いつもありがとうございます!!