ハラスメントの延長戦
連休明けに提出した原稿の修正が届きました。送信者の名前を見るだけで、身体が硬直しました。それは大学院の指導教授からのメールでした。
やっとのことで、修正指導の文書を印刷しましたが、熟読する勇気が出ません。なぜなら私は自分の研究を、記憶から消し去っていたからです。見たくもないし思い出したくもなかったのです。
私は、大学院での修士論文とその後の原稿提出に苦しみ、私の言葉がガチガチに固まるとう後遺症に苦しみました。notoに自由に文章を書くことで、少しずつリハビリをしてきました。平凡な日常の中での小さな発見、疑問、心に思うことを文章にする。長年やってみたかった短歌を創ること。美しい言葉を見つける日々は、とても楽しいことでした。
でも再び論文に向き合わねばなりません。そもそも2年半に及び取り組んだ研究テーマでした。大学院では切望していた議論は皆無でした。学生同士での意見交換はなく、教授の一方的な指導だけの、肩透かしのようなゼミでした。
後半は教授が気にいるような文章を書くことに終始していました。何十回書き直しても、最後に全て書き換えられるて許可が降りるのです。教授が注文の多いクライアントに思えてきました。注文通りに修正して提出する作業は、クリエィティブでもなんでもなく、ただ機械的な作業でした。
何度やっても、長年アカデミックな世界で生きている教授と、そっくりそのままのレベルの文章は書けませんでした。それでも教授の望む文章を書くことに細心の注意を払う毎日を送りました。完成した論文は、もはや私が書いたような文章ではなくなり、その内容さえも愛着がなくなっていました。
卒業前に大学院の友人が、言ってくれました。
「貴野さんが、嫌だと思ったら、それはハラスメントなんですよ。」
その言葉に正直ホッとしました。アカデミックハラスメントの定義も知っていましたが、指導教授は卒業判定の権限があるので、絶対に逆らえない。言い返せない。それが研究に関することであっても無理だと思い込んでいました。学生は期限内だけ我慢すれば終わりなので、卒業の認定が終わるまで辛抱し続けました。
一昨年の先輩方も、言いなりになるしかない指導に、終始固い表情をしていました。卒業される時に
「こんなつまらないものに、取り組んでいたんだな・・・」とつぶやかれていました。仕事と両立しながら寸暇を惜しんで努力されていたことを知っていたので、ものすごく辛い言葉でした。
それでもこの論文は、多くの人の協力とアドババイス、励ましの中で完成させたものです。再び新たな締め切りに向かい立ち向かうしかありません。この苦しみには締め切りまでという期限があるのです。
往生際が悪いのは承知ですが、ここで気持ちを吐き出して起きます。卒業したら解放されると信じて頑張りましたが、予想外の再々の延長戦に戻ることが辛くてなりません。
なんだか遺書のようになってきました。それでも自由から束縛される物書きに変容するのには、まだ少しばかり時間が必要なようです。
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