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悩んでも仕方ないことは、「天」に預けてみよう。

体力低下
昨日は外出していましたが、
いつもと違う案件で、少し張り切り過ぎたようです。

午前中はいつも通り家事をこなしたけど、英語の勉強も手がつかなくて、
ぼんやりしている間に時間は過ぎていきました。

午後は横になって、うとうと。
ひどく体力が落ちています。
これって老化か、それとも台風が近づいているからでしょうか。

親なきあと
障害のある子どもを持つ親は、
子どもより1日でも長く生きたいと願っています。

私はどうだろう。
持病もあるし、いつまで健康でいられるかんて全く自信がありません。

いま出来る限りの準備をしたら、病気とか不安とか、いろいろな想いは、
神さまか仏さまか、あるいは「天」に預けてしまえたらいいなあと思っています。

なぜそんなことを考えるようになったのか。

カードの意味
夫が亡くなった時、「本来は私が死ぬべきだったのではないか」という思いに
駆られていました。

それは、亡くなる数週間前に、占いで、死神のカードを引いたからです。だから私が死ぬはずだったのに!と腰を抜かすほど落ち込みました。

家事が得意な夫だったので、子どもたちにとっては、
私が死んだ方がよかったのではないかと、ずっと考えていました。

数ヶ月後、私は再び占い師を訪ねました。すると彼女は、そのカードは
「終わりの始まり」という意味がありますよと話してくれました。

ベストのタイミング
夫が急に亡くなりましたが、全ての物事がタイミングがよく、結果的に、必要な人に出会い、情報を得て、厄介な案件も最速で事後処理を終えることができました。
すべてが奇跡的でした。

現実主義の父は、薄気味悪そうに、私のことを「神がかっている。」と母に言っていたそうです。

それくらい奇跡的な偶然とファインプレーが重なっており、ベストのタイミングが幾つのも重なっていました。

その理由
すべての処理を終えた後、いったいこの経験はどういうことなのか不思議でなりませんでした。私は特定の信仰も持っていないので、このモヤモヤした問いをぶつける人もいません。

だから図書館に通い、仏教、キリスト教、スピリチュアル、心霊関係、精神世界、心理学、これまで読んだことがなかった自己啓発本など・・・手当たり次第に本を読み漁りました。

本を読み進めていくうちに、人の一生で出会うすべての物事は、既に決められている筋書きができているのではないかという考えに、辿り着きました。

もちろんその筋書きは誰が書いたのかは分かりません。
もしかすると人が神と呼ぶ存在かもしれません。

おそらく私が死ぬまでの未来の筋書きも
既に存在しているのです。

つまり孫悟空が仏さんの掌で、ウロウロしているようなことが、人の一生である。そのようなイメージが浮かびました。

人は先が見えないから悩んだり迷い、苦しみます。どの人も、生と死の間を、病気になったり老いを感じなながら生きていくのです。つまり「生まれて始まり、死んで終わる。」のです。

四つの苦しみである生老病死、これらに遭遇することは、その人に定められたタイミングです。誰も逃れることはできないものです。

悩んでもどうしようもない
すでに決められたシナリオだから回避できません。だから悩んでも仕方がないから、今、今日を生きるしかないという考えに至りました。実のところ考えることに飽きてしまいました。

悩んでも仕方ないことは、人にこれらを与えた、神さまや仏さま、「天」に預けるしかない。「ちょっと私いっぱい、いっぱいだから預かっててください。」って感じ、そう考えたわけです。だって自分一人で抱えるには、しんどいですもん。特にへなちょこの私には・・・だからお寺でも、神社でも、教会でも、まじめに手を合わせています。

そんなふうに、頭でわかっているような気になっていても、起き上がれないことはやるせないし、朝晩の喘息の発作も辛いものです。

あゝ生きるって、なんてめんどくさいことなのか。
それでも、人は生きていくのですね。命が終わる日まで・・・

ということで、咳も落ちつてきたので、そろそろ晩御飯のカレーを作ります。

ではでは



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