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口うるさい私。

 息子は20歳を超えているが、知的障害がある。私は180センチを超える大男に毎日、毎日、口うるさく声をかけています。

朝:早く起きなさい。パジャマを片付けなさい。布団を片付けなさい。お尻を拭拭くのを忘れないで。顔を洗いなさい。歯を磨きなさい。お薬を塗りなさい。

夕:鍵を閉めなさい。消毒しなさい。靴を片付けて。うがいしなさい。髭を剃りなさい。髪を乾かして。シャツが前後ろ反対になってる。

 このように毎日、私はたくさんの声かけをして、息子を見守っています。私は息子に言います。「生きてるうちは、うるさく言うけど、私が死んだら、誰も声をかけてくれないよ。それまでは頑張って、うるさく言わせてもらいます。」理解できるかは分からないけど、繰り返して言います。

「この子を残して、死んでも死ねません。」と言う人もいるけど、それは難しいでしょう。おそらく息子はお母さんは永遠に死なない、不死身だと思っているみたいですが。性格の悪い私は「バカたれ!私は妖怪じゃないから、先に死ぬぞ!!」と悪態をつきます。

 昔は、心の底で息子が健常になることを、目指していました。タオルを絞る練習や紐を結ぶ訓練など作業療法の訓練を受けて、ガイドヘルパーとの外出時、放課後ディサービスの利用時や学校などで、息子を取り巻く各機関で統一した目標を持ち取り組んできました。計画書は全てのサービスとリンクするように、私が中心となり関係機関に情報を開示してきました。

 ここまで頑張ったから、療育手帳のランクが下げられるかも〜」とドキドキウキウキと更新申請に連れて行って、「これは重度ですね。」と最高ランクになってしまった時には、ガガガーン!!となりました。

 友人に聞いたら、同じ年齢の健常な子どもと比較をして審査されるから、本人の頑張りの評価ではないと説明されました。と言うわけで、年齢が上がる度に、健常者との差が広がっていくので、「もうダメだな・・・」とジワジワと諦めの境地に至るのです。そして18歳になり支援学校を卒業し、放課後ディサービスや療育支援が終了します。

つまり、もう「健常者に近づくこと」は、難しいことだと思い知るのです。

 同時に「息子はありのまま、このままでいい。」と受け入れている私がいました。だから私が生きているうちは、最低限の親の役目として、口を酸っぱくして声かけをしていきます。体力も無くなってきたので、それぐらいは頑張りますわ。

 今日も息子は、口うるさい私から逃げるように、顔も洗わず事業所に出て行きました。




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