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「賢い人」と「愚か者」の違い

「地頭のいい人」

「地頭がよい」こんな人に出会うと、素直に素晴らしい人だと思う気持ちと、自分は、どうしようもないよなぁという気持ちになります。

 国立大学に現役合格をした人に勉強の秘訣を尋ねたら、「授業を聴いてるだけ、ノートは取らん。」とか言ってて、全く参考にならなりませんでした。

 先生に英語の勉強法を聞いたら、「簡単です。教科書をまる覚えしたらいいです。」と凡人に軽くいうところに、非凡さを感じました。真似る気持ちも起きません。

地頭:じ‐あたま〔ヂ‐〕【地頭】 の解説 goo辞書より
1 大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。「地頭がいい」「地頭を鍛える」2 かつらなどをかぶらない、そのままの髪の頭。地髪 (じがみ) 。「凡人」

 地頭の良さを持って生まれた人が、その才能を生かす環境に生まれ育つことにより人目に触れるのでしょうね。凡人は、逆立ちしても、そんな人には慣れません。

 だから私は努力をしても仕方ないというところに辿り着きました。だからと言って、勉強しないのではなくて、人を目標にしないこと、卑屈にならないこと、コツコツやるしないから仕方ないってことなのです。つまり近道はないってことです。

 例えば私は音楽の才能のないし、楽譜も読めないし、不器用で楽器もできません。でも歌が好きなので、合唱部に籍を置いていました。動機は単純に、歌ってみたかったのです。でもオンチで下手くそでした。

 だから歌の上手い友人の間に入れてもらって歌を覚えました。ドイツ語や英語の歌詞にはカタカナでルビを振りました。曲をテープで何度も聴いて暗譜しました。そうし合唱組曲や第九を歌いました。ただ好きだったから頑張ることが苦痛ではなかったのです。

 でも勉強は面白くありませんでした。人から与えられる課題図書でさえ読むことを拒否しました。ただただ興味が湧かなくて楽しくなかったので、勉強しませんでした。だから自分は勉強が出来ない人だと自覚しているのです。

「賢い人」と「愚か者」

「赤点を1年間取り続けてた〜」とネタにしていたら、

「それ悔しいと思わないの?」と地頭のいい人が、言いました。

「悔しい!?」勉強ができないこと、赤点を取ることに対して、悔しいなんてこと思ったことありませんでした。もしかして昔のことを忘れてしまっているのかもしれませんが、どう考えても記憶のカケラも浮かんできません。 なるほど、そこが「賢い人」と、「愚か者」の決定的違いなのだと知りました。

ー出来ない自分への悔しさー

 でも社会人になってからの勉強は全て、自分で学びたいと選んだものでしたので、楽しかったし、必死で勉強しました。看護学も社会学も研究も、自分で学費を払ってるから必死でした。試験は嫌いだけど、授業や実習に対しては真摯に取り組みました。

 さすがに大学院では論文が書けない自分自身に猛烈に悔しい思いはしました。それは文章を書くことが好きなのに、指導されるような文章を書かけないことや、論文の作法がつらいし、それを理解仕切れない実力の自分が悔しかったのです。できた論文を見直すと、出来が悪くて情けなくて誰にも見せたくないと隠すことにしました。

私は私

 自分を分析をします。結局、私は、地頭もよくないし、賢くもない。愚か者だと自覚しつつ、やりたいことにコツコツ努力をするしかない「私は私」なのです。論文も短歌もエッセイも、同じ日本語です。好きだから書き続けていくのです。単純にそれだけなのです。

 次の学びのテーマも自分自身で見出したものです。だから楽しんでいきたいと思います。

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川原泉「愚者の楽園」が好きです。

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