作文の軌跡。

ある段ボール箱
1つの段ボール箱の中に、私に関するものが、大量に残されていました。どうやら母が詰め込んでいたようです。時々開けて、中の物を整理し減らしてら来ました。数年かけて段ボールのサイズをダウングレードしています。

段ボールの中には、雑に漫画雑誌の付録、成績表、未開封の高校時代の調査表が詰め込まれていました。調査表を読んでみると先生が苦心惨憺で、私のことを評価してくれていました。素晴らしい担任です。

作文①人物
学校で書いた作文が束になってありました。とくに小学1.2年のK先生ころ、ずいぶん書いていたようです。

クラスメイトの〇山さんの悪口作文が2編。切々と意地悪されたことを書いていました。母も〇山さんの存在を記憶していました。当時もっともっともっと嫌いな子がいましたが、作文に名前はありませんでした。

イトコの△ちゃんのことも、よく殴ってくると書いていました。凶暴で粗野な子どもだったイトコは今だに苦手。出来るだけ関わらないようにしています。

ハトコの□ちゃんはいまも仲良し。家にはアメリカ製の冷蔵庫があったり、レゴのブロックで遊んだと書いいる部分に先生が赤線引いて「❓」とありました。先生はレゴを知らないみたいでした。当時レゴはまだ珍しかったようです。

作文②映画
映画館へ映画を見に行ったタイトル、愛の嵐、霧の旗、絶唱、宇宙大戦争、サメの映画(ジョーズ)の感想が書かれていました。映画にはよく行っていたようです。

霧の旗では山口百恵と関口宏が焼き芋を食べている場面が面白かったとありました。松本清張の原作の「霧の旗」は、子どもには難しいでしょう。

作文③読書感想文
1.2年生の頃はいろいろな本について書いて感想を書いていました。読書感想文の宿題に、課題図書を指定されるのが苦痛になってきました。

段ボール箱に「やまんばおゆき」の感想文がありましたが、読み返したくはありませんでした。本は自分で選びたいから課題図書は大嫌いです😛

この時期ぐらいから、気に入らない課題図書は、まともに読まずに適当に枚数を埋めて適当に提出していました。随分と反抗的な子どもでした。

作文④天敵「看護覚書」
看護学生時代よく課題に出された本が、ナイチンゲールの「看護覚書」です。特に大嫌いでした。だから目次を見て感想文を書いたり、開いたページだけ読んで書いたり、当時の彼氏(後の夫)に感想文を書かせたものを修正して提出していました。未だに読んでいない1冊です。

作文④高校時代
高校時代に書いた「舞姫」の感想文は、かなりまともでした。授業も楽しかったです。しかし調査表によると国語、英語は苦手とありました。そうです、国語は苦手科目になっていました。

漢字は読めるけど書けません・・・漢字の書き取りでは、いつも残されていました。そんな私に「アメリカ人になった方がいい。」という友だちがいましたが、単語の小テストでも、呼び出しをされていました。

唯一、聖書の授業の課題で牧師先生から「感性が素晴らしい」とコメントが書いてありました。この言葉が私の支えでした。これだけが褒められた記憶です。  

作文⑤短大、大学、大学院
死ぬほど暗記が苦手なので、短大からレポート課題、試験も筆記になり、非常に楽になりました。

看護学校の実習記録も、内容はさておき、文字を埋めるぐらいはどってことありません。悪筆で書くスピードも早く雑な仕上がりで、文字が読みにくいので、先生たちは大変だったと思います。

ちやみに大学院では、「てにおは」レベルで間違いがあるし、誤字脱字は多いし文章のクセが強いと、指導教授からボロカスに言われていました。

そんなこんなで
そんなことを思い出しながら子ども時代の作文を何篇か音読したら、母と娘が悶絶するぐらい爆笑していました。とにかく爆笑の嵐です。そのうちnotoにアップしてみようかしら😀

娘と春鹿のスパーリング清酒「ときめき」を飲み始めました。そろそろ酔っ払ってきたので、これにて失礼いたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?