息子くんの赤ちゃん時代
娘が生まれた頃のちいさな赤ちゃん時代は、仕事に育児に一生懸命だったので、あまり記憶はありません。2歳違いで息子が生まれました。
ところが息子は生後2日目に大きな口蓋裂(口の中の天井部分が閉じておりません)が見つかりました。そこからは育児と看護の日々だったので、やっぱり可愛い盛りの子どもたちの記憶がありません。
口蓋裂用の特殊な哺乳瓶、哺乳力が弱くてもミルクが飲める、柔らかい乳頭の製品です。一生懸命に飲みますが、いうほど飲めないので、疲れ果ててしまいます。だから痩せた青白い赤ん坊でした。栄養状態が不良になり、のちに鼻腔にチューブを入れ、ミルクを注射器で飲ませることになりました。
外来でチューブを入れる練習をしましたが、看護師をしていたとはいえ、小さな赤ちゃんにチューブを入れるのは辛いものでした。涙をぽろぽろ流しながら入れていきます。「素人さんでも練習してやってるんだから!」といつも怒られていました。
そんな息子は風邪を引くとすぐに肺炎になりました。呼吸が途切れたり不規則になるのでとても怖かったです。ちょっと様子がおかしいと、病院に受診したら、そのまま入院になることが多く、そのまま2週間ぐらい滞在します。だから入院セットは常に準備していました。結局1歳になるまでに7回ほど入院しました。
正直、自宅だと娘の世話と息子のケアは大変でしたので、入院したら「ホッ」としていました。付き添いはしますが、看護師さんという人手があるので、自宅にいるより気楽に楽しく過ごしていました。
この頃から息子は、病棟のスタッフに愛想を振り撒き、誰にでも抱っこされていました。先生も「注射は痛いのに、終わったらニコって笑ってくれるの❤️」と主治医、師長、主任など偉い人に可愛がられる世渡り上手な赤子でした。
いまでも外面がよくて、「てへぺろっ😉」で世の中を生き抜いているタイプみたいです。
1歳になり、口蓋を閉じ手術を受けました、本来なら成長に合わせて2回に分けて行われるのですが、度々肺炎になっていたので、「一気にやっちまおう」となったようでした。幸いこの手術のあと、肺炎になることはありませんでした。しかしいよいよ私と息子は外の世界で生きていくことになったのです。
息子は1歳になっても歯が1本も生えてこないし、1人で歩けないし、ものすごく成長が遅い子どもでした。病院へ通院しているので、乳児検診は1度も行きませんでした。
息子に言葉の刺激を与えるために、仕事を探して託児所に入れました。歯がないけど食い意地は張っているので、給食のトンカツを鷲掴みに歯茎で食いちぎるワイルドな乳児でした。長い年月をかけて身体面はゆっくりゆっくり成長していきました。でも言葉はけっきょく出ることはありませんでした。
知的障害がありました。手先も極端に不器用です。言葉も話せなくても、保育園も学校も学童保育も放課後ディサービスも、どこも大好きでした。
セリフは話せませんが、学芸会の芝居にも参加していました。音楽も大好きで特に歌を歌うこと、カラオケが大好きです。
YouTubeを見ながら、鼻息と吐く息で歌っている(つもり)です。アクションもつけるので、「ハーハーフーフー」とてもやかましいです。本当に不思議な子です。人間は楽しいことを見つけると、それなりに充実した人生を生きることができるのかもしれません。
青白い痩せた赤ちゃんが、身長180センチを超える髭面になりました。こんなに巨大化する前に、小さな可愛い赤ちゃんのころに、もっと可愛がっておけばよかったと思う今日この頃です。
写真は当時の息子です。
私を偉そうに私を見下ろすし、ヒゲが、スネ毛が・・・もう悲し過ぎます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?